わが父は富山県魚津市の、浄土真宗のお寺の次男坊として生まれました。 大正2年です。
東京の学校へ行くまで、その父と兄の後を慕って、檀家をまわったりして得度こそしていませんが
坊主としての修行は重ねたようです。 経を読むその声の、素晴らしかったこと・・・。
まぼろしのわが故郷よほたるいか
伯父が死に、跡を継いだその長男・・・即ち、私の従兄弟が死んだ跡で!!
その息子、長男が「お寺を継がない」と言うのですよ。愕然といたしました。
ちょっ、ちょっと待てよ。 お前さんの父が系図を調べ、さかのぼって調査して、我が家は
かの旭将軍・木曾の義仲につながる末裔なんだぜ。 寺こそがよりどころではないかい?
兄逝くや魚津の海に冬の虹
「おいっ、俺が魚津へ還る場所がなくなる、ではないか?」
富山では有名な大企業の、えらいさんになっていて、檀家の少ない寺なんて継げるか!!
ですって。 カチーンときましたよ。 じゃー俺が寺を継ぐぜ!!
ちちははが生きて今朝みる鹿の子百合
魚津の駅前に夏になると、魚津の市花の鹿の子百合が咲きます。 駅の前に湧く清水を飲みなが
ら立っていると、軍服を着た父が胸を張ってよぎる幻をみる気がいたしまする。
でもなぁー、仏教も神も信じてはいない私でおます。 しかも死体を見たら震えますよ。
だいたいが「お寺経営」というものに、否定的な私です。
葬式に経を唱える僧侶に、金十万だの・・・誰が決めたのか? 無償が原則ですよ。
親鸞さんに繋がる、いいチャンスではおましたが、♪ 好きなんだけーど 黙って宝 見るように。
魚津の「私たちのお寺」は、京都の西本願寺に取り上げられてさ、その後は知りません。
けれども、父のために自分のイデオロギーを殺してでも、住職になるのもアリかな? って。
思うけれど、私の還るところは魚津のあの蜃気楼のゆれる、海の底なのですね。