クリスマス前から欧米の新聞では「この10年」「これからの10年」という議論や予想が多かった。2000年代の最初の10年が過ぎ、次の10年が始まるからだ。10年のことを英語ではdecadeという。DecadeのDecaの語源は10を意味するDekaで、decadeという言葉が使われだしたのは15世紀中頃だそうだ。
日本語に10年を指す特別な言葉はないと思うが、10年を一単位とする考え方は古来よりあった。直ぐに思いつくのは論語に出てくる孔子の言葉だ。
「我四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。」である。世の中のことも己のことも十年単位で見る・・・という視点は必要なのだろう。
過去10年は簡単にいうと、ITバブルの崩壊とその後の金融の超緩和、それによる欧米の不動産・サブプライムバブルの発生と崩壊。米国の消費景気や資源ブームに支えられたBRICs諸国の躍進の時代だった。そして残されたものは先進国政府の大きな借金である。
次の10年を予想する鍵は何だろう?
常識的なところだが、石油を中心として資源・水を含む食糧・環境・高齢化と健康などがキーだろう。石油については、国際エネルギー機構の推計が正しいとすると、次の10年の終わり頃、産出量はピークを迎える。それから先急に石油が枯渇する訳ではないが、産出量は逓減していく。
10年先の石油価格を予想すること不可能だが、代替エネルギーの開発や省エネ化が進まないとかなり高いものになっているだろう。また代替エネルギーの開発が進んでも、恐らくジェット機やロケットの燃料が石油に依存してることは変わらないだろう。とすると海外旅行の値段は高いものになっている可能性が高い。「海外旅行を楽しみたい」と考えている人は早い目に行く方が良いかもしれない。
今年の夏頃、ピムコのビル・グロス氏が「ニューノーマルへの移行」ということを唱えた。ニューノーマルへの移行とは、米国の消費者の借金が臨界点を超えたため、今後貯蓄(借金の返済を含めて)性向が高まり、消費支出が減り、地味な生活の時代に入るというものだ。
今日の日経新聞にはRepair(修理)、Reuse(再利用)、Rental(レンタル)の3つのRがキーワードだと書いていた。これもニューノーマルの一つだろう。だがこのことは悪いことではない。地球環境と限られた資源を守るための神の配慮と考えるべきである。
以上のように考えるとこれから先の10年は、今のところ先進国においては節約型の10年が予想される。しかし人は節約・節約では逼塞感に息が詰まる。また目標のない人生は余りもむなしい。人はやがて心と体の鍛錬という目標に向かって歩き始め、走り出す。
「荘にして学べば、即ち老いても衰えず。老いて学べば即ち死しても朽ちず」と至言を述べたのは江戸後期の儒学者・佐藤一斎。「学べば」のところは各々自分の好きな趣味を入れてはどうだろう。
私の場合「(山に)登る」を入れたい。壮年時代に山に登れば中年になっても衰えることはない。中年になっても山に登り続ければ、老年になっても朽ち果てることはない・・・・
高齢化の進む日本の中で、このような分野にフォーカスする産業は活路を見出すと私は考えている。