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日常生活のあれこれ

親鸞流罪

2011-04-28 21:43:31 | Weblog

            信頼する師・法然と出会い,その教えを一心に学んで充実していた
            親鸞の人生を突如暗転させたのは,法難だった。

            法然の説く専修念仏は,これまでの仏教では救われなかった民草までも
            阿弥陀如来は救うと誓った,として庶民の信仰を集めていた。
            しかしそれが旧来の仏教各派には許せない。 まず比叡山の僧が
            決起集会を開いて,念仏停止(ちょうじ)を求めた。

            法然は,弟子達の過激な言動への戒めを記した「七箇条制戒」という
            文書を提出して対応。  親鸞も署名していた。

            しかし事はこれで収まらなかった。
            奈良の興福寺が朝廷に念仏の取締りを訴える奏状を提出,その結果
            法然の門弟2人が処罰を受け,法然自身も弟子1人を破門する事を
            余儀なくされている。

            そんな中,安楽寺の事件は起こった,処罰を受けた門弟とは住蓮と安楽
            の事である。

            松虫,鈴虫出家で激怒した後鳥羽上皇は,ついに専修念仏停止の
            院宣を下す。
            住蓮,安楽を含め法然門弟の4名が死罪,法然を含む8名が流罪となった。
            親鸞も流罪である。

            この念仏への弾圧を大いに嘆き,後に著書「教行信証」にも怒りと悲しみを
            書き綴っている。

            こうして法然と親鸞はともに僧籍を剥奪され,法然は四国へ,
            親鸞は越後へと流されてゆくのです。

 

           

                   善信聖人絵 「念仏停止」

              念仏者の取締りが始まった。  
              絵は検非違使(警察官)から逃れようとする住蓮と安楽

 

 


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