昨日(4月25日)衆院本会議で「山の日」を制定する法案が可決された。参院審議を経て本国会で成立する見込みで再来年から8月11日が祝日になる。山の日の意義については「山に親しむ機会を得て山の恩恵に感謝する、とあるから登山愛好家の私としては歓迎するべき話なのだろうが、正直なところあまりピンとこない話である。
第一に日本に必要なことは休日を一日増やすことではなく、多くの勤労者がもっと有給休暇を取得できるようにすることが肝心である、と私が考えていることだ。
「海の日」があるから「山の日」も作ろうという話だったのだろうが、日本にはこの類の祝日が多過ぎる。山の日を入れて祝日は16日になるが、これはアメリカ(州によって若干異なる)やフランスの10日程度に較べてかなり多い。
ではアメリカ人やフランス人が日本人より休みを取っていないか?というと当然さにあらずで、彼らはしっかり休みを取っている。特にうらやましいと思ったのはフランスで、昨年ネパールであったオランダ人は「自分はオランダ人なのだけれどフランスで働いている。その理由はフランスでは5年間働くと1年間休職(無給だが1年後に前のポジションに戻ることが可能)する権利が得られるからだ」と言っていた。
フランスの方がオランダより給与水準が低いがそれでも自分は休みを重視するからフランスで働くことを選んだ、と彼は言っていた。1年間の休職を取る人はそれほど多くないかもしれないが、多くのフランス人は毎年4週間ほどバカンスを取っているようだ。4週間の休みがあれば、山に行きたい人なら毎年ネパールにトレッキングに行くことも可能だ。
本当に「山に登る日」を増やすのであれば、祝日を一日増やすのではなく、有給休暇の消化率を高めるような方策を官民でたてるべきなのではないだろうか?
有給休暇の取得が増えると当然人手不足が生じて、雇用が促進される。一方雇用増はコストアップにつながるが、休みを削ってコストダウン競争にいそしむ時代とはオサラバするべきだろう。少なくとも「給料は低くても安定していれば休みが多い方を選択する」といった選択肢のある社会を目指すべきだ。
次に「山の日」が制定されてその日に登山者が集中することは非常に好ましくないことである。
第一に登山道が混み合うので、落石やすれ違い時の転倒・滑落といった事故が増えることが予想される。次に混み合うと登山道や自然環境のoveruseで環境破壊が加速する可能性があることだ。恐らく「山の日」が出来たとしても本当の山好きはその日の登山は避けるのではないだろうか?
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奥多摩など近くの山を歩いていて感じることは、「若い登山者は減って、中高年の登山者は増えている」ということと「若い人は山道を走ったり(トレイルラン)、マウンテンバイクを楽しんだりと多様な遊び方に取り組んでいる」ということだ。
山というフィールドは人々に様々な楽しみ方を提供する。尾根歩き・沢歩き・岩登り・雪山登山・山スキー・クロスカントリースキー・渓流釣り・山菜取り・トレイルラン・マウンテンバイク・キャンピング・キャニオニング・・・など実に多様だ。
このように多様な楽しみ方をする人に必要なことは、私は「空間と時間のすみわけ」なのだと思っている。つまりできるだけ休みを分散して、一時に一ヶ所に人が集中するようなことは避けるのが、人と山に優しい取組なのである。