続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

同好の士。

2014-03-22 06:09:02 | 日常
 ごく自然にという風に集まってくる同好の士。

 博物館などの講座に応募すると、たいてい顔見知りが何人かいて、「やあ、やあ」と挨拶を交わすことになる。
 先日惜しくも葬儀のため欠席と相成った「地球科学入門」の講座でも、どこかでご一緒したような方と・・・ばったり。
「あなたがトンビに指を嚙まれたとき、カットバンを出したのはわたしです」と開口一番。(ああ、そういえば)とばかりお礼を言えば、旧知の仲のように並んで受講。

 美術館巡りの講座でも、それと分かる顔見知りに出会い、すぐにおしゃべり。
「もうお互い名のってもすぐ忘れちゃうのよねぇ」と笑いあいながらも(どこで、何のとき?)と頭の中はぐるぐる。話しているうちに「山の上の家を売却して高層マンションに転居したの、足の不自由な母のために・・・」(ああ、やっぱり)この話は以前に聞いている。

 点と線・・・何十万人もいる横須賀市民、がらがらポンでは隣り会う確率も低いのに、同じような志向を抱くことで顔を合わせる。同じような年代、環境も客観的には大差ないかもしれない。

 単発であり、深く関わらない同志としての付き合い。「じゃあね」と、手を振り合えば、何時また会えるという確証もなく淡雪のような感触の関係。

(きっとまた、どこかで)

 幾つもの出会いと別れを繰り返してきた人生、出会いの刹那に心を揺さぶられても、暗黙の約束(それっきり)を潔しとしている。

 ・・・この次は、もう無いかもしれないという予感、薄氷を踏んで臨んでいる。(それでもいいと。)

『城』1571。

2014-03-22 05:42:13 | カフカ覚書
というのは、バルナバス自身が全く無防備だからである。彼の微笑だけは、明るくかがやいていたが、それとても、天上にきらめく星が地上の嵐をどうすることもできないのとおなじように、なんの役にもたたなかった。

 彼の/sein・・・存在する。
 微笑/Llachen→rachen/復讐する。

☆というのはバルナバス(北極星)自身が無防備だからである。
 ただ存在する復讐を照らしてはいたが、こちら地上の嵐(騒動)をどうすることも出来ないのと同じように無力だった。