起床後は、朝食の支度そしてブログ。
朝食は8時、8時半には食べ終え、食器を洗い、洗濯物を干す。(猛スピード)
そして8時39分に公園墓地に向かう。ここ一年半余りの朝の日課である。
カードが終了すると記念品がもらえる。それがすごくうれしい!
ずっと続けたいし、続けられれば幸せだと感謝している。
『ボトル・ラック』
デュシャンがこのボトル・ラックを見たときの心象が、そのままこの作品である。
つまり水分を失くすためだけの大袈裟な仕掛けはいかにも有用だけれど、再使用するための必須事項である殺菌には及ばず、殺菌したのちであれば突起部分への接触はむしろタブーである。ボトルの再使用は乾燥させればいいというわけではないし、単に乾燥させるということにはさほど意味がなく、清潔という観点からも完ぺきではない。
この中途半端、というより無意味な仕掛け(製品)が生活者の心理を動かし、購買を誘引する情況に冷静な眼差しを送るデュシャン。
無意味が意味を誘導し堂々製品化されている事実に、疑念ではなくむしろ新鮮な感動を覚えたのではないか。
『フ・フッ…』こみ上げる笑い。現実社会の中に存在する存在の無意味を主張するものの発見である。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
見ると山ねこは、もういつか、黒い長い繻子の服を着て、勿体らしくどんぐりどもの前にすわつてゐました。
☆幻(まぼろし)の太陽を告げる。
調べると主な詞(言葉)は、覆る。
惹きつける仏(霊)の態が全てである。
「しかし、きみは、ついさっきまで、まだお勤めの身であるかのようにぼくをさがしていたじゃないか」
「ちがいます。あなたをさがしているのは、フリーダを安心させるためにすぎないんです。
☆しかしまだお勤めの身(死人)であるかのように、わたしを探していたじゃありませんか」と、Kは言った。「いいえ」と、イェレミーアスは言い「わたしはフリーダ(平和)を安心させるためにあなたを探していたのです。