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Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「親が子育てする権利」を!

一つ、思考実験。

 

     

 

この世界には、いろんな権利がある。

権利について述べると、膨大になるので、コピペで(苦笑)。


人が社会的に一定の行為をなすとき,その主体の観点からみた行為の正当性の根拠となる基本概念の一つ。広義には規範(ルール)によってつくり出される正当性,法律用語としては法規範によってつくり出される正当性,狭義にはみずからの意思によって法的救済を求めうる法的可能性の意味に用いられる。〈私は被害者として加害者を糾弾する道徳的権利がある〉とか〈第1回戦の勝者は第2回戦に進む権利がある〉とかという場合の権利は広義の場合の例で,権利を意味する上記の英・仏・独語が元来〈正当性〉を意味することとかかわっている。

引用元はこちら


なんだか小難しい…(汗)

とりあえず、人間の行為の正当性の根拠、と考えておこう。

正当性、つまりは、正しさの根拠。Rightだから、権利は正義と同義。

そこで考えたいのが、「親が子育てをする行為」。これは、社会的な行為と言えるし、規範とも関連するし、子育てができない今の現状を考えると、法的救済を求めうる、と言える。

子育てという行為の正当性が、今、揺らいでいる。


これまで、子育て=養育は、親にとっては義務であり、責任であった。

「扶養義務」だ。民法第877条に記されている。

http://minnpou.blog81.fc2.com/blog-entry-49.html

しかし、子育ては、もちろん義務でもあるけれど、同時に、権利でもないのだろうか。

学生たちみんなに質問すると、ほとんどの学生が、子育ては自分でやりたい、と答える。教育・保育系の学生だから、当然そう思うのだけれど、やはり今でも、多くの人は、「子育ては自分たちでやりたい」と思うのではないか。

もっと言えば、「子育ては、夫婦で共にやりたい」、と思うのではないか。

しかし、そんな学生たちも、「夫(ないしは妻)の給与が安ければ、子どもを保育園に預けて、働く」、ということを選択する。もちろん働くことは悪いことではないけれど、子どもが大きくなるまでの数年間、厳密に言えば、生まれてから、せめて幼稚園に通いだすまでの3年くらいは、子育てに集中したい、と思う学生は多かった。

働く女性の権利を奪ってはならない。だけれど、同時に、またそれ以上に、子育てしたいという母親、そして父親の権利はどうなんだろう、とふと思った。

もっと具体的に述べる。

近年は、子育てしたい、と思う父親も増えている。育メンなんていう言葉もある。

これまで父親は、工業化以降、外に働きにいくことが自明のことと考えられてきた。それが「当然」だから、誰も疑わなかった。

けれど、女性が社会進出すると共に、男性もまた(一部で)考え始めるようになっている。「男は働かなきゃならないのか?」、と。

僕の知人は、僕にこう熱弁した。

僕は、仕事よりも、子育てがしたいし、子育てをすべきだと思う。すべきというか、赤ちゃんが育っていくその過程を見たい。仕事はいつでもできるけど、子育てはその時期にしかできない。赤ちゃんがかわいいのは知っている。特に2歳児だ。2歳児はとにかくかわいい。我が子が2歳児の時に、仕事が忙しくて、育つ姿が見れないのは、悔しいし、もったいない。言葉をしゃべるかどうかの瀬戸際の時が、一番かわいいんだ。その姿を、親として見れない、というのはおかしくないか?! 扶養義務があるんだ。意味合いは違っても、親としての義務を果たすことが、どうしてできないんだ?! 妻も働いている。お互いが、働いて、二人で一人分の給与がもらえればいい。贅沢したいとは思わない。せめて、赤ちゃんが生まれてからの数年は、父親にも、子どもを育てられる環境を作ってもらいたい!

この話を聞いた時に、目から鱗、というか、「おお~」と思ってしまった。

たしかに、働くことも大事だけど、子育てをすることだって、人間にとってとても大切な行為。祖父母が近くにおらず、父母共に働いていて、子育ては保育園に頼る、それが人間社会として健全なのかどうか。

もちろん、父母共に働きたいと思うなら、働けばいい。それは自由だ。が、それ以上に、「子育てをさせてもらいたい」と思う夫婦もたくさんいる。その人たちの願いは、なんとかしてかなえられないものなのか。

赤ちゃんから幼稚園に入るまでの3年。0歳、1歳、2歳児。この頃の赤ちゃん~幼児は、とてつもなくかわいい。接したことのある人は分かると思うけど、とにかく無条件でかわいい。中には、「鬱陶しい」と思う人もいるだろうけど、その気持ちは尊重するにしても、ほとんどの人は、赤ちゃんを見て、ほほ笑むし、かわいいと思う。

しかし、働いているお父さん、パパ達は、そのかわいい赤ちゃんの姿をほとんど見れず、しかも休日も、疲れきっていて、ロクに子育てに専心できない。中には、休日でも仕事をしなきゃならない人もいる。今、自民党のみなさまは、企業が一般の社員の残業代すらカットできるようにしようとしている。ブラック企業に勤めていたら、もうそれこそ、子育てなんてやっている場合じゃなくなる。

子育てをしなくていい、あるいは、子育てをしないで働け、なんていう社会は、はたして健全なのかどうか。

子育てをする権利を認めてくれ

上の知人は、最後にそう言っていた。


平成26年度の保育対策関係予算は、493,694,000,000円(4936億9400万円)だ。

児童手当・子ども手当の予算は、総額で、2,210,750,000,000円(2兆2107億7500万円)。

合わせて、2兆7077億6900万円。

現在、年間に100万くらいの赤ちゃんが生まれている。3歳までだと300万の乳幼児がいる。

やや大雑把に、上の予算を200万世帯(兄弟もいるので)に配分すると、1世帯あたり135万円となる。

男女平等社会なので、男女のいずれかがベーシックインカム(の半分)を稼げば、十分にそれだけで生きていくことはできる(あくまでも推定上)。

(これはとても大雑把な計算なので、あくまでも「想定上の話」として考えてください)


最初の話に戻る。

子育てを「権利」と考えると、色々と見方が変わってくる。

父親にも、母親にも、等しく、3歳までの子育ての権利が与えられたら…

きっと、子どもは喜ぶだろう。小さな赤ちゃんが望むのは、大好きなパパ、ママ(あるいはそのいずれか)と一緒にいることだから。

それに、父親も、母親も、子育てができる喜びを、もちろんたくさん辛いこともあるけれど、それ以上の喜びを得るだろう。

昔は、国民のほとんどが第一次産業に従事していたし、家族はいつもそばにいた。「電車」や「車」がなかった時代は、父母共に働いていても、子どものすぐそばにいれた。

しかし、今は、父親も、そして母親も、家の中にもいないし、近所にもいない(ことが多い)。祖父母がいてくれればいいけれど、祖父母が家の近所にいない、というケースもとても多い。通勤も、日本は世界でも類をみないほどに厳しい。満員電車に毎日揺られて、疲れ切っている。人類史上、初となるこのわけのわからない非生物学的な労働環境。

せめて、赤ちゃんを出産してからの数年間、父親にも、母親にも、子育てを中心にした生活を与えることはできないのだろうか。

これが「権利」として認められたなら、当然ながら、育休も取得しやすくなるし、職場復帰も堂々とできる。(ワーク・ライフ・バランスの理屈で言えば、出産によって労働時間の半減→3年後に元に戻す→復帰じゃなくて、復旧(?!)となる)

何よりも、子育て世代の父母の精神的な安心感を得ることができる。

それだけじゃない。もしこの僕の提唱する「子育て権」が認められたら、大人たちは、子どもの誕生を心から喜べるだろう。「生まれてきてくれてありがとう! 今日から、パパも3年間、過酷な労働環境から少しだけ脱出できる!」、と。

それに、子育てに集中する3年の間に、人間的に、大きく成長できるだろう。子育ては、親を成長させてくれる。辛抱強くなる。聞く耳をもつようになる。意味不明な赤ちゃんの働きかけに対応し続けることで、無理な難題も克服できるようになる。そうすることで、再び通常の業務に戻った時に、劇的に変化しているだろう。それに、「しっかり子育てをやった。これからはしっかり仕事をしよう!」という風に、動機づけされるだろう。3年間過ごした我が子とのかかわりの中で、「親としての責任感」ももてるようになる。つまりは、「しっかり責任をもって稼ぐぞ!」という使命感みたいなものが生まれてくる。それは、雇用者にとっても悪いことではないだろう。

さらに、その3年間の中で、夫婦の関係もより深まるだろう。信頼関係もより強固なものになるだろう。

それより何より、子どもにとって、それは最善の利益となる。幼稚園に入り、小学生になれば、少しずつ、自然に親離れしていく。健全な親離れのためにも、最初の3年くらいは、親子の濃密な関係を生きてあげてほしい。

さて、

子育てを、「権利」として認めることはできるのだろうか。

子育てに自信も、誇りももてないこの時代に。

親として生きられる喜びを、人類は取り戻すことはできるのか?!


 

最後に書いておきたい。

1歳児、2歳児の子どもは、問答無用でかわいい。

「イヤイヤ期」もかわいい。「これ何病」もかわいい。「うんち」だってかわいい。大変なことも多く、いや、大変なことばかりだけど、でも、かわいさで全部清算される。0歳児の完全なる無垢さ、そして、赤ちゃんならではの静けさ。1歳児のあのとぼとぼとした歩き方、声か音か分からないあの赤ちゃんの天使の肥え、2歳児の愛狂しい笑顔やひねくれ感、どれをとっても、いつを切り取っても、かわいいに尽きるあの罪深さ。

…けれど、そんな子どもを、「かわいい」と思えるためには、心の余裕、そして経済的なある程度の余裕が必要。

子どもの権利も大事だけど、その権利を守るためにも、親の権利というのも、同時に考えなければいけない、と本気で思う。

 

親に、子育てをする権利を!

 

これは、無謀な要望だろうか。。。

日本の権力者のみなさま、どうぞ、親に子育ての権利を認めてください。

せめて赤ちゃんの時だけでも、父親、母親問わず、そばにいさせてください。

親も望んでいることですし、子どもだって望んでいることです。

保育園を作ること、子育て支援の充実もいいですけど、まずは、親に子育てのチャンスを与えてください。

みんな、好きで働いているわけではありません。仕方なく、なのです。

ならば、せめて産後の3年間は、少しでも労働社会から離れ、家庭を大事にさせてください。

その後は、頑張って、会社のため、企業のため、国家のため、あるいは政治家のために頑張って働きます(?!)。

人間として、親として、生物として、当たり前にやってきたことを、当たり前のようにやらせてください。

よろしくお願い致します。

 

(*あくまでも、一つの思考実験です。あしからず)

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

kei
宝田さん

ありがとうございます! 記事も拝読しました。

このテーマについては、もっと考えていこう、と思いました。またお会いして、語りたいですね!!
宝田
リンクさせていただきます。
http://ameblo.jp/higashinojiri/
興味深い、というか、素晴らしい発想だと思います。
フェイスブックと、自分のブログより、リンク貼らせていただきますね。
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