先週奥穂高岳に登った時、穂高岳山荘で近くに寝ることになった高岡のご夫妻から「同じハイキングクラブの会長さんが今日西穂高岳から奥穂高岳に縦走してくる予定だ」という話を聞いた。
西穂・奥穂の縦走が一般登山道では最難関と言われるルートとはいえ、多くの登山者が通る道だからそれ程驚く話ではない。だがその会長さん、氷見の漁師さんだそうだが、どこでも「ゴム長靴」で登山をし、今回もゴム長で西穂・奥穂を縦走するというから、この点には驚いた。
しばらくしてゴム長靴を履いた中年の男性と数名の男女が穂高岳山荘の前に到着したので、小屋から出て話を聞いてみるとやはり氷見の漁師さんだった。「ゴム長の裏底はビブラム(登山用の靴底)ですか?」と聞くと「まあそんなもんかね」という曖昧な返事が返ってきた。また会長さん(=漁師さん)は、他のメンバーは小屋に泊まるけれど雨の中でもテントを張るという。
長靴で険しい岩場を歩き、小屋泊まりをせずテントを張る・・・恐らく僕よりも年齢は上に見えるおじさん。やはり怪物である。
最近読んでいる「怪物伝」(福田和也 角川春樹事務所)に、怪物について次の一文がある。
「怪物、という言葉がいささか肯定的な意味合い、つまりは小粒で無味乾燥な当今の世間のなかで、団栗(どんぐり)の背比べとは一線を画したスケールの人物というような爽快さをともなって語られている」
当今多くの登山者が何万円もする登山靴を履き、ゴアテックスという高価で華やかな雨具を着て、小屋に泊まって、乾燥室でその雨具を乾かし、乾いた布団で寝る・・・という時代に長靴で岩場を踏破し、担いできたテントに泊まるという会長にはある種のスケールを感じた。(といってマネをするつもりはありませんが)
そして山の原点を感じた。
☆ ☆ ☆
山の原点ということで、穂高登山の黎明期を見ると、恐ろしい程の怪物の姿が見えてくる。その人は名ガイドと言われた上條嘉門次だ。彼が鵜殿正雄とともに西穂・奥穂の稜線を初縦走したのは今から99年前の1912年8月のこと。嘉門次はこの時65歳だった。また驚くべきことに彼はこの月ウインストンと奥穂高岳南稜という岳沢から奥穂の頂上にダイレクトに突き上げる岩稜を初登攀している(このルートは今でも残雪期に登られる好ルートだ)。
この嘉門次、地下足袋と鳶口で数十kgの荷物を担いで、穂高の峰を風のように疾駆していたというからまさに怪物だ。
もし彼が高価な登山靴を履いて夏山を登る現在の登山者を見ると「登山靴なってものは、冬山を除けば格好付け(ファッション)に過ぎねえな」と笑っただろう。