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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

高齢者。

2014-03-07 06:43:46 | 日常
 介護保険料も支払うようになり、立派に高齢者の仲間入りを果たしている。

 高齢者の響きには、(もう人生も終盤)という微妙な寂寥感がある。だから、人を指しての高齢者呼ばわりは一般に失礼とされているらしい。なぜなら、そう言った後に「すみません」などと釈明されると(なるほど、高齢者という指摘は差別につながるのかな)と思えてくるからである。


 65才で亡くなった母を思うと、現今67才のわたしが母には幻の時間を生きていることは奇跡。高所恐怖症のわたしが、灯台の頂上に立った気分で辺りを見回す気分、でも(あらっ、みんなも・・・総勢・・・)ああ、高齢者社会なのだと実感する。
(もうお婆さんだから)などと甘えていられない状況を察知せざるを得ない。

 そうして鈍間のわたしが、みんなの後を付いて(まだ生きているんだ)と気づく。まだ大丈夫なんだと思うと嬉しくさえある。

 高齢者の領域・・・マラソンで言えば最終コーナーに差し掛かった辺り。ここで前の走者を抜くと拍手を送られるが、あわててゴールインする必要はない。ゆっくり景色を眺め尽くして行こう。

「高齢者は光麗者」なのだと思いたい。年寄りを哀れんでもらっては困る、(いくら急いでもここまでは・・・フッ、フッ、ふふ)意味なく笑って高齢者枠を楽しんでいる。
(そこのけそこのけ、高齢者が通る)なんてことは通用しない世情、つつましくも謙虚に、皆様の後を付いて、この細道を通っていくつもり。

『ポラーノの広場』260。

2014-03-07 06:37:16 | 宮沢賢治
「どうも全く知らないのです。まあ、あなたがたもご商売でせうが、わたくしの声や顔付きをよくご覧ください。これでおわかりにならんのですか。」わたくしは少ししゃくにさはって一息に云ひました。


☆善(道徳に適っている行い)を致(まねく)照(普く光があたる=平等)の媒(なかだち)をする正しい信仰である。
 普く章(文章)は逸(隠して)則(道理)を運/めぐらせている。

『城』1556。

2014-03-07 06:13:58 | カフカ覚書
ところがふたりの助手どもだけではなかった。ふたりのあいだの闇のなかから、バルナバスがぬっとあらわれたのである。
「バルナバス!」と、Kは叫んで、手をさしのべた。

 バルナバス/Barnabas→Bar Nabe/(天)熊座、車輪の中心。

☆しかしながら単に頭脳というだけではなかった。それらの闇の間から熊座の中心(北極星=死の入り口)がこちらへ現われたのである。
「北極星!」とKは叫び、死の向こう側に手を伸ばした。