2007年4月から始めた第三日曜日の会。
今回で25回目。まる2年が経過した。
まだ一度も休んでない。
(つまり、毎月いつも誰かが来てくれている)
卒業生、現役生問わず、みんなで学びあう会。
そういう会がこうやって2年間続けてこられたことは、
やっぱりすごいことだと思うし、やってきてよかったと思う。
今回は8人参加。
ある程度メンバーも固定されてきたので、
つっこんだ話もしやすくて、4時間以上にわたる議論が行われた。
(最近は、僕が黙ってても、かなりつっこんだ議論ができるようになった)
今回は、保育士の発表と乳児院勤務の保育士の発表と、
僕の話と、フリーの語りというメニューだった。
職人保育士Kさんの発表は、かなりDEEPなものだった。
2歳児のT君とそのまわりの友だちの関係、
そして、そのT君とKさんの関係が主な内容だった。
途中から保育園に入ってきたT君。
なかなか園の子どもたちと一緒に遊ぶことができない。
2歳なんだから、それは当然じゃないかと一見思うが、
そういう次元じゃないところにKさんは注目する。
「なんか違う」、そういう感覚がKさんの中にあって、
他の子どもたちとは違う何らかの「違和感」みたいなものを、
T君から感じ取っていた。
友だちと一緒にうまく遊べないT君にどう接すればいいか。
これがKさんの問題意識であったのだが、
議論の中で、一人遊びさえままならないT君の存在が浮かび上がる。
友だちと一緒に遊ぶ以前に、一人で遊ぶことさえできていない。
むしろ、この一人遊びの経験の欠如が問題の本質ではないか、
そういう議論に発展していった。
二つ目は乳児院の保育士Iさんの口頭発表。
Iさんが話したのは、
①掃除と保育の業務のバランスがとれない
②甘えのつよいA君とどう接するか?
③職員間コミュニケーションの難しさ
④里親問題をどう考えるか
といった内容だった。
とりわけ③の職員間コミュニケーションについて激しい議論となった。
教育や福祉の世界では、タテの関係があまりうまくいっていない。
先輩先生(とりわけ30代以降)との関係づくりで失敗している人も多く、
これは、この会のみならず、教育・福祉の大問題となっている。
なぜ先輩先生・保育士と対立関係に陥りやすいのか?
そこには、「世代間ギャップ」の問題が潜んでいる。
とりわけ女性の場合、「同期関係」が密接で、
「上下関係」での軋轢が生じやすい。
なぜ世代間のギャップを越えて、和解することができないのか。
これはとても大きな問題であろう。
続けて、僕のお話。
今回は、第三日曜日の会の新たなパースペクティブを示した。
これまで、実践研究、事例研究の発表を中心にやってきたが、
これからは、あまり形式にこだわらず、口頭発表も積極的に取り入れる、
ということを伝えた。
これまで僕が参加してきた研究会では、
実践を記録して、それを研究会で発表する、という方法をとっていた。
けれど、この会の参加者の場合、まだそこまでいっていない人が多い。
だから、あんまりハードルをあげないで、もう少しラフにやろう、と。
というか、「書く」だけじゃなくて、「語る」ということを重んじるようにしたい。
日々多忙なのは十分理解できるし、語りならば予習はいらない。
もう少し負担なく発表できるためにも、「語る」発表も認めていきたい。
というわけで、
今回は最後に、一人持ち時間5分でみんなに色々語ってもらった。
とりわけ白熱したのは、「夢が叶った今、何を目指して働くのか」、
という話題だった。話題提供はマイミクのAyacoさんだった。
彼女は「第三日曜日スルメイカ」という名前の命名者でもある。
第三日曜日の会に来ている参加者は、
「職人さん系」が多いので、目指すものはたくさんある。
「夢が叶っても、まだ自分は半人前」という意識が強いので、
目指すものもとても具体的で、リアルなものであった。
プロというのは、そういうものだと思う。
「何を目指して働くか」という問いよりも、
「今、ここでどうするか?」という問いが先立つ。
僕らの仕事は「対人関係職」なので、
いつも目の前に他者がいる。
その他者とどうかかわっていくか、というのは、
永遠の課題であり、答えのない問いである。
当然、相手も人ならば、自分も人である。
人であるが故に、僕らはみんな変わっていく。
その変化の中に、僕らの働く根拠がある。
(つまり、変わっていくということが最大の根拠である、と)
ある保育士が、「子どもを極める」という言い方をしていた。
これ以上の根拠はないな、と強く思った。
一度職に就いて、働き始めたら、
その世界の対象を極めることが、最大の目標であり、
スタートであり、ゴールである。
そんな話で、白熱した4時間半であった。
第三日曜日の会も三年目。
まだまだこれからだ。
今後も地道にしぶとく根気強く続けていきたいと思う。
是非、卒業生・在校生にはもっともっと来てもらいたいと願う。