散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

Notiz

2009-08-14 20:03:32 | 思考錯誤



いつものように時間をみはからって出発し、いつものように歩いている筈なのになぜか電車に乗り遅れる日があった。(数週間前にそんなことを書きなぐっている)
その日は行きも帰りも乗り遅れたので狐に鼻をつままれたような心持で、少々腹立たしい気分だったが、誰にも文句は言えない。
”時間”というものは電車の外にビュンビュン流れる景色のようなものなのだろう。
景色は動かない。私自身が移動している。
電車の中に居る私がその時間の中を走っている。
時間の体感速度が変化するのは自分が特急、快速、鈍行。。。どの電車に乗っているかによって変わる。
小走りに電停まで走ったり、立ち止まったり(まあ、これは息がきれたからなんだけど)しながらそんなことを考えていたら、やはり電車に乗り遅れたのだった。

何故だ?



名残夏

2009-08-14 00:38:07 | 思考錯誤





半袖のTシャツで外を歩いていて気持ちが良い。
何しろ夏の後姿しかもう見えていないのだ。朝晩は半袖では寒くて悔しいけれどその上にシャツを羽織る。だからこんな事がやけにうれしい。
出がけにTシャツの上に羽織っていた上着が昼過ぎには邪魔になって腰に巻いてあるく。素肌の両腕を撫でる風が今日はとてもよい感じですっかり気分が良かった。
作業が一段落してから世話になっている画廊に出かけ、用事を済ませてから久しぶりにしばらく街を歩く。
まだ夏気分の街中はにぎやかで、カラオケで歌を歌う若い男、ギターを爪弾く若者たちがギターケースや帽子などを足元にさりげなく置いて、あわよくば小銭が降ってくるのを待っているのだが、聞きほれるほどの芸人でもなしあまり儲けはないようだ。(ついでにアルコールか薬で目の据わらない輩も紙コップを片手に通行人に忍び寄る。)
明るいような暗いようなごった煮的空気が少し重たい。

何しろもう夏は引き上げてゆく用意をしているのだから、憂いが空気の中にまだら模様に忍び込んでいるのがみえるのだ。
だけどこういう日には何かいとおしいようなものがある。そんな風に私は思う。

(写真は日が出る前の曇り空、写真左手上の建物の中に私の作業場がある)