『旅行者用折り畳み品』
旅行者用、つまりコンパクトってことね、と思って見ると、タイプライターのカバーが提示されている。中の本体は見えないが、旅行にタイプライターを持参する人はまずいない。筆記具(ペン一本)あれば用が足りるから・・・。
不必要に重い、カバーだけなら何の役にも立たず、折り畳んでなど、むしろ滑稽である。
このバカバカしさ、空漠とした空気感、笑止…真面目に差し出すことの無意味。
デュシャンは《無意味》を追及している。
言葉や物の持つ意味を言葉や物を通して無意味に帰している。言語による説明はもちろん無い。説明すれば、意味を浮上させるだけだからである。
秘めた空気感を鑑賞者は読取り、納得して肯き、静かに立ち去る。
作家(デュシャン)には、大いなる肯定(ファインプレー)であると、見えない合図を送りたい。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
「押しつこのえらいひとだよ。押しつこをしてきめるんだよ。」もうみんな、がやがやがやがや言つて、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつゝいたやうで、わけがわからなくなりました。
そこでやまねこが叫びました。
☆往(人の死)に応えて現れ、捧げるのは、総て教(神仏のおしえ)である。
事実、もうなにもかも事を運んでしまいましたよ。わたしは、すくなくともわたしの一件が白で片づくまdのあいだ、縉紳館の客室付きのボーイになりましたし、フリーダも、もとの酒場へもどっています。フリーダには、そのほうが合っています。
☆少なくともわたしの事件は、城(本当の死)で片づくことなく、隠れたテーマになりましたし、フリーダ(平和)も再び酒場(死の手前)にもどっています。フリーダにとってもその方がいいのです。