金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

株式投資するなら株屋さんの話は聞かない方が良い

2016年01月02日 | 投資

CNNの記事にFor everyone else, make a New Year's resolution to get into the 50 percent club.という文章が出ていた。Resolutionは決意で、New Year's resolutionは新年の抱負。「皆さん、50%クラブに入るという新年の抱負を持ちましょう」という意味だ。

50%クラブというのは、約半分のアメリカ人が株式投資をして豊かになっているので、もし株式投資をしていないのなら、あなたも株式投資を始めなさいという勧誘の言葉である。

これは米国の場合、総論としては正しい。2009年から米国株は約2倍上昇した。もっと長いスパンで見ると、1925年からの90年間の株式投資の平均リターンは10.2%(米国債のリターンは5.7%)だった。

しかし短期的に見ると株屋さんの言葉は、外れる場合が多い。

例えば一昨年末に、昨年の米国株S&P500の終値を予想した大手銀行アナリストの平均値は前年度比6%アップの2,185ポイントだったが、結果は2,043ポイント(前年比0.73%ダウン)に終わった。

私自身の投資行動を振り返ってみると、春先に野村証券の勧めで野村アセットが運用を始めた「日本企業価値向上ファンド」を購入したが、販売手数料を差し引くと年末の基準価格はマイナスになっている。

コンセプトとして「企業価値向上に着目したファンド」というのは面白いが、販売した時期が株価の高値圏に近かったため、苦戦しているのである。

思うに投資信託は「株価が上昇してくると投資を始めたくなる」人をターゲットとしているため、高値圏で新規ファンドが組成され、高値つかみが起きるのだろう。

多くの投資アドバイザーは、市場平均を買うインデックス運用を勧める。それはリスクの少ない株式投資方法だからだ。実際私も著書の中ではインデックス運用を勧めている。

だがもう一つの事実も知っておく必要がある。それはここ数年米国株が好調だったからといって、総ての企業の株価が一様に上昇した訳ではなく、アップル・グーグル・アマゾンなどの一部の株式が大きく上昇したことでマーケットを牽引したという事実だ。

もっともそれならば「インデックスを買わずに成長性の高い個別銘柄に投資すれば良い」というのは結果論に過ぎない。今まで相場を牽引してきたこれらの銘柄が今後も上昇を続ける保証はない(個人的にはグーグルやアマゾンにはまだ伸びしろはあると思うが)。

結局株式投資は余資の範囲で少しずつ行い、余資の中でも更にリスクの取れる資金で、これぞと思う成長銘柄を少し買ってしばらく寝かせておくというのが、スマートな方法なのだろう。

目先の儲けに汲々としていると、つい株屋さんの言葉に乗ってしまう危険性がある。これは昨年の少し苦い経験を踏まえた私のresolutionである。

 

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【書評】「真田信繁」(相川 司著)~戦国乱世の終焉

2016年01月02日 | 本と雑誌

今年はNHKの大河ドラマ「真田丸」により真田信繁(幸村)ブームが起こりそうです。ドラマに原作はなく、三谷幸喜が脚本を手がけました。三谷色の濃いドラマになりそうです。

ドラマはドラマとして楽しめばよいのですが、歴史愛好者の中には信繁の実像に迫りたいと考える人もいるでしょう。そんな時一つの参考になるのが、「真田信繁~戦国乱世の終焉」だと思います。

本(中公文庫820円)のカバーには「”幸村”の虚像を壊し、戦国乱世を駆け抜けた信繁の実像を新視点で熱く語る歴史評伝」とあります。何が「幸村の虚像」で何が「幸村の実像」かは判然とはしませんが、真田信繁の人生を戦国末期の大きな流れの中でとらえる上で参考になる本だと思います。

また「真田信繁は大坂方は勝てると思って大坂方についたのか?」「大阪冬の陣・夏の陣は和議により避けることができたのか?」などを考えながら読むにも適した本です。

サブタイトルの「戦国乱世の終焉」について考えてみると、夏の陣の後徳川幕府は元和と改元し、元和偃武を宣言しました。ここに応仁の乱以降断続的に続いていた「戦国時代」が終了します。

大坂冬の陣・夏の陣は戦国最後の戦いであったとともに、戦国最大の戦争いや戦死者の規模では日本国内最大の戦争でした。

冬の陣・夏の陣の15年前の関ヶ原の戦いでは東西20万人が激突(実際には日和見して参戦しなかった部隊も多いのですが)し、約8千人が死にました。

明治10年の西南戦争では、薩摩士族3万人と政府軍7万人が激突し、約1万3千人が死にました。

これに較べて大阪冬の陣の戦死者数は幕府軍だけでも1万5千人(東大寺雑記)が戦死し、夏の陣では豊臣軍だけでも1万8千人が戦死したと言われています。

豊臣方が徳川政権が提示した和平案(大阪城を出て畿内の別の国に移る・牢人の解雇など)を受け入れて、最終戦(冬の陣)と滅亡を避けることは可能だったのでしょうか?

これについて私は不可能だったのではないか?という考え方を持っています。それは歴史にはモメンタム(はずみ・慣性)があるからです。難攻不落と思われた大坂城と牢人たちの一戦に起死回生をかける心意気が屈辱的な和議の受け入れを許さなかったのでしょう。

150年続いた乱世を終わるには、避けることのできない戦いだった、と私は思っています。

真田信繁の最後の活躍についてさまざまな記録が残っています。すべてが絶賛です。

「真田日本一の兵(つわもの)、古(いにしえ)よりの物語にもこれなき由、惣別これのみ申す事に候」(薩藩旧記)

戦国時代を生き抜いてきた武士たちは、家康本陣への三度の突撃を行い、本陣の旗を倒した信繁に戦国武士の完成型を見るとともに、ひそかに戦国最強の武将・徳川家康に一泡吹かせたことにカタルシスを感じたのかもしれませんね。そして「忠義に死んだ信繁」を絶賛することは、忠孝を政権の基本理念とする徳川政権にとって好ましいことだったのでしょう。

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