散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

暗中停滞

2011-01-11 06:55:55 | 写真
鼻をつままれても何処から手が伸びてきたのかわからないような暗闇に立ち止まると上下の感覚も定かでなくなる。
だいたい私は方向感覚がそれほど良いほうではないと思う。
(地図は読める、地図はぐるぐる回さずともちゃんと読める。)
暗闇。真っ暗闇の中の浮遊感は恐怖と共に高揚感があるものだ。
(もちろん私が今までに経験した暗闇には必ず出口があるということを前もって知っていて安心という札を持っていた。)

なぜ今朝、暗闇について思い巡らしたのかもう忘れてしまった。
朝早い夜明け前に開けた玄関の扉の向こうが真っ暗だったからかもしれないし、
今しようとしていることに行き詰まりを感じたからかもしれないし、
多分、小さなきっかけだ。

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しばらく知人に即席日本語コースをする話になって、私は恩を売るべく時間を少しばかり割いている。
彼はこの春に日本を3ヶ月ほど旅する予定なのだ。
本気で日本語を教えるのは難しいので、必要になりそうな状況にあわせた会話と単語を詰め込む事にしようと思っている。
そうやって日本語を今一度改めて考え始めると、私はなんといい加減な日本語をしゃべり書いていることかと思う。
しかし私の日本語も独語も、その不完全さが私自身なのだとしてしまえば、傍迷惑なことかもしれないが気楽になる。
そして今更そのままでいいという風に思う。
言葉は一つの伝達手段で、しかも完全な伝達が可能な道具ではない。
兎に角当分の間、知人と共に日本語について少し考えなければいけない。

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昨日。
冷蔵庫のような待合室の整形外科から電話があったので出かけた。すると患者で大賑わいで座る場所も無い。
受付の女性が一時間後に予約入れるので暇をつぶしてきてくれないかと言うのだ。
文句を言ってもどうにもなりそうに無いので医院をでてお茶を飲んだり、好きな珈琲屋の豆を買ったりして暇をつぶした。
脚が痛いという患者に対してひどい話だけれどね。
しかし実のところ今朝から大分調子がよくなったのでゆっくりなら結構な距離歩くことが出来た。
(もっともいきなり歩いたので後で"付け”が回ってきた)
先日のMRIの結果で状態が大体わかっていたのでもう医者に見せなくともいいように思っていたわけでそのまま帰ってしまおうかと言う気持ちを押し留めて戻る。
兎に角靭帯が裂けているが、部分的なので手術の必要も無い(もっとも最初から手術に頼ろうとは思っていなかったのだけど)、当分サポーターで固定し後4,5週間はスポーツはしないようにとのお達しで終了だ。
やっぱり寒くて草臥れに行っただけのようなものだった。

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今日はErich Friedの詩を読んだ。



 Erich Fried


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昨日から気がついていたことだが、テラス側の窓際に置いたレモンユーカリの枯れ枝が風が吹くたびにガラス窓をこすってキッ、キーと小動物のような音を立てている。
正体が知れぬときには一体何がそこに居るのかと思って見回した。
その鉢を片付けないので今もキイ、キッ。。。という小声がまだ聞こえてくる。