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Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

●保育園を観ること●「観歩き」のススメ♪

今年開園されたばかりの保育園を見せてもらった。

以下はメモ。

●基本的に現在の保育園は、公立と私立が混在している。公立を擁護する人もいれば、私立化を要求する人もいる。どちらがいいかははっきりと言い当てられないが、現状としてはどちらも必要である、ということなのだろう。「開業」、「創業」という観点から見れば、私立の方が自由かもしれない。ただ、どちらも国や地方自治体の助成金のお世話になっていることから、完全な民間ではないということは言える。今回見せてもらったのは本当に最初から民間の人たちが頑張って作り上げた園であり、また近くに老人ホームも隣接している新しいタイプの保育園だった。

●園長先生のお話。「現在こちらで勤務している保育者のほとんどすべてが新卒採用者です。経験者は私を含め二名のみ。だから、仕事を教えるのもたいへんです。保育の仕事は、見て覚える要素がとても強いんです。言葉で「こうすればいい」ってなかなか言えない。状況判断をしなければならない。その判断は、やっぱり見て覚えるしかないし、盗むしかないんです。だから、園長ではありますが、私も実際に保育業務に入って色々とやっているんです。」 

⇒園長先生の言う「状況判断」はとても興味深いと思った。子どもたち一人ひとりのその時々の状況や様子によって、そこから何らかの判断を下す。勿論その判断が正しい場合もあれば、それが「判断ミス」であることもあり得る。どんなに素晴らしい医師でも判断ミスを犯してしまうように。ただそういう判断は、「経験」を通じて徐々に作られていき、ゆっくりと完成されていく。ただ経験をしていれば誰もが的確になるわけではないだろう。現場での経験を確かなものにしてくれる基盤っていったい何なのだろう?

●園児たちは50人程度だった。僅かな時間だけの訪問だったが、そこからでも子どものリアルな姿を見ることはできた。保育園をたくさん見れば分かるが、その園の雰囲気や保育士の質や置かれている環境などによって、子どものカラーも当然違ってくる。今回の園は、豊富な土地と溢れる自然と簡素な建物のせいか、子どもたちがとても「野生的」であった。人間化されていない野性のままの子どもたちがたくさんいた。広場の緩やかな芝生の坂に着くやいなや、ねっころがりながら、ゴロゴロと身体全身で下に滑っていく。子どもの内にある野性をそのまま丸ごと放出することができるような場所にあるのだ。保育者たちは、広大な敷地の中で、子どもたちをしっかり見守っているが、よほどのことがない限り介入はしていなかった。敷地内の畑や草花に目を向けることもあった。一人の保育者が「だるまさんころんだ」をし始めると、子どもたちは嬉しそうな顔をして保育者に近寄っていった。

⇒この風景を見ていると、ドイツやオーストリアの保育園・幼稚園の風景を思い出してしまった。広大な敷地の中で、野性のままに遊ぶ子どもたちとそれを見守る保育者たち。もちろんただ眺めているだけではなく、危険性を察知したり、介入すべきところを見極めていたり、けんかの仲裁に入ったりする。ただ、根本的にここの保育園はのどかで広大。それだけでも「子どもにとっての最高の環境」となるのだ。ここに「野性のままの保育者」、あるいはルソーやペスタロッチーの思想をしっかりと理解した保育者がいたら、きっとさらに子どもの善さを引き出すことができるのだろう。最高の環境と賢明な保育者、このどちらも備わった保育園(あるいは幼稚園)があったら、それがベストな環境なのかもしれない。

●一人気になる子どもがいた。D君だ。D君は4歳くらい。ちょっと滑舌がわるく、早口で何を言っているのか分からない感じの子どもだった。ぱっと見るとすごく悪そうな子で、周りの子どもたちの行動と違う行動を見せる。単独行動が多くて、まさに「わが道をゆく子」であった。集団で何かをみんなで一緒にやるときも、一人だけ違う方向を見て、落ち着かない様子を時おり見せていた。他の子どもたちが興味をもっている対象も、自分が興味をもてば、我先に!と、他の子どもを押しやって、自分が独占しようとする。きっとお偉い方々はD君に適当な(本当は不適当な)概念を押し当てて、支援の対象にするのだろう。そんなD君だったが、意外な一面を見ることができた。広大な広場で園児たちが遊んでいて、それを僕がニコニコと眺めていたら、D君がよってきて、なにやら早口でつぶやいて、僕の手をひっぱって、小さな切り株のところに連れて行った。そして、そこに座れ!とでもいうような合図をうって、僕を座らせてくれた。さらにこのお庭のあらゆる場所を案内してくれ、満足そうに「枝」をプレゼントしてくれた。

⇒D君のやっている行動があまりにも極端で驚いた。一方ではかなりマイウェイな困った子ども。他方では他者に気を使うやさしい子ども(他の子どもよりもよく周りを見ている)。協調性の欠如と他者への気遣い。二つの相反する性質を併せ持つ不思議な子。僕はこういう子どもに目がいくところがある。きっとこれから小学校、中学校でたいへんな思いをするのだろう。グレるかもしれないし、荒れるかもしれないし、いじめられるかもしれない。将来のD君が実によく思い浮かぶのだ。そうした未来のD君を思い浮かべて、今のD君を見ると余計に心配になってくる。ただ、僕的には単純に「いい子だなぁ。いいところをいっぱい持っている。そこをどう生かすか、だな」、と考えた。

●わずか半日の滞在だったが、書くことはたくさんある。長い時間仕事をしているからといって、それが必ずしも「経験」になるわけではないのかもしれない。僕だって、日々の教育活動のほとんどを「忘却」してしまっている。短時間で集中して見る、ということで、そこから学べることもあるんだと思う。僕は、教師や保育士の「見歩き」を提唱しているが、やっぱり「見歩き」は自らの目を育てるためにも必要のような気がした。お膳立てされた研修じゃダメ。他者の実践に直に触れることで感覚が鍛えられるような気がするのだ。もちろん生の実践だけじゃなくて、書かれたものであってもいい。他の実践者が書いたものを読むだけでも、自分の経験を反省させてくれるのだから。

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