本棚7個じゃ足りません!

引っ越しのたびに蔵書の山に悩む主婦…
最近は二匹の猫の話題ばかりです

『博士の愛した数式』を読んで

2006年04月11日 | 

とりあえず大の数学嫌い。
そんなわたしでも、
これを読めば改心するかも
と思ったのですが、
見事に数字のところは飛ばしてしまいました…。
(いや、目では読もうとしていたんですよ!
しかし数式を見た途端、
心が別の宇宙に飛んでしまうのです。
すごく遠い旅をした気分で、
次の文章へ着陸、みたいな感じ

でも、お話としてとてもよくできているので、
数学、分からなくても読めました。
優しくて切ない物語です。

『博士の愛した数式』小川洋子 新潮社 H17.
 交通事故の後遺症で、その後の新しい記憶は、80分しかもたない“博士”。家政婦の“わたし”と、その息子の“ルート”は、数学と野球を通して、“博士”との交流を深める。

ああ、随分散文的にあらすじをまとめてしまいましたね。
何と言うか…数学と野球の話が、
博士の気持ちの表現なんだと思います。
愛するものを語っているから、
“わたし”や“ルート”の心に響くものがあったのでしょう。
限られた記憶に縛られているお爺さんなんだけど、
とても暖かくて、繊細で、包容力のある人。

家政婦の“わたし”は際立った個性はないけれど、
淡々とした雰囲気。透明感を感じます。
“ルート”は人の気持ちに敏感な、大人びた少年。
ふたりは、忘れられても、忘れられても、
博士の傍で、一緒にいたいと望みます。

このような記憶障害というテーマ、
昨今、小説・映画・ドラマでよく取り上げられますが。
観るたび、自分だったら、どうしよう…
などと、考えてしまいます。

記憶喪失に、もしなったら?
また夫を好きになるでしょうか。
逆に相手が自分を忘れてしまったら?
想像するだけで胸が痛くなります。

まして、博士のように、80分ごとに
自己紹介から始めなければならなかったら。
再び好かれる自信なんてないし、怖いな。

場合によっては、“わたし”と”ルート”がしたように、
傷つけないための嘘も必要になるでしょうし。
(あれはつらいよね…)

考えてみると、あの三人の関係は、
記憶を超越したところにありますね。
白紙のページから始めても、
お互いを守ろうとまっしぐらに思う、
それがすごい。

博士の義理の姉という人も登場しますが。
この人の気持ちが、ちょっと謎。
それを言うなら博士の“わたし”に対する思いも、
行間を読むしかありません。
江夏に対する熱い思いなら
とても分かりやすいのですが(笑)。

阪神ファンや数学好きには、博士の情熱が
我がことのように思えるのでしょうね。
わたしは…ノックス氏の十戒とか密室とか、
雪山の山荘、読者への挑戦などといった、
本格推理小説の用語に
変換しないと理解できません!

フェルマーの定理とか、オイラーの公式とか、
『QED』(加藤元浩 講談社 1~23巻)にも
出てきたでしょう?って夫に言われたけど、
読んでも、重みを察することができなかったのよ。

博士、ごめんね。あなたの優しさは伝わるけれど、
数学の面白さまでは伝授されませんでした。
“ルート”の年頃に出会いたかったです。

               

そういえばこの本、
読み出すまでに大変時間がかかりました。
やはりタイトルに
“数式”と書かれているからでしょうか。
文庫の新刊で買ったのに、数ヶ月放置。
そうしたら、何も知らない夫が、
空港の売店で同じものを買って帰ってきました。
二人で飲んでたら、また先につぶれるし。
暇だなと思って、なんとなく手に取ったら、
最後まで読んでしまって。
どうしてひとの本だと読みたくなるのでしょう…。
不思議ねえ。



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