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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『柳瀬正夢展』

2014-03-06 06:44:55 | 美術ノート
 神奈川県立近代美術館/葉山での『柳瀬正夢展』
 
 大正、昭和初期のムードが漂う会場には、柳瀬正夢の時代に向き合う実直さ、皮肉(ユーモア)もこめて伝えようとする姿勢が如実に現われていたように思う。
 先端を先取りする感覚のタッチであり、風刺は常に弱者側からの視線で描かれ、作家の熱い闘志が垣間見える。畏れずに描くことの意志は今のわたしの想像を超えるものだったに違いない。

 強く熱くペンを揮うことの情熱は、時代を変革していく。大地主の金満家、工場帰りの女工さんの悲哀、胸を衝かれるような作品からは時代への憤懣が色濃く伝わってくる。

 ある意味あの時代の解釈であった活動は、自らの主張というより饒舌な新聞記者の眼差しである。時代を読み、時代の先を行こうとした姿勢は、解放された戦後であればどのような花を開かせたのだろうか。

 世界の動向と日本の立場、日本の中でのプロレタリア活動、淡く甘い香りのする屏風絵、柳瀬正夢の中で真に求めていたものとは何であったのか。

 柳瀬正夢は単なるロマンチスト・耽美主義でないことは明らかで、闘志を抱いた変革者として世界と自分の距離を測りながら求められるべき答えを思案してしていたのだと思う。早世は無念である。

『ポラーノの広場』259。

2014-03-06 06:33:43 | 宮沢賢治
「それも証拠にはならん。おい、君、白っばくれるのもいゝ加減にしたまへ。テーモ氏からさう索願が出てゐるのだ。いま気味がありかを云へば内分で済むのだ。でなけぁ、きみの為にならんぜ。」


☆照(普く光があたる=平等)の巨きさを訓(おしえ導く)ことを吐く(言う)。
 化(形、性質を変えて別のものになる)を現わす詞(言葉)の策(くわだて)を含むことを推しはかる。
 訓(おしえ導くこと)を運/めぐらせることが、題(テーマ)であり、文の差異に委ねている。

『城』1555。

2014-03-06 06:11:37 | カフカ覚書
にもかかわらず、Kは、幻滅を感じたのである。彼が期待していたのは、未知の存在であって、重荷にしかならないこんな古なじみの助手どもではなかったのだ。


☆にもかかわらず、死の交換だった。彼が期待したのは未知の存在であって、先祖の重荷にしかならないこんな昔から知っているものではなかった。