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Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

さよなら平成、平和な時代をありがとうございました。

いよいよ、平成の時代が終わりますね。

1989年1月7日に始まった「平成」の新時代。

この年を振り返ると、、、

この1月の20日に、アメリカでは、第41代目大統領にジョージ・ブッシュ氏が就任。

2月10日、D'ERLANGER, LA VIE EN ROSE、リリース。

4月1日から、日本初の「消費税」が導入され、3%の消費税がかかるようになりました。同日、Xのデビューアルバム、BLUE BLOOD、リリース。

4月27日には、中国で、民主化を求めた「天安門事件」が起こります。(当時の中国は途上国でした)

6月24日には、昭和の歌姫、美空ひばりさんが亡くなりました。

7月21日、ZI:KILLの「真世界~REAL OF THE WORLD~」リリース。

9月10日、かまいたちの「いたちごっこ」リリース。

11月9日、ドイツでは、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統合されます。

12月3日、米ソ首脳会談が行われ、「東西冷戦」が終結。

…と振り返ると、平成は、「東西冷戦後の時代」だったと言えるかもしれません。

当時の僕は、14歳でした。

その前年から「不登校児」になり、人生で一番真っ暗な時間を過ごしていました。真っ暗な時間の中、不安を抱きつつも、バンドの夢を見て、心をキラキラさせていました。平成元年、XとD'ERLANGERとZI:KILLが共に後の「名作」をリリースし、伝説のバンドかまいたちも「いたちごっこ」をリリース。まさに、V系の歴史の幕が上がる1年でした。僕は、学校を拒否して、後のV系となる新たなシーンにゾクゾクしていました。

記憶を辿ると、昭和天皇が崩御された時、僕は、恐らく家族とどこかに旅行に行っていました。その旅先で、崩御のニュースを聞いたことをうっすらと覚えています。テレビの中で、小渕元総理が「平成」の文字を掲げ、「ふーん」と思った記憶もかすかに残っています。ただ、悲しいかな、それくらいの記憶しか残っていません。ただ、国全体が暗く重い気分に包まれていた気がします。

その当時の日本は、「バブル景気」に浮かれつつ、「バブル崩壊」に向かう最中でした。

日本中の誰もが浮かれていて、過度な贅沢に酔いしれ、浮足だっていました。トレンディードラマは、もう今とは比べ物にならないくらいに、はじけたものばかりでした。W浅野コンビ全盛期。

昭和の終わり頃から、空前のバンドブームが訪れ、原宿ホコ天でみんなが騒ぎ、若者たちのパワーも溢れんばかりでした。

その一方で、上述したとおり、平成の夜明けの頃に、アンダーグランド界では、黒いダーク系のバンドが続々と生まれていました。

(*1991年、ZI:KILLのデビューシングル曲。これをデビューシングルにするんだから…(;´・ω・))

また、別のアンダーグランド界では、「オウム神仙の会」が「オウム真理教」となり、力をつけていきました。平成初期に、オウムが生まれ、そして、どんどん力を付けていきました。

戦後の貧しい時期を超え、経済的な豊かさを手にした日本人ですが、それと引き換えに、「心」を失っていった時代に、平成が始まったと言ってもよいかもしれません。90年代は、「物質的な豊かさから、精神的な豊かさへ」というキャッチフレーズがはびこり、その流れの中で、人間の内面を見つめるヴィジュアル系や新興宗教が広まったのかもしれません。今思うと…。

バブルの崩壊、物質から精神へ、そして、その精神的解放から権威主義への回帰へ。

平成の時代は、①経済至上主義に始まり、②心理学主義(精神)の時代を経て、③保守的な権威主義の時代へ、そう考えてもよいかもしれません。三つのフェーズがあった、と。カネからココロへ、そして、ココロからアイコクへ。(「自己」のない日本では、常に何かにすがりたいという無意識的な欲望があるのかもしれない…)

当時14歳だった僕は、学校に行かずに、昼夜逆転の生活をして、深夜番組に没頭していたので、わりとその当時の世界の動きには敏感でした。ケータイもスマホもパソコンもない時代ですから、テレビ(と雑誌)だけが、学校に行かない僕の「情報源」でした。そう、平成の夜明けの頃は、(一部の人をのぞく)ほとんどの人が、パソコンも使わず、ケータイもスマホもない生活を送っていたんですよね。個人が世の中にメッセージを発するなんて、誰も考えていなかったと思います。

1990(平成2)年に大ヒットした曲といえば、これでしょう♪

昭和の最後に伝説のバンドとなったBOOWYの布袋さんが新たに始めたユニット。平成の夜明けを感じる楽曲になっていると思います。吉川さんの服装に「バブル」も感じますし、また、昭和歌謡っぽいサウンドから、デジタルロックっぽさを感じる新たなサウンドになっています。昭和がアナログの時代であれば、平成はどこまでもデジタルになっていった時代、と言えるかもしれません。カセットテープが消え、そして、CDが広まる時代でもありました。

1992年に、日本も(世界の動きに遅れつつも)「児童の権利に関する条約」に署名し、1994年に批准します。当時はまだ「子どもの権利」など、ほとんど誰も関心をもっていなかったのでは、と思います。事実、「不登校」だった僕は、「ケアの対象」にはなっておらず、放置されるだけでした。(若干、カウンセリングもどきの対策は取られていましたが…) もちろん、「児童虐待」など、話題になることもなく、「家や家族を大事にする日本には、海外でいうようなchild abuseなど存在しない」と認識されていました。

バブル経済に浮かれつつも、その「闇」や「病み」が徐々に顕在化されていったのが、平成の時代でした。

1995年3月20日に、オウム真理教が「地下鉄サリン事件」を引き起こします。戦後日本の闇と病みが一気に噴き出るような事件でした。優秀な若者たちがいわゆる「カルト」にはまり、「麻原」という一人の人間を絶対化し、社会全体に敵意を向ける。今でこそ、世界中でテロリズムが勃発していますが、そのモデルにもなったと言われる平成史で最も記憶に残る凶悪犯罪が起こりました。

少年犯罪全体としては減少しつつも、世の中を震撼させるような少年犯罪も起こりました。二つの事件が思い浮かびます。

一つは、1997年に起こった「神戸連続児童殺傷事件」。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る人物の犯行声明文が話題になり、プロファイリングも盛んに行われましたが、逮捕されたのは、14歳の男子生徒でした。14歳の男子生徒が(動物に続いて)小学生を次々に殺傷していく、という理解不能性に皆が衝撃を受けました。(後に、この「少年A」は『絶歌』という本を書きました。そのレポはこちら

もう一つは、「ネバダたん」という言葉で「あ!」と思う人もいるかと思いますが、2004年の「佐世保小六女児同級生殺害事件」です。この事件は、小六の女子生徒が同級生をカッターナイフで切り付け、殺害する、というものでした。平成の歴史を考えると、上の神戸の事件よりも、ある意味で、インパクトのある事件でした。というのも、小六のこの二人はネットで仲良くし、チャットをし、掲示板を使っていたからです。平成を「ネット時代の幕開け」と考えるならば、この2004年の事件は、まさに「時代が呼び起こした事件」と言えそうです。また、この女児は、NEVADA-TANとネットで称され、世界に広まり、2007年には、ドイツで「NEVADA TAN」というラップグループまで登場したのです。グローバル化、グローバリズムを直に感じる事件でした。

平成という時代は、まさに、アナログからデジタルへと変わり、そして、グローバリズムへと向かう時代だったと思います。キーワードは、「パソコン」、「ケータイ」、そして「スマホ」です。

この30年を振り返ると、パソコン、ケータイ、スマホに振り回された30年だったかな、と思います。というか、今もまさに、振り回されていると言いますか…。テレビ・ラジオと雑誌しかなかった時代から、誰もが情報発信者となる「ネットの時代」へ。そして、そのネットの基盤を作ったアメリカが世界の情報を管理する時代へ。

今や、GAFA(Google×Amazon×Facebook×Apple)が世界を圧倒する時代に突入しています。(インスタグラムは事実上Facebookに吸収されているので、インスタもこの中に入ります)

平成のこの30年で、情報革命が起こり、僕らは、人類史上最強の小型機器-スマホーを手にするようになりました。もはや、(一部の国を除く)世界のどこにいても、道に迷うことはないでしょう。あらゆる情報が瞬時に手に入るのです。スマホさえあれば、もう何もいらない、そこまで来てしまいました。中国では、このスマホを元に、「社会信用システム」を構築し、全ての人の「点数化」に成功しました。自由を手に入れたはずですが、同時に、スマホから僕らの個人情報を管理できるようにもなりました。

この技術の革新とひきかえに、僕らのこの世界は、テロリズムと直面することになりました。インターネットの世界ゆえに、世界中のテロリストたちがつながっていき、組織化されるようになり、世界中でテロリストたちが「育成」されるようにもなりました。その「はじまり」となったのが、忘れもしない2001年9月11日、アメリカでの同時多発テロでした。20世紀の覇者アメリカで、しかも(自由の女神のそばの)シンボル的なワールドトレードセンターに飛行機が突っ込みました。いきなりジェット機がビルに突っ込む映像の衝撃は、今でもはっきりと覚えています。

平成の後半は、不安定な世界状況の中、また日本国内の政治的経済的混乱の中、僕らは皆、怯えるようになっていきました。「何か、怖い」、というような、集団的不安のようなものが常に出てきました。2001年6月の付属池田小事件、2008年6月の秋葉原通り魔事件などに代表される凶悪犯罪、そして、忘れもしない2011年3月11日の「東日本大震災」とそれに続く数々の「自然災害」。日本人の中にある「不安」が一気に爆発したように思います。

東日本大震災以後、日本は、(いいか悪いかは別にして)保守化を強めていきます。今振り返れば、当然の流れだったかもしれません。東日本大震災で、町全体がつなみに飲み込まれていく映像を何度も見せられました。平成30年3月の時点で、死者数は1万5895名で、なお2539名の行方が分かっていません(参考)。この大震災後、国内では、「日本人をひとつに」「日本をひとつに」「みんなひとつに」というスローガンが飛び交いました。戦後、もしかしたら初めて「国の危機」を感じたのかもしれません。1990年に「1990」をリリースしたCOMPLEXも、この年に復活し、「日本一心」を訴えました。バンドマンも、「自由」や「反抗」を歌うのをやめ、「みんなひとつに」「日本を愛そう」と歌うようになりました(ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」、RADWIMPSの「HINOMARU」も話題になりました)。社会の意識が変容した、と言ってもよいかもしれません。「東日本大震災と社会意識の変容」という論文もありました。

僕自身も、「母国を愛そう」「祖国を愛そう」というポジティブな気持ちは純粋な気持ちだと思います。この純粋な気持ちは、恐らくバブル崩壊後、そして、東日本大震災後に、強まっていった気がします(バブル期に「国を愛そう」と叫ぶ若者はほぼいなかった…)。でも、それは、一歩間違えると、とてつもなく危険な思想に変わるんですね(北朝鮮も「祖国を愛そう」と常に言い続けています)。

バブルの崩壊、物質から精神へ、そして、その精神的解放から権威主義への回帰へ。

平成の30年を僕なりに総括すると、こういう流れかな、と。

また、平成の時代は、まさに「デジタル化の時代」でした。

と同時に、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌といった昭和の代表的なメディアの権威が剥がれ落ち、僕らみんなが「メディア」となり、情報を発信するようになりました。

2005年に僕も、ブログを始め、今に至っています。このブログも15年目に入っていますので、平成のほぼ半分の時間を「ブロガー」として生きてきたことになります。(その前に、ホームページビルダーでホームページもちょっと作ったっけ!?)

20世紀末に、皆が「電子メール」を使うようになりました。若者の多くが、「電子メール」に夢中になりました。1998年、僕がドイツに留学していた頃、世界の若者たちは皆、電子メールに夢中になっていました。当時の僕はまだ電子メールを使いこなせておらず、国際電話や国際エアメールに頼りっきりでした(汗)。

大学でのレポートも、PCを使って作成するようになりました。パソコンもどんどん普及し、プリンターも普及し、手書きから手打ちになっていきました。1995年~2004年まで大学生~大学院生をしていた僕もまた、時代にもれず、「手打ち」になっていきました。ブラインドタッチを覚え、手書きよりもはるかに速いスピードで文章を書けるようになっていきました。

平成元年、僕たちは誰も、「スマホの登場」を想定していなかったと思います。

同じように、きっと次の時代、令和の時代の終わりには、今想定していないメディアが登場し、そして、スマホに「ノスタルジー」を感じる日が来るのでしょう。今、僕らが、ポケベルやPHSやケータイにノスタルジーを感じるように…。「ブログ」は、残り続けるのでしょうか。このブログは残っているのでしょうか。

いずれにせよ、平成の時代には、この国では戦争は起こりませんでした。一つ前の昭和の時代には、想像を絶する恐ろしい戦争が起こりました。日本国内だけではなく、アジア全域にわたる壮絶な戦争でした。国内では「原子爆弾」が落とされました。国外では、多くの人が犠牲になりました。天皇陛下に倣い、僕もパラオに行き、ペリリュー島に行ってきました。

僕自身、ずっと「被害者」として、戦争を考えてきましたが、ペリリュー島では、「加害者」としての戦争を感じることができました。(もちろん頭の中ではどちらも分かった気でいましたが、異国の地で、日本軍の戦車や戦闘機を見ると、「侵略してきたんだ」と強く実感させられます)

でも、平成の時代には、戦争はありませんでした。天皇陛下の「平和」への願いが届いたのだと思っています。

これ以上に尊いことはありません。もちろん、自然災害が常に起こり得る日本ですから、「平和でよかった」とはなりません。この平成の30年で、いったい何人の人が災害に巻き込まれて亡くなったことでしょう。ただ、「戦争が起こらなかった」という事実は、僕たちみんなの胸に残しておきたいです。

人類の歴史は「戦争の歴史」でもあります。戦争がないということ自体が、ある意味で「奇跡」なんだと思います。

ただ、今後、「戦争体験者」がゼロになる時代がすぐにやってきます。戦争を語れる人がいなくなるんです。そうなった時に、誰がどうやって戦争の悲惨さを伝えていくか。令和の時代に、僕らが必ず直面する問題となります。

平成、さようなら。

平和な時代を心からありがとうございました。

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

kei
Unknownさん

コメントありがとうございます。「右巻き」「左巻き」をどういう意味で使っているか分かりませんが、僕は一応学問をしている人間なので、あまり「立場」にはこだわっていません。お分かりいただけるかは分かりませんが、僕は「解釈学」がベースなので、伝統や歴史を重視しています。それに加えて、フランクフルト学派の批判理論も取り入れています。なので、いわゆる「右」と「左」のどちらの理論も大好きです。一つ言えることは、みんなが右を向いたら左へ、みんなが左を向いたら右へ。そういう感じです。

のーさん

コメントありがとうございます。最近、館山に行けていません(;;) 館山もどんどん新しいお店ができていると聴きます。ラーメン好きでラファエルがお好きとなれば、もう「お友達」ですね(苦笑) しかも、岩手ご出身とは!! 岩手はラーメン王国。岩手のどちらですか? 僕的には「宮古のラーメン」が日本最強だと思っています!
のー。
いつも拝読しています。館山の者です。ラーメン好きで血圧が上が200いきました(笑)アニメでは小泉さんを資料にしています。船橋程度ならよく通いますね。
ラファエルのライヴに行ったと記事で拝見しました。何気に僕も行ってたんで同じ箱にいたんですね。学生時代はパンクスタイルでスパイクヘアでした(笑)服装もそれでした。
因みに岩手生まれ岩手育ちの30代です。
Unknown
ほんと時事提灯記事で釣って左巻きに誘導した結論しか書けない思考どーにかならんの?

あ、ラーメン記事は面白いですよ!
kei
追記

なお、「保守」であれば、当時からたくさんの論客や学者がいました。中曽根さんも新保守主義者だったかと。

上の記事では、保守主義(新保守主義)と愛国主義は一応分けて考えています。
kei
コメントありがとうございます。

今より愛国が強かった具体例ってありますか? もちろん愛国思想や保守思想があったことも理解していますが、「今より」というのには、ピンときません。もっと詳しく教えてください。若者の中で、あるいは大人全体の中で、90年代の愛国思想が強かった例があったら教えていただきたいです!!

なお、これは読みました。
https://honto.jp/netstore/pd-book_28913044.html 
Unknown
>バブル期に「国を愛そう」と叫ぶ若者はほぼいなかった…
居ましたよ。
経済で世界を席巻していた時代です。
今より愛国強かったですよ。
14歳の貴殿は気づいてなかっただけではないでしょうか。

ラーメン記事はいつも楽しんでおります。
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