月のたび

日々の日記

今までにない!小説

2008-03-23 20:13:10 | 読書(興)
下村湖人作『次郎物語』を読んでいる。

はじめて読んだ小説だけど、すごくリアルに感じる。

日常のひとつひとつの所作の積み重ねが、大きな意味を持ってきて小説を動かしているような作品。たとえば、吉川英治の『宮本武蔵』や司馬遼太郎のいくつもの作品や、山本有三の小説にもつうじるような、戦後においてあまり注目されることのなかったようなもの。

うまく言えないけど、自分が生きてるために普通に、自明なこととして、立ち止まって考えさえしないような所作が、その本人にとって、だんだん重要になってきてしまい、収拾がつかなくなるような事態も起きてくる。そういう、あってはならないことが、自分の身から出て行って、大きな波みたいになって本人を呑み込んでしまう。

作品中では次郎は、まるで、読む前からストーリーがわかってしまうような物語の登場人物ではない。

何と言えばいいのか。

予定調和的ではない。

よく、『金閣寺』を読むとわかるけど、読者にしてみれば、最初の十ページくらい読めば、その主人公がヒトクセありそうだと推測するわけで、題名も『金閣寺』だから、もうストーリーの展開の半分はわかっちゃったようなもので、それだけ面白さが減るわけで、『人間失格』の最初の数ページの描き方にしても、なんだか作者の太宰さんが登場人物に偏ったイメージを無理やり押し付けて、それを読者にも強要するような書き方をしている。

作者が登場人物にあるイメージを植えつけるような書き方をしている作品って、その作者を超えて物語が展開しないから安全だと思う。
そういうのが好きな人はそれでいいけど。

それに対して、下村湖人という人は名前もマイナーで作品もほとんど流布されない。けど、心の自然な動きや人間関係の難しさ、身の回りの困難、その中で自分らしくいたい自分とその切なさやらが、ストーリーの中ですごく読者にわかりやすく、共感できる形で示されている。そして次郎は作者や語り手の思惑から完全に自由である。だからこちらも自由に読める。

こういう面白さは、テレビ時代の人には伝わりにくいのだろう。