遂に、この日が来てしまいました。
僕が「50代」になるその日が…。
クソガキでどうにもならなかった僕が50歳になるその日が、来てしまったんです。
でも、40代に突入した頃のような悲壮感というか、焦燥感みたいなものはありません。
自分の年齢に、何の感情も、何の気持ちも入らないっていいますか。
「はぁ、50歳ですか、、、」っていう、どこか他人事のような、、、
40代までは、なんとなく「想像」できていたんですよね。
でも、50歳って、なんの想像もしてなくて、「ああ、こんなものか…」っていう。
率直な感想としては、「よくもまぁ、50年も生きてこられたな」っていう安堵の気持ちの方が大きいですね。
かつては「人生50年」って言われていたし、50年生きられたら、もうホントに凄いでしょ…っていう気持ちの方がデカくて。
だから、40歳になった頃のような悲壮感も焦燥感もなくて、「やれやれ…」っていう気持ちが強いです。
50年生きたか…って。
…
人生がめちゃめちゃ壊れた10代。
その立て直しと学問に目覚めた20代。
がむしゃらに動いて働いて研究して「我が道」を見い出した30代。
そして、たくさんの厳しい現実に直面しつつも、どうにかこうにか乗り越えた40代…。
はっきり言って、楽な時代は全くありませんでしたね、、、💦
10代も20代も30代も40代も、ホントに必死だったし、辛いことの連続でした。楽しいこともぽつぽつあったけど、でも、やっぱり生きていくってしんどいことだし、辛いことの連続だし、仏陀の言ってたことは間違いなかったな、とも。
一切皆苦(いっさいかいく)
ホント、この50年の人生を振り返ると、苦しみの連続、修羅の連続だったなって思います。
あ、でも、全部、「振り返れば」、ですよ。
だから、きっと、人生って、最後の最後まで「苦」と共に生きてくんだろうなって思います。
それに、僕は、身体に悪いものが大好きで、酒もタバコもラーメンも塩分も油分も糖質もいっぱい摂取しています。果たして60歳を迎えられるのかどうかも疑わしいんです。
2023年10月19日に、心の奥底から敬愛するBUCK-TICKの櫻井さんが他界しました。この時に、僕のある種の人生観が変わりました。
「60歳まで生きることは決して簡単なことでも当たり前のことでもない」、と。
櫻井さんは、このままずっと60代になっても、70代になっても、僕らのために歌ってくれるものと信じていました。櫻井さんは「魔王」とも呼ばれていて、いつまでもお元気で、いつまでも最高にかっこいいロックスターだと本気で信じ込んでいました。その櫻井さんが、突然Heavenへと飛び立っていってしまったんです。Moonlight Escape...
この時から、本当にリアリティーをもって「死」を考えるようになりました。
櫻井さんが亡くなった歳が、僕の新たな一つの基準になったんです。そうすると、僕の人生もあと「10年あるかどうか」っていうことになります。70歳まで生きられたとしても、あと20年で終わる人生なんです。(僕の中では、70歳まで生きられるという確信はほぼ0%なので…)。
だからこそ、「メメント・モリ」、今後は「死」を常に想定して生きていきたいなって思うんです。
それは、ある種、究極のポジパン哲学なんです。死の絶対的肯定、というか、、、。
「死にたくない」「できるだけ長く生きたい」ではなく、「美しく死にたい」「死ぬその時までしっかり生きたい」「死ぬことを待ちわびたい」、という究極の哲学。(もちろん「死にたい」とかっていう話じゃないですよ)
なんていうか、この50年、ホントに必死に懸命に「生きた!」って思っています。もう少しテキトーに生きることもできたとは思うんですが、どこまでも自分を追い込み、自分を苦しめ、そして、生き抜いてきたっていう実感はあります。
だから、もう、「十分だろ?!」って思えるんです。
もちろん、まだまだやりたいことややるべきことはいっぱいあります。少しでも長く生きたいとは思います。が、それと同時に、「こんなちっぽけな自分でも、こんなめちゃめちゃな人生を歩んだ自分でも、ここまでやることができた」って思えているっていうか。
…
今でも、14歳の時に、不登校になって、すべてがぶっ壊れた日々のことを覚えています。
「これから、どうなるんだろう?」、「これから、どうやって生きていくんだろう」って、とんでもない大きな不安というか、将来への不安を抱えていました。ホンキで、「僕って、これから生きていけるんだろうか」って悩んでました。
たかが学校に行けないっていうだけなのに、「自分の人生は終わった、詰んだ…」って確信していました。僕が中学生の頃は、まさに「受験戦争時代」であり、過去にないくらいに学歴がものをいう時代に変わろうとしていました。学校の勉強ができない=まともに就職できない、っていう価値観もすっかり刷り込まれていました。
不登校っていうレッテルもあり、自尊心はほぼゼロの状態になり、学力はどん底に落ち、まさに「真っ暗闇」の中を生きていたと思います。その闇の中で、色んなアーチストや作家さんや俳優さんに出会い、「生きる意味」を見い出していくんですけどね…。
この不登校経験がなかったら、まったく別の人生を歩んでいたと思います。
一度、めちゃめちゃになった人生を立て直すのに、いったいどれだけの時間を使ったことか…。もしかしたら、今もまだ、その人生の立て直しの途中なのかも…?!って思うこともあります。劣等感…とは違うかもしれませんが、「なんとかしなきゃ」っていう焦りというか、不安は今も自分の心の奥底に残っているような気もします。
ただ、そんな僕でも、50年の人生を歩むことができたんです。
とりあえず、50歳になって、なんとか食べて生きていけてる…。なんとか、この社会の中で、経済的に自立して、働いて、お金を稼いで、食べて、生きているんです。もうね、それだけで「100点じゃん…」って思うんです。
不登校を経験した人はみんな、「これからどうやって生きていこう」って漠とした不安を抱えていると思います。また、不登校の子どもをもつ親も、「この子は、これからこの社会でどうやっていきていくんだろう」と焦りと不安でいっぱいになっていると思います(うちの母もそんな感じでした)。
その問いの答えって、結局は自分自身で(あるいは親子で)見つけ出していくしかありません。僕も、親のサポートを受けつつ、なんとか(世界の中の孤立から抜け出して)この社会の中で、居場所だったり、学ぶ場所だったり、働く場所だったりを見つけることができました。
だから、50歳までこうやって社会の中で生きられたってだけで、満足している部分があります。(もちろん、もっともっと自分のすべきことをしっかりやりたいとは思いますが、、、)
50歳になるこの日を、こんな風に穏やかに、朗らかに迎えることになるとは、思ってもみませんでした。
50年、生きただけで、ホント、すごいんだよ…ってね。
光陰矢の如しですけどね。
と、長くなってしまいましたが、、、
このブログでは、誕生日の日に一年の大反省会をやってます!
>昨年の「サヨナラ、48歳の僕」の日記はこちら!
>一昨年の「サヨナラ、47歳の僕」の日記はこちら!
>三年前の「サヨナラ、46歳の僕」の日記はこちら!
このブログを遡ると、過去の自分がどんなことを考え、どんなことに悩み、どんなふうに生きてきたかが分かって、楽しいんですよね。でも、長年書き続けてきたgooブログもあと数か月で「消滅」します。
gooブログで書く「誕生日の日記」もこれが最後になります。
…
ACTIVITY
この1年、色々と社会活動だったり、メディア出演だったり、色々動くことができました。一番嬉しかったのは、やっぱり「NEWS23」に出られたことかな?! ずっと大好きだったニュース番組だったし、このニュース番組で「世の中」のことを学んだし、筑紫哲也さんの「多事争論」は最高の僕の学びの教材でした。そんなNEWS23で、自分の名前やコメントが出たっていうのは、この上ない喜びでした。あと、ここでは書けませんが、水面下で、とんでもなく大きなミッションを果たすことができました。僕がどれだけそのミッションに貢献できたかは分かりませんが、自分にとっては唯一無二の大きな夢というか、大きなミッションを果たすことができ、よかったなって思っています。あと、千葉で、「千葉のラーメン」についての講演会をすることができたのも、大きな喜びになりましたね。オンラインではびっくりするような数の人が聴いてくれたみたいで、やってよかったです。
BODY
身体的には、ホント大変です…。毎年毎年、大変になってきています。髪の毛👦はこの数年でずいぶんと減りました(苦笑)。鏡で自分の顔を見ると、「老けたなぁ」って思うし、肌の艶もなくなっていくのを感じます。体のどこかがいつも痛いし、どこかの痛みが消えたら、また別の所が痛くなり、、、。また、数年静まっていた「尿管結石」も再来し、今現在、苦しんでいます。多分、死ぬまでこの尿管結石には悩まされるんだろうな…。体重はまぁ、昨年並みに抑えられていました。昨年より600gくらい増えました。これだけ色んなものを食べていて、+600gなら、まあまあ頑張ったんじゃないかな?! タバコは吸うし、酒も毎日飲むし、ラーメンもほぼ毎日食べているけど、それ以外は禁欲的で健康的な生活を送っているとは思います。野菜はもう少し食べたいとなぁ~~…
SOUL
精神的には、はっきりと思います。「とても50歳とは思えないくらいに、幼稚で我がままでガキのままだな」って(;´∀`)。自分で言うのもなんだけど、全然「オトナ」じゃない…。50歳って、こんなにもガキで幼稚でどーにもならないもんなんだなってはっきりと思いますね。他の50歳の人がどうかは分からないけど、僕に関して言えば、ホント「しょーもないオトナ」だなって思います。ええ、自覚していますとも…。もう少し、落ち着いて冷静沈着でダンディーでナイスミドルな大人になっていると思っていたんですが、ダメですね。ここまで来ると、もう僕って、このままガキのまま、しょーもない大人になり切れないオトナとして生きて死ぬんだと思います。変わる努力はしますが、無理なものは無理ですね…。もう少し嫌われない・引かれない・変わり者と呼ばれないまっとうな大人になりたいもんです。
STUDY🖋
この1年、研究活動は…、絶望的にダメでした( ;∀;)。お仕事とかお仕事とかお仕事とかが忙しくて、じっくり研究する時間が全く取れなかったです。いや、それだけの余裕が全くありませんでした。ここはもうとっても後悔しているし、反省しているし、もっと反省しなきゃいけない点ですね。論文も本も書かなかったし、書く仕事はほぼ何もできませんでした。しませんでした。する気になりませんでした。これも認めます。でも、それくらい、お仕事的に余裕がなくなっているっていうのもあります。これからの残りの研究人生をどうするのか、どうしていくのか。真面目に考えないといけないところに来ています。49歳の1年は、ホント研究的には最低最悪の1年になりました。…が、その一方で、地味に「これからのパースペクティブ」は見えてきたというか、今後の研究の方向性が少し定まってきた感はあります。目に見える動きはなかったけど、研究の見通しはまた少しずつ見えてきたかな?っていう感じです。ええ、「ローマは一日にして成らず」ですからね。
EDUCATION💯
教育については、うーん、もうちょっと難し過ぎますね…。2020年以降、ホント(悪い意味で)色んなことがあり過ぎて、教育への情熱というか、教育へのこだわりみたいなものが、この1年で消えてなくなった気がします。これまでずっと、「このスタイルを守り続けるんだ」と思ってやってきたけど、もう無理ですね…。情熱的で熱血でガチンコでぶつかる先生は、もう「生存不可能」になっています。社会的にも寛容さが消えてなくなりましたが、それ以上に、今の人たちは「先生」のことを、「お世話してくれる人」「自分の都合で動いてくれる人」、「何を言っても(文句を言っても)大丈夫な人」くらいにしか思っていないような気がして…。だから、ちょっとでも厳しく言おうもんなら、「は? 何様?」「ハラスメントで訴えますよ」「不快ですけど…」ってなるんですね。だから、この49歳の1年で、「先生」としては、もう役目を終えたかなって(ちょっとだけ真面目に)思っています。教育はもうやらなければやらないほどよい、とも。ただ、それでも、学ぶ気持ちのある人がいれば、その人たちのためには、全力でやりますけどね。人を見て、教育的に関わるかどうかを判断していきたいなって思います。僕の教育の根っこは変わっていませんが、やり方はかなり変えましたね。
RAMEN🍜
49歳のこの1年、ラーメンにはとても恵まれた1年になった気がします。国内も色々と食べ歩きして周ることができたし、5年ぶりのドイツ語圏のラーメン巡りもできたし、何よりもミュンヘンの「Monaco Ramen」に出会えたのは、大きな喜びになりました。また、数年ぶりに横浜エリアでの非常勤のお仕事も始まり、神奈川のラーメンもいっぱい食べられました。RAMEN✖SUSHIという新たなコンセプトも得ることができました。あと、人生初の「鹿児島県」「大分県」のラーメンの食べ歩きができたことは嬉しかったなぁ~。大分の佐伯ラーメン巡りは本当に感動✖感動でした。15年ぶりに青森の「くどうラーメン」にも行けてよかったですね。青森から鹿児島まで、広~く食べ歩くことができた1年でした。「ラーメン論」としては、先述したように、ラーメンの講演会ができたのが最大のトピックですね。もう少しラーメンを語る場が増えるように、頑張りたいです。
ROCK🎸
音楽活動は、例年以上に充実しましたね。メインのNEIN!は全くもって動いていませんが、軽音部の活動はどんどん加速していきました。自分のバンドができないのはとても悲しいけど、まぁ、それもまた人生ってことで…。この1年は、若い子たちと色んな曲にチャレンジしましたね。その中でも、僕がこの1年で一番、「演奏して、楽しかったなぁ」と思ったのが、この曲ですね。👇
この曲は、今の若者たちにとても人気のあるコレサワさんという人の曲で、すごく軽快なポップスでありながら、これまでにない「歌詞世界」というか、これまでにない視点からの「ラブソング」になっていて、興味深い一曲でした。
あ、あと、この1年で、ドラムが(ちょっとだけ)嫌になり、ギターに再びハマっています。もともとギタリストだったし、ギターへの興味や関心がすごく出てきた1年でした。ドラムはやっぱり難しいっす…。ギターも難しいけど、もともとギターが好きで音楽を始めた人間なので、なんか「懐かしい」っていうか、「やっぱギターって楽しいな」って思うに至りました。久々に「オリジナル曲」も作ったりして、楽しくやれていますね。50歳になっても、ROCKIDSスピリットで、音楽ライフを楽しみたいなぁって思っています。
2025年6月。
これから50代の日々が始まります。
いったいどんな50代を過ごすことになるんでしょうかね?!
40歳になった時は考えなかったけど、50歳になる今、「60歳を僕は迎えることができるのか」と考えてしまいます。正直、60歳まで生きられるのかどうか、それも危ういというか、心配するところであります。
ホント、40代の頃は、50歳が来ないかもしれない、とはあんまり考えていませんでした。もちろん「不慮の事故」に巻き込まれる可能性はありますが、50歳まで生きられないのでは?という不安はありませんでした(いや、ちょっとはあったかな…)。
でも、50歳の今、「60歳まで生きられるんだろうか?」という問いが頭の中をぐるぐると回っています。
60歳まで生きることは、簡単なことではない…、と。
だから、「還暦」というのは、大いに祝うべきだし、本当に凄いことなんだってしみじみ実感をもって思うのです。
…
これからの1年は、ちょっと真面目に「研究」の方に力を入れたいなって思います。1年というか、これからしばらくは…。カントやガダマーが自身の大作を書いたのが、50代の終わり頃でした。僕も、50代の終わり頃に、圧倒的な学術書を書きたいという欲望があります。誰も真似できない、誰にも迎合しない学術的な本を出したいなって。
50代は、自分の原点に立ち戻って、しっかりと学問を突き詰めたいなって思います。
40代もそれなりに頑張りましたが、そのレベルじゃない頑張りをしたいなって。で、50代の終わりに、超分厚い学術書を完成させたい。そう、カントが『純粋理性批判』を書いたように、そして、ガダマーが『真理と方法』を完成させたように。
つまりは、学者としての「完成作」を仕上げたいなって思います。
それまでは、しっかり生きないとダメですね、、、(;´∀`)。
僕の永遠の師匠であるハンス・ゲオルク・ガダマーの最高傑作。
ガダマー先生にも「いいじゃないか」って言われるような作品を書きたいですね(無謀だけど…)。
…
これで、gooブログでの「バースデー記事」は最後になりますね。
ブロガーとして、今後どうしていくかも、色々と考えています。
一応、お引越しをして、このgooブログの記事は残そうとは思いますが、、、
ブロガーとしての役割は、ホント、終えたかなぁっていう気もしています。
あとは、辞める勇気が出るかどうか、かな、、、とも。
ブログもね、ホント、時間を使うんですよね。一つの記事を書くのに、ホント何時間もかかってますからね。
今後どうなるかは、それこそ「神のみぞ知る」ですけどね。
…
最後に、、、
49歳の1年で、一番愛して聴いた曲は、、、
まさか、この2024年~2025年に、ZIGGYの曲にどっぷりハマるとは、、、(;´∀`)
ホントにホントに大好きな曲で、またとても大切な1曲になりましたね。
このアルバム、本当に本当に最高にロックでかっこいい1枚でした💓
Dear next,,,