ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

高楼 方子著 「時計坂の家」 リブリオ出版

2006-02-11 | こんな本読みました

著者名「タカドノホウコ」は知っていたが、作品は今回初めて読む。児童向けファンタジー。とはいえ大人の私でも十分楽しめた。久々にファンタジーを手に取ってみたが、いやいや結構良かった。子どものころ味わったワクワク感を思い出した。(最近”地を這う”読書が多かったような気がする泣・・・)

12歳の少女フー子が主人公。夏休みにひとりで、祖父とお手伝いさんの住む汀館へ。そこで同年齢でいとこのマリカと再会、年上の映介と出会い10日間を過ごす。「時計塔」にまつわる謎、お祖母さんの秘密を知りたいがために、「冒険」するフー子。

とにかく主人公フー子にとても共感できたし、フー子をとりまく大人の描かれ方にも好感が持てた。例えば祖父に関して。

<祖父は、大人が普通にきくような質問をしなかったので、フー子は、ほっとする反面、気づまりでもあった>
<汀館に来たからといって、自分のところに顔を出さないということなど、祖父にとっては、どうでもいいことなのだろう>

フー子を子ども扱いせず、かといってフー子に無関心ではない祖父に対して、フー子は好意を抱いていた。しかし、フー子の「冒険」が終わり、最後の場面で二人のこんなやりとりがある。

<「(前略)・・・ぼくは、ああいうものを、善しとしないからだ」
「・・・善しと、しない?・・・」>

<「だが、ぼくが善しとしなくとも、ほかの人間にとっては必ずしもそうではないことなど、いくらもあるだろう。・・・まして大人ならば、何をどうとらえようが、それはもう、その人の心の問題なのだ。どんなふうに生きようとも、本人の自由なのだ。止めることはできないよ。また、だれにも、そんな資格はないのだ」>

上記の引用部分は、「祖母の生き方を善し」としないことへの祖父の考えを述べているのだが、とても納得できるし、自分の考えをきちんとフー子に話している姿がいいと思った。

そんな祖父に対して、フー子はこんなことを感じていると表現している。

<フー子には、祖父の言葉が難しすぎて、わからなかった。だが、それなのに、祖父の一面をくっきりと見たような気がした。思っていたよりも、ずっとずっと強くて、その強さときたら、入りこむすきを、ほとんどもたないくらいだ。フー子は、ぴしゃりと突き放されたような感じをおぼえたのだ。とりわけ、祖父が次の言葉を口にしたときには。

<「だから、髪飾りがどこに落ちていたかも、向こうがどんなだったかも、これ以上、何も話さなくていい。それは、ぼくのかかわりたくない種類のことがらなんだ」
(・・・おじいさんて、怖い人だったんだ・・・)>

しかしこの会話によって、フー子は祖父を嫌いになったりはしない。自分の好意を持っていた人の新たな一面を発見したこと。それをきっちり描いている。いろんな考えをもつ大人がいることも。

また、物語の中で「さる婦人の行方を巡る幻想小説」ということで小説が書かれているのだが、とても考えさせられる話だった。この本の対象年齢はよくわからないが(小学中級以上?)、例えば主人公と同じ12歳くらいの子はどのくらい理解するのかな?という素朴な疑問を抱いた(その年齢なりに理解するのだろうけど)。

フー子のマリカへの憧れ、映介へのほのかな好意、祖母への好意と嫌悪など、フー子が出会った人たちへの素直な気持ちがあますところなく表現されていて、とてもよかった。読後、なんだかくすぐったい感じがした。 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿