<ほぼ30年間、投稿誌「わいふ」を通じて、二万通に近い現場の主婦たちの声を聞き続けてきた>という著者。その投稿誌の編集長でもあり、子育て支援のための通信教育講座を開設し、悩める母親たちにマンツーマンの指導をされている方。さまざまな出版活動・市民運動などで活躍されているということだ。
さて、そういう著者であるから現在の「母親」の生の姿をしっかり見据え、そこから見えてくるいろいろな問題について触れている。また、その原因が社会の中でどうして生じたのかなど、構造的に分析している。
個人的に「母子密着」の弊害について、ことあるごとに考えていたので、とても興味深く読み進めることができた。また著者の分析にすごく納得させられた。さすが、たくさんの母親の生の声を聞かれているだけある方だなと思った。しかも継続的にー。
以下が目次
はじめにー「豊かな時代」の子育て論
第一章 母子密着のよろこび
第二章 気がつけばだっこ地獄
第三章 私物化される子どもたち
第四章 「生きる力」が衰えていく
第五章 よい母親、よい父親の条件
第六章 育児障害ー子育てが苦痛になるとき
第七章 それでも「専業主婦」がいい!?
第八章 育て直しは可能か
おわりに
[「わいふ」「NMS 研究会」その他で行った独自調査]
以下、こころに残ったところを引用する。
<二〇世紀の後半から二一世紀初頭にいたるいまほど、日本の女性が子育てにのめりこみ、子どもに密着して暮らしてきた時代は、ない。>
<若者たちの「生きる力」の衰弱の直接の、そして最大の原因は、乳幼児期から子どもに密着し、子どもを生きがいとしている母親の子育てにある。>
<こうして子どもを甘やかし放題にした結果、子どもはあっという間に手に負えなくなる。NMS研究会には、一歳を過ぎて動きが活発になってきた子に振り回されている母親たちの無数の悲鳴が寄せられている。>
……これは<受容一点ばりの間違った子育てにも大きな原因がある。>という著者。受容というのはたとえば、子どもに「ダメ」を言わない、「泣いたらおっぱい」「泣けばだっこ」、「添い寝」など。
<子どもは人を見て態度を使い分ける。厳しい人に対しては自分の感情をコントロールできるのに、甘やかす母親に対してはかんしゃくを爆発させるばかりでなく、「たたく」という暴力さえふるう。ー中略ーこの年齢の子どもが親をたたいたり噛みついたりつねったりするのを大目に見ている親は少なくない。しかし幼い時期に母親に暴力をふるっても許されたという記憶を刷りこまれた子どもたちが、大きくなって親を大切にするようになることは決してないだろう>
*この年齢というのは、悩みを寄せた母親の子どもの年齢で1歳7ヶ月(ガーベラによる註)
<親はその論に振り回され、健気にそれを実行した結果、子どもはますます社会に適応できない人間になってしまう。子どもの病理現象のすべてを母親の愛情不足のせいにして、相談を受ければさらに母子密着を強いる専門家が、どうしてこんなに増えたのだろうか。親たちはこうした間違った指導でますます追い込まれている。>
*その論とは、「受容の子育て」論のこと(同上)
<母親たちは子どもにどんなつらさも味わわせまいとする。ー中略ーすべての身のまわりの世話をしてやるーそれを可能にしているのは専業主婦の無限の暇である。こうした生活の中で何より深く阻害されていくのは、あらゆる「生きる力」のうちもっとも重要な「自発性」である>
<自然のなかで育つ子どもの心と体には、幼年期独特のキラキラするような思い出が傷つけられずに詰まっていて、それが人生に対する信頼となって私たちに「生きる力」を与えてくれる。>
長くなりました。まだつづきます。。。
「退屈をする時間」が 減っています。
テレビゲームの影響で、退屈をする間もなく
ゲームに没頭する というのは、
結局のところ、
「脳内の空きスペースを奪っている」と
いえるでしょう。
また、ここで言われている母子密着も
「不快を辛抱する時間」を、奪っています。
残念ながら、生きていると、
「身も蓋もなく辛抱するしかないよなあ」という時間にぶつからざるをえません。
「退屈」と「辛抱」の時間があらかじめ
奪われている状態では
「脳内回路を鍛える」という事が、希薄に
なります、、
好奇心というのは
「退屈の時間」を過ごしている過程で
芽生えるものです、、、
今、一番子育てで難しいのは、実は
「退屈時間の確保」でしょう、、、、
なるほど。「退屈する時間」の確保の必要性。
……実は、私も同様のことを考えていました。私は勝手に「茫漠とした時間」といってるんですが。やはり、そういう時間の中に身を置くことによって、はじめて子ども自身の「好奇心」や「楽しい」と思うことが見つけられると思います。同感です。
(井上靖著「幼き日のこと 青春放浪」を読んでそう思いました。12月27日のダイアリー参照のこと)
「不快を辛抱する時間」を奪う……なるほど!。
私は、母子密着によって子どもが「体験する」ことを奪ってしまっているようにも思いました(子どもが失敗しないようにと、母が先回りして注意することによって)。
読ませていただきました。
現代では、こういう風景を
「改めて 人工的に」作らないといけない
ようですね、、、、
ケータイやメールで瞬時に情報ややり取りが
飛び交う今日では、、、
「幼い頃の心の情景」というのは、、、
なかなか厳しいかもしれません。
ましてや、ケータイやデジカメで
鮮明な写真がデジタル記録として
半永久的に残ってしまう今日、
「セピア色の、懐があったかくなる様な
記憶」
は、難しいのかもしれません、、、
ちなみに、私にとっての原風景は
「靴箱の中にあった手紙を
庭の 置石に座って
どきどきしながら
じ~っと 読んでいた」
ですかね、、、、
(詳細は ご想像にお任せします)
ほんと、「人工的に自然をつくる」…なんてことも起こってきそうですね。
>(詳細は ご想像にお任せします)
……ということで、「靴箱から庭の置石にたどり着くまでの道々、N氏さんが必死にポーカーフェイスを作りながら、急ぎ歩く姿」を想像させてもらいました!笑。
ちなみに、N氏さんの原風景の「靴箱の中にあった」→「もらった」、「庭の置石」→「縁側」に置き換えると、私の原風景に重なります!。(詳細はご想像にお任せします笑)