月のたび

日々の日記

見知らぬ誰かのために

2016-08-08 20:16:18 | ひとこと言わせて!
今日、天皇陛下が国民にビデオで話した。

実際ラジオで聞くと、時代を感じた。私が生きた平成の時代の感じが、よくわからんが、した。

私が理解するには、わかりやすく言うと、天皇という仕事は引退制度がなく、職業選択の自由もなく、自由にモノも言えない。面倒でもやらなくてはならないこと多い。しかも高齢化によって、ますます負担が大きい、もう無理だ、ぶっちゃけ、定年制なりを設けてほしい、そのほうが、これからの将来の天皇になるひとのためにもなる、などだろう。

そういうことを、身近な人にも意見してきたが、受け入れられなかったよ、という経緯がおそらくあると思われ、それが、「国民の理解をえられるように」という表現の背後にありそうだった。

聞いていて、思ったのは、一色正春さんのタイトル「何かのために」という言葉だ。

天皇陛下と私とは身分が全然違うので、くわしい事情はわからない。けれど、「私はここにいる」ってことを、誰かにわかって欲しい時があるものだ。それは、普段は、ほとんど相手にされない人ほど強くそのように言ってみたくなるものだ。牢屋の中で、手足を縛られ、目隠しをされ、助けを求めることもできない状況かもしれないならば、気の毒だよなあ。

直接的には関係ない人。けれど、直接関係なくても、同じ人であり、日本人で、その相手が何かを聞いて欲しく、考えて欲しいのならば、私はその人のために悩み、解決したいと思う。それが、私にとっても、相手にとっても幸せであるから。そういうことを天皇陛下を通して、他の日本人に対しても思う。

先日、SMAPの解散報道の時、いくつもあるコメントの中で、「それを言うなら、天皇陛下だってお気の毒だ」という声があった。単なる芸能ニュースなのに、しかもテレビの触れたくない話題なので興味があって、「中居さんは立川談志みたいに旧体制を敵に回して孤軍奮闘すればいいのに」とか思ってる最中のことだったので、違和感で覚えている。それでも、ジャニーズ事務所の掌の上で踊らされ、誰かのダシに使われるだけの生き方って、「人としての自由」ではない。それは、天皇陛下だっておなじことだろう。本質を突いてた。

「人はもっと自由に生きなくちゃダメだ。」これが今の私の思いだ。就職がうまくいかない人がいる。結婚しない人が多い。待機児童も多い。高齢化社会で財政赤字も多い。だからといって、そういうものを無理矢理解決しようとしてもなかなか上手く行かない。無理なら無理で、無理を押して物事を解決しようとするのが無理ではないのか?これは政治的意見ではない。もっと深い真理みたいなものかも。

天皇陛下のお言葉は、それを言っているように思えた。

一例を言わせてもらうと、移民は日本の財政を救ってくれないってことだ。