湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

草野球・ユニバース

2010年08月29日 | 詩歌・歳時記
ガキの頃から、遊びといえば野球だった。
狭い場所ならそれなりに、人数に合わせてルール変え、工夫こらして遊び興じていた。

東京時代、草野球チームをつくった。
ビートルズの名曲・アクロス・ジ・ユニバースからいただいた事務所名を
チーム名にした、「ユニバース」。
大学野球で名を馳せたやつ、甲子園目指した元球児、ろくにキャッチボールもやったことないやつ、
また、植物学者がいて、板前がいて、ぷー太郎がいて、
麻雀でつながり、競馬でつながり、はたまた、俳句会でつながりーの、大変な相関図が描ける仲間達だった。
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日曜の早朝、多摩川河川敷にバックネットおったてて、場所取り完了。
監督の私のポリシーは「楽しくなければ、草野球じゃない」。
あいうえお順に打順を決めたり、1イニングごとに守備位置ずらしたり、
本格派には目をむくような采配ではありました。が、少し敗戦が続くと、やはり「試合に勝たねば、楽しくない」と、変節しましたのさ。
バッティング・センターで打ち込むやつ、野球の理論書読み漁るやつ、何か混沌としながらも、盛り上がり、まとまっていた。
「そこに山があるから」式でゆくと、我らの楽しみは試合のあとのビールに、つきた。
それぞれの細君お手製の惣菜、おにぎり。家庭により微妙に違う味わいは、独り者にはことに感慨ふかいものがあったことだろう。
わいわい、がやがや、子供たちも入り混じって賑やかなことだった。
秋も深まるころ、地方へ遠征試合。そして、納会。大家族旅行の観があった。
結局、監督って、ツァー・コンダクター兼世話役だったのね。
今、手のひらの白球見つめていると、一人ひとりの顔が浮かんでくる。
最後の若さの季節だったのかも知れない。