6月13日に厚生労働省が労働法制見直しの素案を示した。新聞によると労使の争点は「時間外労働の削減」「自律的労働」「解雇」にある。法制見直しは欧米の制度の良いところを取り入れて「多様な働き方」に対応しようとするものだが、幾つか問題を感じる。
その一つが自律的労働制度と呼ばれる仕組み。これは米国のホワイトカラー・エグゼンプションを模倣したもので、経済界が強くもとめているものだ。素案では「時間管理を受けずより一層の能力発揮を望む人」などとしているが、経団連は年収400万円以上としているそうだ。では何が問題なのだろうか?
一つは日本の人事部を中心とする人事制度の問題だ。日本の人事制度では直属上司が部下に対して強い人事権を持つことは特に米国との比較において少ない。このため評価・給与を中心とした処遇・異動・休暇の取得等さまざまな面で直属上司の権限で決定できることが限られている。ところが自律的労働においては、当該勤務者やその直属上司に大幅な権限が与えられていることが極めて重要だ。自律的労働制度とは時間的要素を排除して成果で評価する制度であり、働くものの納得がなければ機能しない。つまり絶対評価を中心とした成果主義が貫徹されていなければならないのである。そこに労使の信頼が生まれるが、今の日本の人事制度でそれが担保できるだろうか?
次の問題はホワイトカラーの流動性の問題である。米国のエグゼンプションというのは簡単にいうとオフィサー(日本の企業でいえば総合職)クラスで上昇志向の高い職種(例えば証券会社や銀行等)の人に適応される制度で年収や年齢の制限はほとんどないはずだ。しかしこの手の職業は労働力の流動性が極めて高く、年収や労働条件に不満があると社員はさっさと止めてしまう。
労働者を雇用側から守るものは、組合と市場であると私は考えている。米国でエグゼンプションクラスは通常組合には所属しない。彼(彼女)等を守るものは、流動性の高い労働市場なのである。しかし日本で高い流動性をもった労働市場がないまま、エグゼンプション制度が導入されると労働側が過度に負担を負うのではないか?というのが私の一つの懸念である。
人事に完全な公平などというものはありえない。不満は必ず残る。働く者にとって会社を辞めるということが人事に対する不満を会社に抗議する最後の手段である。(もちろん不当な差別等については裁判で争うことができるが)しかし辞めた人間はどこかで働く必要がある。従って再就職しやすいような社会が労働者の尊厳を担保し得るのである。
労働法を見直して米国寄りにするのであれば、その根幹を支える人事制度や労働市場の問題まで考えないといけない。
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