四月に入り、世の中はあわただしく動き始めた。
日本の四月は、一つの節目であり、転換期である。
ゆえに、変化の大きな季節である。
よい変化だけではない。
望まれない変化もたくさんある。
その一つが「失業」による状況の変化である。
今、新聞やテレビを見ると、どこでも「自殺」のテーマが挙げられている。
自殺は、四月~六月にかけて一気にその数が上昇する。
(データ的に、ずっとこの状況は変わっていない!)
四月という転換期に、望まず厳しい状況に立たされる人が増えるのだ。
ゆえに、メディアでは「自殺防止」の呼びかけが積極的に行われる。
特に今年はその呼びかけが非常に活発である。
その理由は、昨年末に起こった世界的な経済危機だ。
経済の危機はそのまま働き手や家庭に打撃を与える。
今年は、
この四月から夏にかけてかなり厳しい現実が待ち受けている、
と、大方の人が予想している。
「最悪な事態を防ぐためにどうしたらいいのか?」
と、メディアでは連日、このことが議論されている。
そのために、国による経済刺激、経済対策が求められるが、
それ以前にもっと根本的な処方箋が必要なのではないか?
と僕は思うのだ。
それは、自殺の可能性のある人の声に真摯に耳を傾けることである。
日本人(とりわけ成人男性)は概して人の話を聴かない。
いや、人の話を聴くためのスキルを学んでいない。
人の話を聴くために必要な能力をもっていないのでは?!
天気の話や、世間話や、他愛のないうわべの会話は
きっとどんな人でもできるだろう。
日本の大人なら、これは得意とすることだろう。
だけど、自分自身の悩みの問題や辛い経験はどうだろうか。
こうしたことを口にしてはいけない空気ができてないだろうか?
多くの人が、自分の辛く苦しい問題を語れずにいる。
「語ってもどうせ誰もホンキで分かろうとしてくれない」、
という諦めに近い確信があるように思うのだ。
一人、孤独に追いつめられ、誰にも相談できず、
自分ひとりでその苦しみを抱え込み、
そして、耐え切れずに・・・
そういう風土が日本にはあるのではないか?
僕はヨーロッパで、「辛い時は叫ぶ」ということを学んだ。
ヨーロッパ人もそれほど人の話を聴いているとは思えないが、
辛い時にとにかく誰でもいいから語って、叫んで、
助けを求める文化がヨーロッパにはある。
(さらに宗教があって、教会があって、コミュニティーがある)
日本人は、どうしようもない「限界状況」に立たされても、
それをどこかにぶちまけるための場所をもっていない。
「いのちの電話」や「電話相談」はそれなりにあるが、
地域の中、社会の中にそういう場所がない。
聴く人が身近にいないのだから、ぶちまけられるはずがない。
どうしようもない状況に立たされたときに、
それを実直に打ち明けて、
「辛い」という気持ちを打ち明ける場所も人も存在しないのだ。
(2ちゃんねるみたいな匿名掲示板はあるけれど・・・)
辛い気持ちを打ち明けて、それを受け止めてくれる人が
身近にいれば幸いであるが、
社会人になると、どうしても友人関係が希薄になる。
職場の人間関係以外に頼れる人間関係がないのだ。
かといって、失業で苦しんでいる人が元の職場の人に相談なんて
したくないし、そもそも、できるわけもない。
自分の辛い状況を語る場所もなければ、
それを受け止めてくれる人もいない・・・
そうなれば、どう考えたって生きる希望は見つかるわけがないし、
究極に追いつめられるのは自明のことだ。
せめて家庭の中にそれを受け止めてくれるパートナーがいればいい。
でも、日本の男性は妻に自分の弱みや苦しみをなかなか打ち明けられない。
普段から家庭で会話をしていなかったり、
家庭のことを顧みなかったり、
妻と会話・対話をしたりしていなかったりするので、
そういういざというときに、なかなか打ち明けられないのだ。
また、妻も妻で、夫に無理難題を言い、
さらに夫を苦しめ、追いつめていく。
最悪な時には、「あなたが悪い」と責めてしまう。
妻も辛いのは分かるが、そこから少し距離をとって夫と対峙できない。
(それができる妻がいれば、最悪な事態は防げるはず)
身近なところに、自分自身に関する最も深刻な話ができる人がいない、
これが、日本人の最も悲しく深く深刻な問題なのではないだろうか。
僕もそれほど人の話を聴ける人間ではないが、
それを棚上げすれば、本当に日本人は人の話が聴けない。
自分の話や世間話はどこまでもするが、
人の話にじっくり耳を傾けることは本当にできていない。
(特に女性より男性の方が深刻だと思う)
可塑性のある若者は別にしても、
30代以降の男性は実に話が聴けない。
(自分の主義主張は言い放つが、人の主義には不寛容である)
でも、もっともっと深刻なのは、
日本人男性のほとんどが、「誰も自分の話を聴いてくれない」
と、思ってしまっている、という点ではないか?!
その背景にあるものは何か?
それは、「男はベラベラと自分を語ってはならない」
という価値基準が日本男性にある、ということではないか?
日本の男は、自分の弱い部分や自分の悩みを
人に気安くいうものじゃない、という見えない価値規範だ。
そういう価値観が日本人に共有されてしまっているように思うのだ。
(これは何も男性に限った話ではないかもしれないが)
だから、
僕が思うに、今日本人に一番必要なことは、
自分の心の中にある気持ちを誰でもいいからとにかくぶちまけること、
(たとえ誰も分かってくれなくても、とにかくしゃべっちゃう!)
それから、
みんな気持ちを打ち明けられないのだから、もっと人の話を聴こう!
と、みんなで努力をすること、
つまり、「自分のことを語ること」と、「人の話をしっかり聴くこと」、
この二つが今、一番大切なのではないだろうか。
これは、非常に当たり前のことであるが、
それができていないのが、僕ら日本人だと思う。
辛いなら、「辛い」と叫んで欲しい。
とにかく内にためないで、誰かにすがってほしい。
きっと50人にすがれば、誰かがきっと聴いてくれるはず。
きっと誰かが助け舟を出してくれるはず。
どん底のどん底であっても、どこかに何かがあるはず。
そういう「希望」を見せてくれる人がきっとどこかにいるはず。
希望を与えてくれる人を待望して、
とにかく生き抜く、待ち耐える・・・
どうにもならないときにこそ、
じっと耐えて待つ、逃げてもいいから待つ、
ギリギリのところで耐え忍びつつ・・・
*これは、どうしても書きたかったので、
やや暴走気味ですが、書かせていただきました。
乱文はご了承くださいませ。。。