太秦や広隆寺の近くに「角坊」 (すみのぼう)はあります。
浄土真宗本願寺派本山(西本願寺)の飛び地境内とされます。
30年の歳月を経て京都に戻った親鸞は、和讃を作りながら
慎ましやかな日々を送り、関東の門弟たちからの送金や援助で
暮らしをまかっていた。
山門にかけられている大きな笠は、昭和10(1935)年境内に立てられた
親鸞像のもの。
この像は戦時中供出され、体は失われたが、笠のみが戻ってきたそうです
建設工事中だった本堂と書院は平成22年12月に完成したばかり
(写真で見ていたのとあまりに違うのに驚きました)
この日は法要があったようで大勢の参詣者が帰られるところでした
”ようこそお詣りで”と迎えていただきました。
威厳のある大きな親鸞像
旅姿の像は山門をくぐった時から目に留まります、
参拝者は仰ぎ見ます
住まいは転々としたらしい、また弟子に宛てた手紙では83歳の時
火災に見舞われ、善法坊に身を寄せたと綴られている。
やがてこの坊が往生の地となった。
寺伝によれば、この善法坊があった場所に建てられたのが角坊です。
「角坊」とは、親鸞が善法坊の一角の庵に号した名にちなむという。
善信聖人絵 「入滅葬送」
枕を北、顔を西に向けて往生を遂げた親鸞を弟子たいが囲む。
静かな死であった、翌日遺骸は輿に乗せられて東山の鳥辺野に
運ばれ荼毘にふされた。
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