goo blog サービス終了のお知らせ 

続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ヒロちゃん。

2014-03-16 06:30:48 | 日常
 カレンダーをめくってみたら、5月21日の日付の横に「百歳」という書き込みがあったという叔母の死は、親族を呼び寄せ、旧交を温める場とも化した。

 もっとも親しみを感じている従妹のヒロちゃんは日頃は98歳の叔母の介護に追われている。
「偶然、4泊5日のショートステイに母を送り出した直後に訃報を受けたので、何とかこの葬儀に出席できたの」といい、会うことが出来た。
「母が在宅の時は一時も目を放せないし、娘の入院が重なったりで、近親の葬儀も二つも義理を欠いたわ」という。

「夜中にトイレの用で一時間おきに起こされたけど、認知症になってからはそれが減って助かっているわ。でもご飯を食べたことも忘れるし、春夏秋冬も分からないみたい。ヘルパーさんが来てくれる一時間のうちにメモを片手に大急ぎで買い物を済ませるの、転びそうになるわ。でも、医者は自宅まで来てくれるし、いろんな器具は貸し出しがあるし、介護制度のおかげで、何とかやっているの。介護制度がなかったら、もうとっくの昔に共倒れだったわ、介護保険料が高いって言う人の話には肩身が狭いけど・・・」と、ため息交じり。

 想像を絶するものがある。一人っ子で、不自由のない暮らしを羨んでいたわたしだけど、まさかこういう日が来るなんて、神さまも意地悪。

「でもさ、これからきっと良いことがあるよ。(取り返すほどにね)」と言ったら、
「いい事なんかないわよ、せっちゃんが人生もあと30年だからって言った時びっくりしたわよ、百まで生きる気か、って」と大笑いをしたヒロちゃん。でも現に叔母さんだって98歳でしょ。
「もしかしてまぐれのように百まで生きていたらどうする?」
「だめだめ、考えられないわ」
「そうね、わたしもダメかも・・・言ってみただけ」と淋しく笑ったわたし。(ヒロちゃんが元気でよかった昨日の再会)

『ポラーノの広場』269。

2014-03-16 06:22:13 | 宮沢賢治
 わたくしどもはあるきだしました。わたくしはいろいろ話しかけて見ましたが、ロザーロはどうしてもかなしさうで一言か二言しか返事しませんのでわたくしはどうしてももっと立ち入ってファゼーロと二人のことに立ち入ることができませんでした。


☆和(争いを収める)を兼ねている。逸(かくれるている)が、現われる、字で現われる。
 変わる字を留め、柔(しなやか)に付(添える)律(きまり)は、新しいものである。

『城』1565。

2014-03-16 06:07:32 | カフカ覚書
フリーダとしたことが、どうしてこいつらを迎えによこしたのだろう。彼のそばに残っているように言いつけておいたはずなのに。帰り道なら、おれひとりだってわかるし、この連中といっしょよりはひとりのほうがらくだ。

 帰り道/Nachhauseweg→Nachen hause weg/小舟、一族、方法。

☆フリーダ(平和)はどうしてあなたがたに順応することができたのだろう。彼はそのまま留まるべきを委ねられているのに。
 一族の小舟の手段は全ての先祖に見いだされており、全ての先祖はこの社会において軽い(存在)である。