出てくる音は欠落している部分も非常に多いのだが
必要なものだけが鳴っているような出方である。
この必要な部分が非常に大切で音楽の根底に
かかわるようなものだと思う。
それとは反対にいまのスピ-カ-はすべての音を
欠落することなく出す方向にあると思う。
当然その方が正確でいいに決まっているが
問題はその音の出方である。
どれが大切でどれがあまり重要ではないというか
選択肢がないというかどれも同じように鳴って
唄いかけてこないのです。
必然的に音楽の感動も薄れたものになって
なにかよそよそしいこちらに寄り添ってこない
鳴り方をするスピ-カ-が多いように思います。
以前使用していたマコ-マックのCDプレ-ヤ-
シグネチャ-とCECの5100等の鳴り方と
似ているようです。
CECのほうは低域から高域にかけてすべての
帯域が同時に立ち上がってきてどの帯域も
遅れることなく耳に届きます。
マコ-マックのほうは出てくる音に強弱があり
スピ-ドも整っていないのだが聴いているうちに
こちらのほうが自然に音楽に引き込まれています。
正確なのは当然CECの方なのだがどちらを
聴いていたいといえば迷わずマコ-マックの方に
なってしまう。
当然デフォルトされた音ではあるのだがその
音楽のエッセンスが凝縮された音をいちど体験すると
抜けられない状態に陥ってしまうのだ。
何度も言うようだが“これで良い!”ということは
断じてない。人である以上“もっと”良くなると思うのが
普通であって立ち止まるのは後退であると思う。
必要なものだけが鳴っているような出方である。
この必要な部分が非常に大切で音楽の根底に
かかわるようなものだと思う。
それとは反対にいまのスピ-カ-はすべての音を
欠落することなく出す方向にあると思う。
当然その方が正確でいいに決まっているが
問題はその音の出方である。
どれが大切でどれがあまり重要ではないというか
選択肢がないというかどれも同じように鳴って
唄いかけてこないのです。
必然的に音楽の感動も薄れたものになって
なにかよそよそしいこちらに寄り添ってこない
鳴り方をするスピ-カ-が多いように思います。
以前使用していたマコ-マックのCDプレ-ヤ-
シグネチャ-とCECの5100等の鳴り方と
似ているようです。
CECのほうは低域から高域にかけてすべての
帯域が同時に立ち上がってきてどの帯域も
遅れることなく耳に届きます。
マコ-マックのほうは出てくる音に強弱があり
スピ-ドも整っていないのだが聴いているうちに
こちらのほうが自然に音楽に引き込まれています。
正確なのは当然CECの方なのだがどちらを
聴いていたいといえば迷わずマコ-マックの方に
なってしまう。
当然デフォルトされた音ではあるのだがその
音楽のエッセンスが凝縮された音をいちど体験すると
抜けられない状態に陥ってしまうのだ。
何度も言うようだが“これで良い!”ということは
断じてない。人である以上“もっと”良くなると思うのが
普通であって立ち止まるのは後退であると思う。