続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

四人会。

2014-03-01 06:52:38 | 日常
 丸三年、月イチ、女四人のおしゃべりが続いている。何を話したか、どういう展開を見せてお開きになったのか・・・もちろん脈絡などあろう筈もなく、話は飛んで戻りつ、感心したり嘆いたりという世情を孕んだものである。

 三年前の三月十一日が初回の顔合わせ。揺れた! 長いこと揺れて停電。そして外に出たけど、携帯は不通。信号も消えた。
 そして三年、毎月女四人が顔を突き合わせて近況報告、ただ今進行中のドラマは途切れることがない。

 YRP野比駅から海岸通りを歩いて北下浦CCへ、「新聞紙で作る花」の講習会で隣り合わせた、それだけの縁。四人で囲んだテーブル、誰かが「また会いましょう」と、声を掛けた。(単なる社交辞令)だと思っていたら日時と場所まで決められ、引っ込みがつかなくなってしまった。(何で、どうして集まるの?)と、不遜にも内心抵抗していたけれど、何の用もないので一度も欠席をしたことがない。

 回を重ねるごとに、それぞれのメンバーの人生が立ち上がってくる。(物語を読んでいるようだ、と思うことがある)

 冷静に状況を判断すると、わたしは意外と無口(というか自分を出さない、隠匿主義?)。わたしが何か言おうとしても、話はわたしがいなくても進んでいくように感じる、いわば傍観者の立場である。主張すべき何もないのだから、むしろ楽かもしれない。と言って仲間外れというのでもなく(そうでしょう)と、一呼吸置いて同意を求める風でもある。


 不思議な関係、奇妙なバランス、月イチ最終週の金曜日の十一時、粟田の「夢庵」でお世話になっている。

『城』1550。

2014-03-01 06:33:59 | カフカ覚書
もちろん、あれは、率直な努力というものではなく、内心では、同時に自分を調書から遠ざけようという下心もあったに違いない。結局の所、自分はあくまで抵抗したのか、それとも、屈服したのか、どちらともわからない。


☆もちろん、あれは猿真似の努力というようなものではなく、内密であり、同時に砦に力づくで引っぱろうという記録であった。
 結局の所、荒地なのか、小舟に抵抗したのかは分からない。