今年も残すところ一ヶ月となりました。
この一年を反省するのは
まだ早いかもしれませんが、
暖冬に始まり、
春過ぎてからの長雨、
冷夏、暖秋、冬入り?、、と、
よく分からない一年でした、、。
大きな災害が無く、
遅米の収穫は普通、
アオリのサイズは小型ではあるがマぁマぁ、
春蘭は普通、
寒蘭も普通、
一花・蓮弁・ピアナン・・は今一、
朶々香・九花は良、
花の咲かせ方は最悪、
自身の出来も最悪、、。
あと29日、乗り切ることだけ考えよう・・。
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この寒蘭は蝶は蝶でもアゲハチョウですね。昔の中国の人が素蝶について蝶垂翅飛舞之像と例えた言葉を思い出します。
拙宅でも今年は最後の最後にアザミウマの逆襲によりかなり新芽を汚してしまいました。反省です。
春蘭の抱衣にも食痕があるので卵を産み付けられていなければいいのですが。来年は暖かくなる前から消毒が必要そうです。
新聞連載小説「韃靼の馬」は雨森芳州が出てきて佳境に入ってきました。いわばライバルの新井白石と比べあまりにも知られていない対馬の芳州さんが広く知られるきっかけになるとよいのですが。
今日は東京では寒い雨ですが杭州寒蘭がぽちぽち始まりました。対馬はいかがですか。
ではまた。
訳・・翅を垂らした蝶が飛び舞う姿だ・・、でしょうか、(^^。
この品種ばかりで申し訳ありません、、。
我が棚ではハモグリバエとキリギリスの食害に悩まされましたー!
今年になって初めて定期的に殺菌・消毒をしなければならない理由が分かりました。
これであと3~5年は後悔の念に駆られそうです~。
雨森芳州が、日本の外交に無くてはならない活躍をしたのが270年くらい前、、
原田三郎衛門が、薩摩から対馬に薩摩芋の種芋を持ち帰り、
対馬島民を飢えから救ったのが同じ年代、、
陶山訥庵が対馬島内の猪を全滅させたのも同じ年代、、
中国蘭一花・九花が愛培されてたのも同じ年代、、
同じ頃だと想像すると、当時の激動の時代背景が思い浮かんできて、
苦しい生活を送りながらもその中でホッと一息つける蘭花が有ればこそ・・
だったのかな~とも考えられますね~。
脱線しました、、。
おそらくこのお三方は交友関係で、
対馬の行く末を案じ、当時の法に触れて御咎めを頂く事を覚悟で、
わが身を投げ打って奔走されたのだと思います。
対馬はダメだと噂する人も居ますが、島民は誰一人として諦めてはいません、、
いつか良い日が来る事を信じ、耐え忍んでいます、、
という気持ちが感じられる対馬です。
しつこくて重ね重ね申し訳ありません、、。
杭州熱もあちこちに出てきて楽しそうですね~、、
花を長期間愛でられるのがまた良いですね~。
現在の時代も歴史に残る苦しい時だという気がしますが、
苦しい事だけを考える訳にもいきませんので、
明日の蘭花を夢見て今日を生きたいと思います~。