今日は,小学校で福祉の授業のお手伝いをしに行った。これまでは主に観察だけしかしてこなかった。こうやって福祉の授業に主体的に参加するのは初めて。かなり心配だった。(中学、高校だと経験はあるんだけど、小学校は本当に初めて・・・)
今日のお題は『福祉,ボランティアは何か』。究極のテーマだ。 小学生に福祉ってどこまで理解できるのか? かなりの難題だった。大学生や短大生、そして高校生に教えるのは慣れているが,小学生に教えるなんてホント想像範囲を超えている…
だが,実際にやってみたら,一言ですごかった… 子どもたちの食いつきもすごくて,驚きと発見の連続だった。
授業の中身
僕が話す前に、先生が、「福祉=しあわせ」ということを伝えていた。だからか、(いい間違いなのだが)福祉というと、金持ち、笑顔、親がいること、といったイメージがある、と子どもたちは言うのだ。子どもたちにとって、福祉は幸せと同義であり、素朴に彼らの幸福感を聞き知ることができた。
福祉の対象はどんな人かという先生の発問に対しては、お金持ちの人、全世界の人間、困った人、障害をもった人、等々が挙がった。やはりどうも「福祉」という抽象概念はつかみにくそうだ。
●「ディズニーランド」(導入)
僕は、よく福祉のことを説明する時に、「ディズニーランド」をとっかかりにする。千葉の子どもたちなので、この辺は食いつきがよくて、「ディズニーランドに行ったことのある人は?」と聞くと、ほとんどの子どもが手を挙げた。数名手を挙げなかったので、「じゃあ、ディズニーランドにも、遊園地にも行ったことがない人?」と聞くと、1人を除いてすべての子どもが手を挙げてくれた(その1人がとても気になったが、今回は深くつっこまなかった)。
「ディズニーランドに1人で行ったことのある人は?」と尋ねると、1人もいなかった。「誰とディズニーランドや遊園地に行くの?」と尋ねると、親、いとこ、友だちという意見が出た。なるほど。じゃあ、親やいとこや友だちがいない人はディズニーランドに行けないのかな?」と聞くと、子どもたちは「え~」、「う~ん」という声に変わっていった。(*福祉やボランティアの根源である『友愛』を問題にしたかった)。ボランティア活動は、日常的には、相互交流的な要素が入り込んでいて、普通に友だちとして出会えばそれで十分なんだ、ということを話した。子どもたちは、「何か特別なこと」だと思っているようで、まずはそこから入り込んでいった。
とはいえ、障害をもっている子ども・大人は、そのハンディーキャップゆえに、なかなかみんなでディズニーランドに自由に行くことが難しい。ボランティアの力が発揮されるのも、こういうアトラクションのある場所だったりする。ディズニーランドはある意味バリアがいっぱいあるところ。で、みんなが普通に当たり前に行ける場所に、ボランティアの力を借りて行く。これはやはり根本的に福祉的な活動の原点の一つなのだ。子どもたちにまずこのことを投げかけてみた。
●「当たり前にしていること」。
今日授業を行った小学校の最寄の駅から東京駅まではだいたい60分くらい。身体的に障害をもった人だとどれくらいでいけるだろうか。その際、どんなことが問題になるだろうか。このことも問うてみた。
子どもたちはだいたい60分~90分と言っていた。だが、車椅子の人や身体になんらかのハンディーキャップを負う人だと、もう少し時間がかかる。今はどこでもエレベーターやエスカレーターが設置されているから比較的スムーズにいくけれど、それでもいろんな障害があって、思わぬところで時間を食ってしまう。福祉の対象となる人は、普段なんでもないことが足かせになったりする。そのことも子どもたちと一緒に考えてみたかった。
最後に、well-fare(とりあえず上手に一日を過ごすこと)というwelfareの語源を説明して、お話を終えた。障害の有無を問わず、人間は一日を乗り越えるために色んな活動をしている。その活動を見渡すことも、福祉の理解にとって欠かせない作業なのだ、と僕は考える。
続いて、質問タイム。子どもたちが予め質問を用意してくれた。
①どうしてボランティアをやろうと思ったのですか?
②障害をもった人はどんな生活をしているのですか?
③バリアフリーって何ですか?(辞書的な意味は分かるけど具体的に分からない)
④ボランティアってどういうことをしたらいいんですか?
⑤障害は身体の体質と関係があるんですか?
こういったことに疑問をもってくれていた。とりあえず自分なりに分かる範囲で話したが、どうだったか。。。
①に対しては、「ディズニーランドに行く友だちを増やしたかったから」と答えた。親や友だちと行くのとはまた違った楽しみや感動があるんだよ、と言うに留めた。
②に対しては、「実際に聞いて見るといいよ」と返答。ただ補助的に、「普段僕らがしていることの一つ一つを考えてみて、どういうところで困難が出てくるかは想像できるんじゃない。朝起きたら君たちは何をするの?」と聞いたら、たくさんのことが出てきた。それを一つ一つ、色んな状況に当てはめて検討したら、「なるほど」と言ってくれた。
③については、「難しいよね」といい(その時、質問をした生徒はちょっと嬉しそうだった)、「例えば、学校の校門の前に突然川が流れていて、橋がかかっていなくて、学校に行けなかったとしよう。どうする?学校に行けないんだよ?!」と問うてみた。子どもたちは、ザワザワして、数名の人が「橋を作ればいい!」と答えてくれた。「でしょ。この場合、バリアは「川」、で、橋を架けることで、川がフリーになる(川を安心して渡れるようになる)。そんな感じかな」、と言うと、その質問者の子どもは、はっとしたような顔をして、首を縦に動かしていた。
④に対しては、普段していることをしっかりすることから始めたいねと一言。ここが重要。一例を出す。「例えばここにいるAちゃんが消しゴムを落とすよね。そして、ちょっと遠くの友だちBちゃんのところまで消しゴムが転がっていってしまった。その時、Bちゃんはどうする?」と聞いてみた。そうしたら、「拾ってわたしてあげる!」と言った。「そうでしょ。それだって立派なボランティア行為だよね。自分で拾って、お返しをもらうことなく、Aちゃんに返してあげる、これだって一つの福祉的な活動なんだよ。自分ができないこと、したいけどどうやっても無理なことを、ちょっとだけ手伝うこと。それが「普通にうまく生活がまわる=welfare、ってことじゃない?!」。
⑤に対しては、「誰にでも起こりうる」ということを様々な例を用いてお話してみた。特に車で怖い目にあったという子どもが多かったので、その辺から福祉、障害、高齢という問題を考えてみた。