サイヤ社長のブログ

福島県南相馬市で青果食品惣菜スーパー「Saiya」を経営しています。
新鮮な話題をお届け!

南相馬市から12月31日夕方

2012-12-31 18:19:48 | 日記
『おおみそか、営業終了』

店の営業が本年も無事終了します。多くのお客様にご利用していただきました。大きな事故も無く、トラブルも無く、終わることが出来そうです。
ちなみに、私、昭和33年2月13日 早生まれの水がめ座、生まれは岐阜県美濃加茂郡東白川神土です。とうとう、明日になると55歳です。自分が55歳になることの自覚がまだありません、頭の中は、岐阜の東白川にいたころのままのようです。ただ、身体は正直ですね、あちこち、ガタがきています。
が、来年もがんばります、がんばらなくてはならないのですが、まだまだ、やらなくてはならないことがたくさんありますから。それにしても、年末、お客さんの数が減っています。なんとか客単価が伸びたので、昨年対比では少しの減少に留まりましたが、これが震災の影響が毎年、徐々に出てきているようで、少し不安ですね、各家庭の過ごし方も変化しているようですし、みかんのこと気になったので、調べたら10年前ぐらいから、ミカンの消費量が年間一人当たりの消費量が約8k食べていたのが、現在は4kになっているようです。
さらに、箱買いから袋入りを購入する人が多くなっているようです。ミカンの他に食べるもの、食べたいものが多くなっていることも原因のようですが、年末のみかん伝説に終わりが近づいているのかな?
明日は、札幌へ、留守番は警備保障に任せていきます。
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南相馬市から12月31日月朝

2012-12-31 05:17:31 | 日記
『おおみそか』

いよいよ、今年も最後の日になりました。なんとか無事に一年過ごせそうですが、地震、来ますね、まだ時々ですがきますね、気持ち悪いですね、もうあんな大きな地震は当分来ないとは思いますが、そう思ってやり過ごしてはいますが、まだまだ心配がつづきそうです。
昨日から温かい感じがします、それで昨日は雨でしたが、今日も朝の感じでは温かく感じます。雪にならなくてよかったのですが、明日からのお休み、せっかくの休みですから天気が良いことを祈ってはいます。
祈りと言えば、明日は初詣などに行くことと思いますが、くれぐれも、神様仏様に請求書は出さないようにしましょう。なんでもかんでもお願いごとの請求書を出しても、もらった神様仏様は大変ですし、お支払いただけるかどうかわかりませんよね、請求書が多すぎて、ですから、神様仏様には、請求書ではなく領収書を上げてください、昨年の自分のおこないを報告し感謝し、今年の目標などの決意表明するのが良いのかな
感謝の領収書が大事です。誰でも請求書もらうより、支払した領収書の方が良いですよね。仏様にたくさんの領収書をあげましょう。
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南相馬市から12月30日夜

2012-12-30 20:20:35 | 日記
『んん~、年末?』

仙台から娘を迎えに行って帰ってきました。道は空いていました。年末の盛り上がりがありません。震災後、2回目の年末ですが、人はどこへ行ってしまったのか?仙台の駅では、待ち合わせの人でいっぱいでしたが、そんなに年末の感じがしませんでした。もはや、昔でいう年越しの行事もなく、家族の団らんもなく、ミカンも買いこまず、普通の日と同じような感じ?少しだけは贅沢する感じ?
元旦から開いているお店がたくさんありますから、年末、買いこまなくても良くはなっていますからね。世の中も変化し続けている証拠ですね。お店も考えなくてはいけません。
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南相馬市から12月30日夕方

2012-12-30 17:38:11 | 日記
『仙台』
なんと、ただいま、仙台駅に、来ています。この、年末になんという、余裕。
娘を迎えに、来たのです。待っている間に。トライアングルで、大好きな、仙台味噌スパゲティを食べようとしているところです。ここのは、美味しいですよ、
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南相馬市から12月30日日朝

2012-12-30 05:24:08 | 日記
『みそか』

いよいよ、みそかです。今年も佳境に入ってきました。

一つには、必定地獄と聞きながら、うぬぼれごころに、だまされて、堕ちるわが身ということを、ほんに今まで知らなんだ。

二つには、不定のいのちを、もちながら、よもや、よもや、で日を送る 今宵も知れぬいのちとは、ほんに今まで知らなんだ。

三つには、みなさん後生は大事やと、ひとには言うて、聞かすけど、わが身の大事ということを、ほんに今まで知らなんだ。

四つには、よくよく、お慈悲を聞いてみりゃ、たすける弥陀が、手をさげて、まかせてくれよの、仰せとは、ほんに今まで知らなんだ。

五つには、いつもお礼は、いそがしく、浮世話に気がながい、かかる横着者ということを、ほんに今まで知らなんだ。

六つには、難かしむつかしと、歎いたが、おのれが、勝手にむつかしく、してたものということを、ほんに今まで知らなんだ。

七つには、泣いて笑うて、地獄をつくる、浄土の中の地獄とは、ほんに今まで知らなんだ。

八つには、役にも立たぬ、雑行雑修を、すてもせず、親さま泣かせていたことを、ほんに今まで知らなんだ。

九つには、光明摂取の 網の中、逃げても 逃げても おひかりとは、ほんに今まで知らなんだ。

十には、となえる 称名そのままが、親のよび声と、いうことを、ほんに今まで知らなんだ。

報恩講からの「ほんに今まで知らなんだ」という話の中から。
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