昨日、半年ぶりにおじいちゃんとおばあちゃんとお食事をした。このブログでは事ある毎に、おじいちゃんとおばあちゃんのことについても書いてきた。
僕のおじいちゃんは1915年生まれの96歳。おばあちゃんは現在90歳。二人だけで暮らしているので、超高齢夫婦だ。(この年齢で、夫婦二人で暮らせるってすごいことだと思う。おばあちゃんは90歳なんだけど、気持ちはめちゃめちゃ若い。おじいちゃんが変わり者なので、おじいちゃんの面倒をみるのに必死で、老いるのを忘れているくらい)
おじいちゃんは、視力も弱いし、耳は(昔から)半分聞こえないし、歩くのもたいへんそうだし、いつもヨレヨレしているし、たいへんそうだけど、頭はとてもはっきりしている。もちろん愛する孫のkeiのこともはっきりと分かっているし、今も学び続けている(と、本人は訴えている)。
今回も色んな話をした。
というか、モモの影響を受けてか、結構聞き上手なkeiらしく、おじいちゃんもおばあちゃんも僕にいろんなことを話す、話す。二人とも、なかなか孫のみならず、人と話すことがないこともあってか、本当によくしゃべってくれた。孫の僕としては、おじいちゃんとおばあちゃんの話が聴けるのは心からの喜びだ。
おばあちゃんの話には、思わず考えさせられた。
「おばあちゃんね、ホント死ねないのよ。おじいちゃん、たいへんでしょ。もしおじいちゃんをおいて、私が死んじゃったら、みんなに迷惑がかかるじゃない?! だから、なんとしても生きなきゃならないの。・・・一週間だけでもいいから。おじいちゃんより一週間でも一ヶ月でも長くでいいから、生きなければならないの」
おばあちゃんの「生きる意味」は、「おじいちゃん」にあるように思えた。変わり者で、頑固で、好きなことしかしないおじいちゃんの面倒を見るために、生き続けなければならない、というおばあちゃんの決意にはすごいものを感じた。だからか、本当に若く感じる。90歳っていったら超高齢者なはずなのに、なんとも心が若い、っていうか、美しいというか。そして、よく食べる(笑)
で、おばあちゃんに、今一番楽しいことは?と尋ねると、
「ないわよ。おじいちゃんの世話でたいへんよ(ちょっと嫌そうな顔をするものの、どこかやりがいみたいなものを感じていそうな・・・)。でも、新聞は隅々まで全部読んでいるわよ。新聞を読まないと、なんか気になっちゃってね。辞書を片手に、調べながら読んでるのよね。字が小さいから読むのがたいへんで・・・」
なんか、やっぱり充実しているような・・・ おじいちゃんのお世話と新聞を読むこと、これがおばあちゃんの楽しみであり、喜びであり、趣味であり、人生なんだそうだ。やっぱり、うちのおばあちゃんだけあって、勉強熱心なんだなぁ~と。。。 ホント90歳には見えない生き生きさがあるのだ。
おじいちゃんは、ホント僕のおじいちゃんなんだなぁと思った。
僕自身、とてもポジティブでお調子者人間で、話をやや大げさにいうところがある。うちのおじいちゃんもまさにそんな人間だった。
おじいちゃんは、現在96歳なんだけど、早く100歳になりたいものだから、少しずつさばを読んでいて、おじいちゃんの中では、もう97歳になっていたのだ。
kei「おじいちゃんいくつになるの?」
祖父「あと四つで100歳だよ。わっはっは!」
kei「何年生まれ?」
祖父「1915年だよ」
kei「・・・じゃあ、96歳じゃない?」
祖父「そんなことはない! もうすぐ100歳なんだから!」
kei「いいや。おじいちゃんは96歳だよ!計算すると・・・」
祖父「あら、そう?! そうなの~?! じゃあ(100歳まで)あと5年か~ 長いなぁ・・・」
やっぱり、さば読んでんじゃん?!(と、突っ込んでおいた) おじいちゃんは100歳まで生きる気満々。おばあちゃんは、「え? 100歳まで生きる気なの?」というような表情をしていたようなしていないような・・・
さらに・・・
「おじいちゃんの長生きの秘訣を教えてあげようか。それはね。よだれ(唾液)をたくさん飲むこと。よだれは体にいいんだよ~・・・ それから、楽しいことをたくさんやること。おじいちゃんにとって楽しいのは、馬と自転車と競輪と競馬とレース・・・(さらに続く) それから、生涯教育だな。おじいちゃんは、新聞記者として、家族を養育するために頑張って働いてきたけれど、定年後は好きなことだけやってきたなと思う。好きなことを楽しんでやれれば、長生きするんだよ」
やっぱり、好きなことをもっている人は強いなぁ、と。。。 もうおじいちゃんの友だちは全員お亡くなりになっている。遊ぶ友だちはいない。けれど、毎日の生活はとても楽しいようだ。心底実感した。人間に必要なのは、お金でも名誉でもなく、温かい家庭と熱くなれる趣味である、と。
ちなみに、おばあちゃんに好きなことを聞いてみたら、「ないわ~」といいつつ、野球が大好きなんだと。おばあちゃんの野球好きは前々から知っていたけど、小さい頃は本当に好きだったみたい。まだ巨人も阪神も存在しない都市対抗野球。その頃のヒーローの名前をたくさん聞いたけど、ほとんど知らない人ばかりだった。三原さんは知っていたなぁ。おばあちゃんもやっぱり趣味人だった。
あっという間に90分以上が過ぎていた。おじいちゃんもおばあちゃんもたくさんしゃべった。おじいちゃんはしゃべりすぎたせいか、疲れちゃったみたいで、最後の方は、しょぼっとした目で、「じゃ、もうそろそろ帰ろうか」、とつぶやくほど。けれど、再び僕が色々話をふると、生き生きと話してしまう。おじいちゃんもやっぱりお話がしたいんだなぁ~と。僕も、何かと多忙を極めているけど、できる限り会いに行きたいなぁと思う。まだ、こうして元気にこの世に存在していてくれているのだから。
僕は立川のおじいちゃんもおばあちゃんも大好き。生まれた頃からずっとかわいがってもらっているわけで(一時期、僕がロン毛+茶髪にしてバンドに夢中になっていた頃、おじいちゃんには口もきいてもらえないくらいに険悪ムードになったこともあるが・・・) 来年もこうやって誕生会を祝えたらいいなぁと思う。今度は10月におばあちゃんの誕生会をやろうっと!