しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

泉岳寺  義士祭

2008-12-14 21:49:19 | Weblog
       12月14日 おなじみの赤穂浪士、討ち入りの日です。
       義士祭に1度行ってみたいと思っていたので、朝から雨でしたが、気分転換に泉岳寺に、出かけました。
     
       曹洞宗江戸三ヶ寺 泉岳寺

       赤穂浪士達は1703年(元禄16年)に切腹して直ちに埋葬されたと言われています、本懐成就後 
       足軽 寺坂吉右衛門は瑶泉院などゆかりの者に、討ち入りを報告させるため逃されたそうです。
      



            

               泉岳寺ご本尊は釈迦如来



                     

                義士達の墓所の入り口、今日は雨の中ここに入るのに1時間ほど並びました。



  

     入り口でお線香を買い、それぞれの墓石の前に捧げるのです。



                  

              正室 瑶泉院(左)と浅野内匠頭長矩、二人の墓所は少し離れていました。


                  

                     大石内蔵助良雄、主税良金父子の墓所


          

           赤穂浪士全員の墓石があります、20~30歳代が多く改めて若い義士達だったと思いました。


   
                            

                              大石内蔵助の像




          

           しほみ饅頭は赤穂の名物だそうで取り寄せているとのこと、義士堂はおみやげ屋さん。

           この時期になるとテレビで赤穂浪士関連の物語など放映されることが多く、江戸時代も
           現代の日本人も、この物語が大好きのようです。

           

          

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4 コメント

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忠臣蔵 (camelia)
2008-12-15 01:31:27
私も一度訪れたかった泉岳寺義士祭の様子を採り上げていただきありがとうございます。
小さい時から繰り返して聞かされ、映画や芝居で見て頭にインプットされている赤穂浪士の討ち入りの苦労話。こうしてコメントを書いていても、独特の討ち入り装束に身を固めた義士達が吉良上野介の屋敷にひたひたと集まって来るシーンが目に浮かびます。
もし、幕府が浅野内匠頭と吉良上野介を喧嘩両成敗ということで公平に沙汰を下していたら赤穂浪士のストーリーも成り立たなかったでしょうね。私たち日本人が大好きな忠臣蔵です。よい写真を見せていただきました。
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忠臣蔵 (しなこじ)
2008-12-15 12:13:59
cameliaさんがちらっと泉岳寺のことを言ったのを覚えていました。
忠臣蔵は、映画やTVドラマで、何度となく見ていますが、やっぱり興味はあります。
列に並んでいる人達は、やはり中高年男性が多かったようですが、意外に若いカップルの姿も見られました。
忠臣蔵は、主人公の義士達の家族や応援者の姿を描いたものや、親、兄姉、特に取り巻く女性を主人公にしたドラマを見たことがありますが、多くの理解者がいてこそ成し遂げられたと改めて思ったものでした。
喜んでいただけて、良かったで。
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赤穂 (J.C.)
2008-12-15 12:22:59
私は小学校のころからこの土地赤穂にはとても親しみがあります。
それは私の本籍地が兵庫県赤穂郡だったからです。
山口県に住んでいたのになぜ本籍が赤穂なの?
それは祖父の出身地がどうもここらしいのです。(子供の頃お墓参りに行ったことがあります。)
でも先祖の名前は47人の中にはないのでたぶんお百姓か、ひょっとしてかの有名な塩田で仕事をしていた人だったのかも???
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赤穂 (しなこじ)
2008-12-15 13:37:23
J.Cさん、地名やひとつの言葉で、いろいろ思い出したり、つながるのですね。
赤穂が本籍地だったのですね、本当に塩を作っていたかもしれませんね。
現在は日本各地の塩が売られていますが、今でも赤穂の塩は有名ですから、長い歴史があるのですね。
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