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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

吊るし雛。

2014-03-09 06:37:58 | 日常
 吊るし雛というものがあること自体知らなかった。けれど近年、話題になって始めて知った吊るし雛に胸をときめかせている。

 吊るし雛の講座があれば必ず応募しているけれど、受講できたのは5回のうちただ一度きり。それだけ人気の講座で抽選に漏れてしまう。(ちなみに今春も外れてしまった)

 一度受講したのだから、教則本に習って自分で作ればいいのだけれど、それが難しい。根気の要る作業であり、なおかつ細心の注意を払わないと歪な仕上がりになってしまう。それより更に問題なのは肝心の材料が揃わないことである。

 講師が揃えて下さる材料で・・・というか、その段階で仕事は半分終了しているといっても過言でないほど、材料集めは困難を極める難題なのである。


 だから、夢は夢として「吊るし雛」に憧憬を抱いているわたし、先日もその会場に出向いてその素晴らしさを堪能させてもらった。よく見つけたと思うような細い路地裏の古民家だった。(年配の講師は家のたたずまいに惚れ込んだとのこと)
 二階に設置された会場の吊るし雛もさることながら、古着/古布の山にも圧倒されてしまった。これだけ収集しなければ、あの吊るし雛を作ることが出来ないのか、という驚き。
(やっぱり)の思い。

 ヤフオクなどで、偶に出る縮緬の古布/着物、欲しいなぁと思っても購入してそれだけのものが果たして出来るのか、活用できれるのかを考えてしまう。(いつもいつも今でも、咽喉から手が出るほどに欲している)最終価格は物量によって違うけれど十万円前後は確実にいく。
 手に入れたら、その時点で満足してしまうかもしれない。無用の長物として、残された家族の嘲笑の的になる・・・などという妄想は時折波のごとくにわたしを襲う。

 吊るし雛・・・縫う作業を考えても気分が塞ぐほどの時間がかかる、自分にはとても実行不可能だと諦めざるを得ない。

 吊るし雛を見るとき、未練とあいまって高まる憧憬に、身の置き所がないほどのめまいを感じている。

『ポラーノの広場』262。

2014-03-09 06:24:29 | 宮沢賢治
「なぜわたくしより前にデステゥパーゴを呼び出してくださらんのです。誰が考へてもファゼーロの居ないのはデステゥパーゴのしわざです。まさか殺しはしますまいが。」
「デステゥパーゴ氏は居らん。」
 わたくしはどきっとしました。あゝファゼーロは本気かあるいは間ちがって殺されたかもしれない。警部が云ひました。


☆全て己(わたくし)の遂したことを推しはかる講(はなし)である。
 挙(すべて)察(よく見る)詞(ことば)に拠り翻(つくりかえる)。
 記(書きとどめること)を換(いれかえて)察(明らかにする)。
 糸(つながり)無く、運/めぐらせている。

『城』1558。

2014-03-09 06:10:01 | カフカ覚書
「なに、クラムからの手紙だって!」Kは、頭をのけぞらせてそう言うと、いそいでバルナバスの手から手紙をとった。
「灯りを見せろ!」Kは助手たちに命じた。ふたりは、左右からKにぴったりとからだを押しつけるようにして、カンテラをかかげた。


☆「クラム(氏族)からの手紙(電光)だって!」Kは、背後にのけぞると、急いでバルナバス(北極星)の側から受け取った。
 「光だ!」Kは頭脳に命じた。それは正しく圧迫に苦しめられる闘争の助言だった。