信頼する師・法然と出会い,その教えを一心に学んで充実していた
親鸞の人生を突如暗転させたのは,法難だった。
法然の説く専修念仏は,これまでの仏教では救われなかった民草までも
阿弥陀如来は救うと誓った,として庶民の信仰を集めていた。
しかしそれが旧来の仏教各派には許せない。 まず比叡山の僧が
決起集会を開いて,念仏停止(ちょうじ)を求めた。
法然は,弟子達の過激な言動への戒めを記した「七箇条制戒」という
文書を提出して対応。 親鸞も署名していた。
しかし事はこれで収まらなかった。
奈良の興福寺が朝廷に念仏の取締りを訴える奏状を提出,その結果
法然の門弟2人が処罰を受け,法然自身も弟子1人を破門する事を
余儀なくされている。
そんな中,安楽寺の事件は起こった,処罰を受けた門弟とは住蓮と安楽
の事である。
松虫,鈴虫出家で激怒した後鳥羽上皇は,ついに専修念仏停止の
院宣を下す。
住蓮,安楽を含め法然門弟の4名が死罪,法然を含む8名が流罪となった。
親鸞も流罪である。
この念仏への弾圧を大いに嘆き,後に著書「教行信証」にも怒りと悲しみを
書き綴っている。
こうして法然と親鸞はともに僧籍を剥奪され,法然は四国へ,
親鸞は越後へと流されてゆくのです。
善信聖人絵 「念仏停止」
念仏者の取締りが始まった。
絵は検非違使(警察官)から逃れようとする住蓮と安楽
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