ごく自然にという風に集まってくる同好の士。
博物館などの講座に応募すると、たいてい顔見知りが何人かいて、「やあ、やあ」と挨拶を交わすことになる。
先日惜しくも葬儀のため欠席と相成った「地球科学入門」の講座でも、どこかでご一緒したような方と・・・ばったり。
「あなたがトンビに指を嚙まれたとき、カットバンを出したのはわたしです」と開口一番。(ああ、そういえば)とばかりお礼を言えば、旧知の仲のように並んで受講。
美術館巡りの講座でも、それと分かる顔見知りに出会い、すぐにおしゃべり。
「もうお互い名のってもすぐ忘れちゃうのよねぇ」と笑いあいながらも(どこで、何のとき?)と頭の中はぐるぐる。話しているうちに「山の上の家を売却して高層マンションに転居したの、足の不自由な母のために・・・」(ああ、やっぱり)この話は以前に聞いている。
点と線・・・何十万人もいる横須賀市民、がらがらポンでは隣り会う確率も低いのに、同じような志向を抱くことで顔を合わせる。同じような年代、環境も客観的には大差ないかもしれない。
単発であり、深く関わらない同志としての付き合い。「じゃあね」と、手を振り合えば、何時また会えるという確証もなく淡雪のような感触の関係。
(きっとまた、どこかで)
幾つもの出会いと別れを繰り返してきた人生、出会いの刹那に心を揺さぶられても、暗黙の約束(それっきり)を潔しとしている。
・・・この次は、もう無いかもしれないという予感、薄氷を踏んで臨んでいる。(それでもいいと。)
博物館などの講座に応募すると、たいてい顔見知りが何人かいて、「やあ、やあ」と挨拶を交わすことになる。
先日惜しくも葬儀のため欠席と相成った「地球科学入門」の講座でも、どこかでご一緒したような方と・・・ばったり。
「あなたがトンビに指を嚙まれたとき、カットバンを出したのはわたしです」と開口一番。(ああ、そういえば)とばかりお礼を言えば、旧知の仲のように並んで受講。
美術館巡りの講座でも、それと分かる顔見知りに出会い、すぐにおしゃべり。
「もうお互い名のってもすぐ忘れちゃうのよねぇ」と笑いあいながらも(どこで、何のとき?)と頭の中はぐるぐる。話しているうちに「山の上の家を売却して高層マンションに転居したの、足の不自由な母のために・・・」(ああ、やっぱり)この話は以前に聞いている。
点と線・・・何十万人もいる横須賀市民、がらがらポンでは隣り会う確率も低いのに、同じような志向を抱くことで顔を合わせる。同じような年代、環境も客観的には大差ないかもしれない。
単発であり、深く関わらない同志としての付き合い。「じゃあね」と、手を振り合えば、何時また会えるという確証もなく淡雪のような感触の関係。
(きっとまた、どこかで)
幾つもの出会いと別れを繰り返してきた人生、出会いの刹那に心を揺さぶられても、暗黙の約束(それっきり)を潔しとしている。
・・・この次は、もう無いかもしれないという予感、薄氷を踏んで臨んでいる。(それでもいいと。)