映画「こくりこ坂」を見て感じたある種の郷愁をたどっていくと、自分の拙い片恋に思い当たる。
田舎の小学校(といっても一応京都市内なのですが)から、編入試験で京都の名門附属中学校に進んだ僕が見たものは垢抜けした生徒達だった。小学校ではほとんどの女の子は赤いほっぺで田舎じみていたが、都会の学校にはそんな子はいない。会話は振る舞いも華やかだった。そんな中でひときわ僕の関心を引いたのが彼女だった。小学校から進学してきたお嬢さんである。僕は彼女と仲良くなりたかったのだけれど、彼女の前に行くとほとんど話ができなかった。そうこうする内に「ヘンな人」と思われ、ついぞろくに話もしない内に私の「片恋」は終わってしまった。まったくお話にもならない話である。
それから約50年の歳月が経ち、去年関東地区で初めて同期会があり、僕は卒業以来始めて彼女に会った。不思議なことに(いや当たり前か?)、今回は実にすらすらと当たり障りのない会話を交わすことができた。彼女は2回姓が変わったという。つまり一度離婚して再婚、そして今はとても幸せだという。ちょっとした仕草の中に50年前のかすかな想い出が重なったが、目の前の彼女を見るときれいにお化粧しているものの、首回りのしわが目に付いた。(嫌な奴だな。俺は。こっちだって髪は白くて薄くなっているのに)ともう一人の自分が蹴りを入れる。歳月は時に残酷なものである。
分かれる時「握手」といって僕が手を差し出すと彼女も手を差し出した。それ以来彼女とは会う機会もないしまた特に会いたいとも思わない。美化された記憶は記憶の中に留まっているのがあるべき姿なのだろう。