Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

愛情過剰摂取の病理!?

僕はこれまで、愛の欠如、愛の不足、愛の貧困について色々語ってきた。

だが、もう一方で、愛の過剰摂取についても考えなければならない。現代社会では、愛情の格差が問題とされているが、愛情はお金と違い、あればあるほどよい、というわけではないのだ。その点を考えるために、三つのエッセイを書いてみた☆

過干渉という愛情の貧困
 過干渉は、相手にたえず気をかけているという点では「専心」に近いが、逆にそれによって愛情の貧困を招く可能性も高い。そのままの子どもを見ず、自分の目に映る理想の我が子像しか見ていない。「私をみてくれない」というのは、まさに愛情の貧困そのものである、といえるだろう。また、「あなたのためだから」といって子どもに過剰に干渉する自己中心主義は、「自分のために相手の幸福を望む」の典型例だ。こうした過剰な干渉は、「良心的エゴイズム」という言葉で言い表すことができるだろう。一見、まともで良識ある見解なのだが、その良識ある見解それ自体が、エゴイズム(利己主義)であふれている。子どもからみたらハタ迷惑な行為も、本人にとっては善意で満ち溢れており、やっかいである。だが、それは相手のための愛情ではなく、自分自身のための愛情でしかない。こうしたことは、病気ではないが、現代の一つの病理といえるだろう。過干渉は相手を支配する。

なぜ都市部の親はおもちゃを買い与えてしまうのか-過保護の病理-
 都市部の人間は、「無菌」、「無害」であることを望む。何か有害なものがあると、それを放置することができない。子どもに、汚いものやグロテスクなものを与えようとしない。きれいなものだけ、安全なものだけ、清潔なものだけしか与えたくない。通学路で事件が起これば、たちまち今の親たちは車で子どもを送り届けるだろう。教師のちょっとした体罰も、無菌、無害を求める親たちにとっては、大事な「無垢な我が子」を汚されたと感じるものなのだろう。「無垢」であることに必死になってしまうのが、都市部の人間の特徴なのかもしれない。おもちゃをたくさん買い与えてしまう親というのも、同じように、色々な不純物が混じった自然物を嫌悪し、厳しい製品管理のもとで工場で作られたおもちゃのほうが安心するのかもしれない。過保護の親は子どもの欲望の奴隷である。

優等生はほっといても生まれる?
 都市部ではますます受験戦争が激化している。東大進学者も近年ますます都市部の子どもたちの割合が増えている。高所得者の子どもしか、優等生にはなれない仕組みが出来上がりつつある。グローバル化する現代社会は、ますます一部の優秀な人材と低賃金の非正規労働者を求めている。受験戦争に打ち勝つことは、すなわち経済的な安定を手にすることに直結する。我が子を「愛する」親たちは、「せめて自分の子どもには経済的な不幸を味あわせたくない」と思い、我が子にお金と時間を割く。だが、それは極めて不自然な現象ではないか。勉強が好きになる子どもは、親が何をどうしようとも好きになるものである。親が過剰に教育を与えなくても、学校で真面目に勉強する子どもは自ずと生まれてくる。自ずと勉強に目覚める子どもを発見するためにも、くだらない親の受験熱は冷ますべきであろう。勉強させられる不勉強な子どもが優等生になるのは、とても不幸な話である。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「教育と保育と福祉」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事