湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

♪有楽町で逢いましょう・・・・

2013年10月01日 | 詩歌・歳時記

昭和の特に戦後の30年代・40年代というものは、「歌謡曲の黄金時代」でした。

ボクの買い貯めた1,000枚ほどのレコードたちも、ほとんどがこの時代のものです。

       

西郷さんと巡り会うまでは、5・6年の月日が必要だった小学生時代、 東京は武蔵境に住んで

いました。 何であんなに部屋数のある二階建ての借家に住んだのか? 両親には聞いたことは

ないのだが、 学生相手の下宿を始めたのですね。 

          梅花藻にこぼれ寄り添ふ百日紅

          生きるとは失ふことや百日紅           ※さるすべりって、3カ月は咲きます。

1階の玄関を入った隣の3畳間に、 はとバスのガイドの美しいお姉さんがいて、2階は3部屋が

あったのかな? 後年、両親がその当時の下宿人の話を懐かしげに話しあっていました。

沖縄出身の「玉寄さん」とか、広島のうむっ、名前は忘れましたが・・・・それほどに、親密なお付き

あい、お世話をしたようでした。 夕飯が整えると5歳だった弟が、階段の下で 「とんとんにいちゃ

ん、ご飯ですよー」 と、叫んでいた声、するとトントンという音をさせて下宿生が降りてくるのです。

               

その下宿人に、母の姉の長男、ボクの従兄弟も4年間住んでいたのです。

早稲田の商学部に学んでいた、兄さんを 「まさよしにいちゃん」 と、慕っていたものです。

そして、まさよしにいちゃんを思うたびに聴こえてくる歌こそが、フランク永井の低音で聴かせる

「有楽町で逢いましょう」 なんです。 

きっと恋人と有楽町でランデビュー、 幼いボクには解からないことでしたが、 おそらく両親の

話を聞いて、無意識に刷り込んだむかしの思い出話なのでしょうか。

「有楽町で逢いましょう」 は、銀座のデパートのソゴウ のCMソングなんですってね。

とにかくあの時代は、素晴らしい歌謡曲が目白押しですね。