今日で震災から5か月ですね。
『反省』 不安な気持ちで頑張っている人にもっと頑張れというのは、酷な事でした。
この5ヶ月の国の対応を見てきてもわかるように、誰にも正しい判断が出来ないほどの災害だという事だけはまちがいありません。
私自信も、商売を続けられるのか不安でした、ここで暮らしていいのか今でも、心配しています、だからNPOの方たちの話を聞きに行きました。少しでも希望のある話が聞けないかと期待して行きましたが、残念ながら自分の思っていた以上に厳しい話ばかりでした。帰ってから妻に話したら泣かれました、一時は落ち込みました、それでも何か出来る事は無いのか、希望は無いのか、探しました、たどり着いたのが除染です。少しでも放射能の値を下げること、低い値の所で生活することです。その為にはこの町の現状を知る必要があります。だからチェルノブイリ救援の方たちが線量マップを作ってくれました。そのマップで自分の住んでいる所の状況が少しはわかるはずです。
わかれば、対応する手段が出てきます。そこで除染事業が始まります。雇用するのは50歳から60歳の方たちにお願いするようです。
高齢者の雇用対策として考えているようです。
除染も1年で終わりではないです、2年、3年と続けて行き、年間の放射線量1ミリシーベルトを目指します。おそらく南相馬市全体がそうなるには5年以上かかるでしょう。この町を残そうと、避難している人たちに帰ってもらおうと、決断したわけです。それが大規模な世界でも類のない除染活動です。
NPOも方たちの活動にもお金がかかっています、その方たちを支援する方法のひとつに救援金をカンパすることも、間接的にですが活動することになると思います。体を使う人、知恵を出す人、お金を出す人、物を提供する人、様々な事が出来ると思います。まずは自分が出来ることを考えて、行動するだけです。しなくても、出来なくても、誰も批判などするはずがありません。
すべては、自分次第なのだから。
『反省』 不安な気持ちで頑張っている人にもっと頑張れというのは、酷な事でした。
この5ヶ月の国の対応を見てきてもわかるように、誰にも正しい判断が出来ないほどの災害だという事だけはまちがいありません。
私自信も、商売を続けられるのか不安でした、ここで暮らしていいのか今でも、心配しています、だからNPOの方たちの話を聞きに行きました。少しでも希望のある話が聞けないかと期待して行きましたが、残念ながら自分の思っていた以上に厳しい話ばかりでした。帰ってから妻に話したら泣かれました、一時は落ち込みました、それでも何か出来る事は無いのか、希望は無いのか、探しました、たどり着いたのが除染です。少しでも放射能の値を下げること、低い値の所で生活することです。その為にはこの町の現状を知る必要があります。だからチェルノブイリ救援の方たちが線量マップを作ってくれました。そのマップで自分の住んでいる所の状況が少しはわかるはずです。
わかれば、対応する手段が出てきます。そこで除染事業が始まります。雇用するのは50歳から60歳の方たちにお願いするようです。
高齢者の雇用対策として考えているようです。
除染も1年で終わりではないです、2年、3年と続けて行き、年間の放射線量1ミリシーベルトを目指します。おそらく南相馬市全体がそうなるには5年以上かかるでしょう。この町を残そうと、避難している人たちに帰ってもらおうと、決断したわけです。それが大規模な世界でも類のない除染活動です。
NPOも方たちの活動にもお金がかかっています、その方たちを支援する方法のひとつに救援金をカンパすることも、間接的にですが活動することになると思います。体を使う人、知恵を出す人、お金を出す人、物を提供する人、様々な事が出来ると思います。まずは自分が出来ることを考えて、行動するだけです。しなくても、出来なくても、誰も批判などするはずがありません。
すべては、自分次第なのだから。
どんな状況なのか把握した方がいいですよね。
県外にいる人はどこで汚染マップを見ることができますか?
それは○町○丁目とか細かくでてるんでしょうか?
市でも線量計レンタルとかやってほしいです。
いや、一家に一台、一人一台の状況でしょうか。
限りなく線量0に近い場所から子供を連れて南相馬市に帰るのは結構勇気がいることです。
自分も子供や嫁や孫避難させてるんでしょ?
言ってること矛盾してないですか?
帰って来て住んでることだって何か役に立ってるんでは?
そんなに活性化させたいならまずあなたの家族呼び戻せばどうですか?
私の家は新築して三年です。ローンも35年です。小さい子供もいます。今は子ども達を連れて避難していますが、1日も早く帰りたいです。安心して住むには除染しかない…?と言われても、自分の家どう除染すればいいのでしょうか?
庭の芝生はどうしたらいいのでしょうか?