Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

子どもに「どうしてあの子は歩けないの?」と聞かれたら・・・

今朝、突然、同僚の先生に質問された。

「3,4歳の子どもが、同じくらいの年齢の障害をもった子を見て、
『どうしてあの子は歩けないの?』といったことを聞いてきた時、
大人(保育士・教諭)はどう答えたらいいの?」

・・・

小さい子どもが障害を持った人(子)を見たとき、
その子どもは、なんの偏見もなく、純粋に聞いてくる。

「どうして目が見えないの?」
「どうして車椅子なの?」
「どうして手が使えないの?」
「どうしてしゃべれないの?」

それに、大人(保育士・教諭)はどう答えたらよいのか?

・・・

どう答えるか?!
・・・

そんな難しい同僚の問いに、僕はすぐに答えられなかった。

この手の質問は結構色んなところで受ける。
いつも僕は返答に困り、言葉を濁す。

なぜなら、どんな説明も解答も「正解」ではないからだ。

多くの大人は、
①病気だから(例えばこちらを参照)
②個性だから(例えばこちらを参照)
→(目の悪い人がメガネをつけているように・・・)(比喩)
③みんな一人ひとり違うんだよ(例えばこちらを参照)
といった解答を子どもに与える。

病気だから、というのはかなりの誤解を子どもに与える。
ともすると、病気の人には近づかないという風に考えるかもしれない。

個性だから、というのは、少し障害に理解のある人の発言だが、
障害=個性という思想の植え付けになってしまうし、
子どもには「個性」なんていう言葉は難しすぎるし、ピンとこない。

目が悪い人と障害をもつ人を同列に扱うことは、
それはそれでOKかもしれないけど、
障害をもつ子どもの大変さはカットされてしまうだろう。

みんな違う存在だから、という説明も危うさをもっている。
またみんな違うから、という理由だと、
歩けないことの意味には気付けない。

どう言っても、どう答えても、うまく伝えられないのが「障害」だと僕は思う。
(数々の障害をもった人と話してきた結論)

もし僕が聞かれたら・・・

まず、その子どもの「気付き」を褒める
「よく気付いたね」、と。とにかく最初に褒める。
(暗に、それは大事なことなんだよ、ということを伝える)

それから、「どうしてなんだろうね?」、と子どもに応じる
(一緒に考えるパートナーとして存在する)

子どもが「病気だから?」と聞いてきたら、
「病気は治るよね。お風邪も治るでしょ。
歩けない人は、治る人もいるかもしれないけど、
治らないで、ずっと歩けない人もいるんだよ」
と答え、「病気説」を否定する

じゃあ、何なんだ?!ということになる。

そこで、僕だったらこういうだろう。

「歩けないのは病気だからじゃないよ。
あの子(障害をもつ子)が悪いからでもないよ。
歩くことができない以外のことは色々できるんだよ。
もし気になるなら、友達になってみたら?声をかけてみたら?
手伝ってあげられることがあったら手伝ってあげたら?」

と、質問の内容をずらしながら、
その子の「興味」を「行為」に変える
だろう。

歩けない子(友達になる可能性の高い同じ年齢の障害児)のことを、
こちらが勝手に想像して、変に答えるのではなく、
僕を媒体にして、子ども同士のつながりを作ることがまず先。

「歩けない」というハンディーキャップをもっていても、
実際にかかわってみたり、話したりすれば、
「説明」以上にたくさんのことを子どもは学ぶだろう。
大人のつまらない(くだらない)説明よりもより豊かに。

もちろんリスクもある。
同じ年齢くらいの子どもに、何の配慮もなく、
「どうして歩けないの」と聞いてしまう危険性もある。
そこは注意しておきたい。(気にする人もいればしない人もいる!)

ただ、歩くことのできない人をみて、
その人のことが気になったことそれ自体はしっかり評価してあげたい。
(無関心ではない、というのはとても素晴らしいこと)

それを認めてあげたら、その興味を行動に変えることが、
大人(保育士・教師)の仕事だと僕は考える。

つまりは、友愛の精神の実現、だ。

福祉の実践は、行為から出発する。
理念や思想や科学的説明からではなく、
かかわりから出発するものだ。

「どうしてあの子は歩けないの?」、という疑問が子どもに生じたら、
それは、福祉の実践の始まりであり、
福祉の精神の根源が芽生えたということだ。

それを、身勝手な大人の「返答」で、押しつぶすことは許されない。

・・・

というわけで、僕の解答は、

「質問内容をずらして、子どもにアクションを引き起こさせて、
両者が困らないように、配慮せよ」

ということかな。。。

違うかなぁ。。
(書いていて不安にはなる・・・)

でも、こんなブログの記事もありました
(当事者の側からの記述です。ちょっとホッとしたかも)

こんな本も出ていますね

コメント一覧

kei
haruさん

「生きてるってことでほかになにもない」という言い方は、なかなか良いなぁって思いました。暗に、「オマエには分かんないだろうが、いつか分かるよ」というメッセージがあるように聴こえました。

「謎」を残したままの返答って僕は大好きですね☆

NAKAさん

ありがとうございます☆

でも、これでよいかどうかは、まだ今の僕には分かりません。

ただ「すり替え」は大切だろうなって思っています。「説明」はNGというのも僕の中では絶対ですね。
NAKA
深く感銘を受けました。
haru
私は専門家でないので適当ですが、もし娘に聞かれたら
「生きてるってことでほかになにもない。」
って言いそう。
「わかんない。」
って言われたら、
「わかれ。」
って(苦笑)
嫌なママですね。。。
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