S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

たったひとつのたからもの:生と死

2004年11月23日 | たったひとつのたからもの
「たったひとつのたからもの」の中で好きだと思うシーンに、
母親が、亡くなった子どもを抱いて立っているシーンがある。
「生」というもの、「死」というもの、
それを抱えて、まっすぐに立っている姿は
凛としていて、静かで、美しかった。
生きていた命、生きてきた自分たち、
そんなことを思わせられる。
生きていくということは
「生」に出会い、「死」と遭遇し、
それを繰り返しながら進んでいくことなのではないかと思う。

人というものは、いつ、
何歳にして、「死」というものを実感するのだろうか。

わたしが初めて出会った「死」は、
小学生の時の祖父の「死」だった。
一年に一度かそこらしか会わない「祖父」だったので、
「死」の意味よりも、「死の儀式」の方が印象に深い。

次に出会った「死」は、16のときの、
クラブの先輩の病死だった。
脳腫瘍で、発病がわかってから数ヶ月で、
あっという間に逝ってしまった。
「死」が実は「生」の隣り合わせにあることを、
どこか実感で知った最初かもしれない。

22のときに、友人が死んだ。
長野のデパートの屋上から飛び降りた。
小さな箱に入った彼と別れるために、
東京駅の片隅で、彼のおかあさまと会った。
姿を変えた彼を、東北に連れて帰るおかあさまに会った。
小さな小さな姿がたまらなかった。
この数日後、もうひとつの遺体があるアパートから発見される。
絞殺されたその遺体に手をかけた犯人は、
長野のデパートの屋上から飛び降りてすでに自殺していたと
報道される。
「死ぬなよ」に「殺すなよ」がプラスされて、
しばらく、苦しい思いが抜けなかった。

我が子の死ということ、
第一子で、二度、疑似体験をした。
一度目は稽留流産という、誤診。
掻爬の日も決まっていて、そこから逃げ出して救った命。
二度目は、ダウン症を原因とする心疾患と、
それによって悪化した肺炎。
「我が子の死」というのは、疑似体験だけでたくさんだと思う。
二度と経験したくない。

31のときに、とてもとても大切な友達が死んだ。
その後に生まれた二番目の子がもう10歳になるのに、
まだ、どこか、その死の悲しみを引きずっている自分がいる。

今、10歳の息子、
あと5年経ったら、
イラク邦人人質殺害の動画と同様のものを、
友人とアドレスを流し合ったりするんだろうか。
理屈抜きに、鳥肌が立つ。

生にも尊厳があるように、死にも尊厳があるのではないかと思う。

息子が4年前に体験した「友達の死」。
棺の中に眠るその子に最後のお別れの献花をするとき、
母に習って、そっと頬に手を触れた息子。
彼は、冷たくなった友達の頬に触れても、
けして、「異質なものを見る」目をせず、
悲しみの混じった柔らかな笑みで、花を置いた。
後で、小さな声で、「冷たかった」と言った。

彼は「生の尊厳」はもちろんのこと、
「死の尊厳」というものも、理解してくれているだろうか。
特に何ができなくてもいい。
大事なことを知っている人間になってほしい。

「たったひとつのたからもの」:”わたしのたからもの”

2004年11月19日 | たったひとつのたからもの
実は。

わたしは子どもたちに対して、
「たからもの」という言葉をよく使うのでした。
何年も何年も前から。

息子に言うんですわ。

「わたしは、どこにも行かない、
 入院してしまわない赤ちゃんが欲しかった。
 あなたはずっとわたしのそばにいてくれた。
 それだけでどんなにうれしかったか、わからない。
 ありがとう。」

息子が生まれるまで、わたしは「病気」でした。
3~4ヶ月の月齢の赤ちゃんが、抱けませんでした。
ふっと抱くと、体がだんだんと緊張を始め、
胸の奥からこみあげるものがあり、
体が震え出すのがわかりました。
入院によって、娘を手元から手放したことの
精神的な衝撃の「後遺症」だったのだと思います。
抱くこともできず、
昏睡した姿を見ることしかできなかった頃。
心電図のモニター音が響き、管や機械に囲まれた姿の、日々。
抱きたかったのに、抱けなかった。
さわることすらできなかった日々もあった。
遠くの窓越しに見つめるしか無い日々もあった。
そんな時期のことを、体が、思い出してしまう。
息子を生んでから、やっと治った「病気」でした。

生後一ヶ月で入院し、
生死の境をさまよい、
半年以上も戻ってこられなかった第一子。
子どもを生んだばかりの「母親」という動物的な感覚が、
「赤ん坊が入院した」とはとらえずに、
「赤ん坊を取り上げられた」と動いていました。
娘が回復しても、退院しても、
何事も無かったかのように、育っていっても、
3~4ヶ月の月齢の赤ちゃんを、ふっと手に抱いたときに、
この時の「取り上げられた悲しみ」が、
体の中から呼び覚まされるようでした。

退院という形で、やっと「取り返した」わたしの赤ちゃん。
でも、そこからまだ数ヶ月の間、
「病院からの預かりモノ」という意識が消えませんでした。
「これ以上の回復は、入院していても望めない」
「今後、何度も入院する可能性を覚悟していてください」
そう言われての、やっとの退院でした。
(ここでヘマしたら、また取り上げられる)
病院からの指示の投薬の時刻と薬の種類を壁に貼り、
病院からの指示通り、強心剤を飲ませる前に、
病院から購入した聴診器で慎重に娘の一分間の心音を数え、
そうやって、なんとか、
自分の手元に置くことを必死に維持しているような状態でした。
強心剤、利尿剤、抗生剤、気管支拡張剤、
数種の薬の投薬の時刻もばらばらだった。
ミルクは病院の売店で購入した「腎臓心臓疾患児用低塩分ミルク」でした。

「よくここまで回復させましたね、まるで別の赤ちゃんみたいだ」
そう主治医に検診でいわれたときに、
やっと、「取り返した」ような気がしたものでした。
結局、宣告されていた「再度の入院」はありませんでした。
術後の検査のための入院以外は。

「やっと、取り返した、わたしの、たからもの」

これが、今、13歳の上の子。
先天性心疾患を持って生まれた、ダウン症と告知を受けた上の子。

そして、生まれてから、どこにも行かなかった、今、10歳の下の子。

「ずっと、そばにいてくれた、わたしの、たからもの」

このフレーズは、息子にとって、
どこか聞き慣れていたものでした。
そんなに「安く」言ってたわけではないけれど、
それでも、言ったことがあるのは、一度や二度じゃなかったと思う。

「たったひとつのたからもの」を見ていて、
心疾患とダウン症の告知を受けるシーンがある。
ご両親の心痛は、いかばかりかと思う。

でも、わたしは、嫉妬しました。

「それでも、連れて帰れたじゃない。
 わたしはその日、赤ん坊と引き替えに、
 入院のための書類を渡され、
 自分と赤ん坊を引き離すための書類にサインをし、
 なま暖かい、まだ体のぬくもりが消えない服を手渡されて、
 それを抱えて、とぼとぼと、ひとりで、帰った」

身勝手な嫉妬なんですけどね。
所詮、根治手術が可能な、健康を手に入れられる心疾患なんですけどね。
こんな嫉妬は、お門違いなのは、
じゅうじゅうわかっているんですけどね。

でも、わたしは、嫉妬しました。

一度目に見たときは、思っただけだたんですけどね。
ドラマの途中で寝た息子が「見たい」と言って、
「ちゃんと最初から見る」と言って、ビデオを流し、
そのシーンに来たときに、
わたしは思わず、口に出してしまいました。
一度目は、客観的に見ていることができた。
でも、二度目はこのシーンで来ましたね、
フラッシュバック。
震える声でね、口に出してしまった、息子の前で。

「でも、連れて帰れたじゃない」

息子が、はっとしたような顔をしました。
今まで、自分に向けられていた言葉の意味を、
どこか理解したような顔をして、
黙ったまま、すっと、涙をこぼしました。

そうね、
息子にとっても大きかったんでしょうね、
今回の「たったひとつのたからもの」は。

娘の入院の間、ベッドを並べ、
娘の一週間後に手術を受けた宗史くんは、
再び生きておうちに帰れることなく、旅立ちました。
手術から数週間後のことでした。
「娘が新しいものを見るときは、いっしょに見ようね」
そう、彼の遺影の前で、約束、したこと、
いつか、ゆっくり、話してあげようね、
と、息子を見ながら思いました。

「たったひとつのたからもの:特別版」放送から、「その先」へ

2004年11月17日 | たったひとつのたからもの
昨日、11月16日、
「たったひとつのたからもの:特別版」が放送されました。
感想は、ご覧になった、それぞれの方の胸にということで。

わたしが一貫して望むのは、
ドラマの、ドキュメンタリーの、放映の「その先」です。
本を閉じて、テレビを消して、
そこで終わらない人が一人でも生まれることを
わたしは望んでいます。

以下、
ここから始まる「その先」に関して、
「思考の扉」になっていくのではないかと思われるリンク先です。

(財)日本ダウン症協会

全国心臓病の子どもを守る会
キッズエナジー
(財)ドナルド・マクドナルドハウス・チャリティーズジャパン デン・フジタ財団
あそぼっくる
小児病棟ボランティア「ふしぎなポケット」
ダスキン「広げよう愛の輪運動基金」

「たったひとつのたからもの」:感動と日常

2004年11月08日 | たったひとつのたからもの
おととしのこと。
車に11歳ダウン症児娘と、障害というものは持ってない8歳の息子を乗せ、
所用の帰りにコンビニへ。
娘が降りないので、置いて出る。
(こうした時に、時々車の中で待ちたがる)

数分後、店のすぐ前に停めた車に戻る。

・・・車がロックしてある。

(しまった、キーを中にさしたままだ)

「ちぃちゃん!」

思わず大きな声を出したわたしに、
叱られたのかと思った娘が、
セレナの最後列のシートにあわてて移動。

「ちがう、ちぃちゃん。お願い、コッチ来て」
(運転席を指さす)

窓をきっちり閉め、ロックされた車の中に向かっての声なので、
自ずと大きくなる。
(もともと、声、でかい。。。)

「だいじょうぶよ、がんばって、
 お願い、だいじょうぶよ、コッチに来て」


叱られているのかいないのか、
怪訝そうな顔をする娘。

「お願い、がんばって、
 だいじょうぶよ、コッチに来て」


「おかあさん、どうしよう」 と息子。
「だいじょうぶよ、ちぃなら、きっと、できる。
 だいじょうぶよ」

(実は、母、大慌て、大焦り)
(でも、キーをさして出た自分がまちがいなく、悪い)
(瞬間、JAFも考える、でも、信じようよ)

運転席に移動する娘。

「ちぃちゃん、ココよ~、ココ」
(運転席ドアのロックを指す。多分、そこでいじったはず。)
(ただ、本人にその自覚、それを思い出す能力があるかは
 かなりアヤシイ)

「ちぃちゃん、だいじょうぶよ、
 ココよ~~、ココ」

(そのあたりにちょっと手を伸ばす)
(あきらめる)
(運転席を離れようとする)

「だいじょうぶ、がんばって、お願い、もう一度」
(また、そのあたりにちょっと手を伸ばす)
(あきらめる)
(運転席を離れようとする)

「だいじょうぶよ、だいじょうぶ。
 お願い、がんばって、お願い、もう一度」


くり返すこと、数回。

カチャ

「やった~~~~~!」 大騒ぎで手を取り合って喜ぶ母と息子。

「さ、行こうぜ~~~~」


後日、このコンビニで。
レジにいたバイトのお嬢さん二名、
目にお星様いっぱいの表情で、

「かんどう、しました~~~~~」

・・・は???

「この間、ずっと見てたんです。
 どうしようかってのも、言ってたんです。
でも、店長が、
『あのおかあさんに任せなさい』って。
『あれでダメなら、きっと何か言ってくるかもしれない、
 でも今は、もう少し、待ちなさい』って。
で、あいたんです! 車のドア!


「・・・あ、はい。」

「かんどう、でした!」

「・・・あ、はい。」 (おお、意味、了解)
「ありがとうね~~~。」

感動、なんです、かね。
感動、なんだろう、なあ。
そうか、感動、かあ。

という、ある日のお話。

感動?

いや、それがどうのということでもなく、
感覚が、もう、よくわからない?
って感じ? かな?

いや、事件ではあったけど、
けっこう、日常。
あと、反省材料、かな?
自分への。

あとは、このコンビニが、
「単なるコンビニ」ではなく、
「レジの人と話すコンビニ」になったこと、かな?

「たったひとつのたからもの」:幸せとは

2004年11月07日 | たったひとつのたからもの
人の幸せは命の長さではない。

これが「たったひとつのたからもの」に流れるもので、
ドラマでも、大きなテーマになっていました。

これを、子どもに対して授業の教材で取り上げるという
サイトを見つけました。
興味があったら、是非、と思います。

シリウス/静岡教育サークル:道徳「たったひとつのたからもの」

これは「道徳の実践」というコンテンツのひとつで、
「たったひとつのたからもの」は、
生命尊重のところに位置していました。

ある障害を持つお子さんで、医療とのつき合いが切れず、
風邪を引くとその度に命が危なくなり、集中治療室に入る、
そういう繰り返しだったときに、
この子のおかあさんに聞かれたことがありました。

「つらい治療ばかり、続く。
 あの子は生まれてきて、幸せなの?」


以下、わたしが答えたことです。

「『あなたがいてくれてわたしは幸せ』って、
 誰かに思ってもらえることって、とても幸せなのだと思わない?
あなたがあの子がいてくれて幸せと思うのなら、
それはそれだけでも、あの子が幸せだということなのではないかと思う。」


障害を持つ子どもを生むということは、
幸せというものを考えるときに、
「相対評価」でとらえる幸せではなく、
「絶対評価」でとらえる幸せをを知り始めること、
そんな気がします。

「たったひとつのたからもの」:近隣とのつき合い

2004年11月07日 | たったひとつのたからもの
先日、居住している地域の、
地域福祉に関しての会議に出席してきました。
行政の福祉課や、社会福祉協議会、民生委員、
地域の福祉事業所や、施設協力医、
地域福祉のため拠点となる公的施設の職員、
自治会の会長、
こうした方々で構成される会議で、
「障害児を育てる生活」ということについて、
お話をしてきました。

質問が出たことのひとつなのですが。

近所でよく見かける、障害児がいる。
何かできたら、と思うし、気にかけてはいるのだけれど、
どうしていいかわからず、そのままになる。
どうしたらいいか。

以下、答えたことです。

会ったときに、見かけたときに、
「こんにちは」と言ってください。
とりあえず、(わたしはあなたに気づき始めている)というような、
そういう「あいさつ」をしてください。
ごく普通に「知り合っていくこと」から始めてください。
人が知り合っていくときに、
過度なものを最初からむき出しにされても困惑します。
「こんにちは」と言われれば、
(あれ、知り合いだったっけ)とも思いますが、
(自分たちのことを見ていた人かもしれない)とも思います。
これが、いわゆる「目立つ子」を連れた人の感覚かもしれません。


ダウン症の子どもが生まれて、
近所とのつき合い方に悩む人もいます。
どういう風に、自分が地域に「存在」すればいいのかわからない。
誰かに「ダウン症だ」とか言わなきゃならないのかと思うと
怖れを感じる。

ドラマ「たったひとつのたからもの」では、
赤ちゃんがダウン症だとわかった時点で、
父親が、庭に木でできた「塀」をたてていました。
「外から見えないようにしなければ」と。
極端な例だとは思いますが、
ふって湧いたような「障害児の親」という立場に
誰もが困惑するところから始まるのは同じです。

その時に、全てを変えていく魔法の言葉というのが
「こんにちは」だと思うのですよね、わたしは。
人と人が知り合っていくときに、
理由自体が頭でっかちになっていっては、不自然になる。
必要なのは、まず、知り合おう、知り合いたいと思うこと、かなと。
「こんにちは」というのは、実に便利な言葉ですね。

なんとなく視線が行き、
なんとなく、目が合ってしまう。
こういうときに、「こんにちは」というのが
口をついて出てくるダウン症者は多いですね。
見られるということに対して、挨拶をする。
教えられることは多いと思う。

ドラマ「たったひとつのたからもの」では、
家の回りに「生きた匂い」がしないのが、
残念といえば、残念だったかな、とも思いました。

「たったひとつのたからもの」:ドラマ展開と危惧

2004年11月06日 | たったひとつのたからもの
ドラマ「たったひとつのたからもの」に関して、
ダウン症の親向けに書いた文章をご紹介。
メーリングリストや、掲示板に書いたものです。

*掲示板*
あの「先輩ママ」の役は、ストーリー展開のため、
視聴者に対しての、ダウン症コマーシャル展開的役割のため、
そうしたセリフ展開のために用意された役で、
リアルな人間とは、言い難いと思う。 

「わあ、ダウンちゃんだ」→ダウン症のダンス教室のシーン
「姉です~~」→明るい先輩ママと仲良くなるという展開
「みんな社会で活躍しているのよ」→ノスモを見せるための展開
「うわ~~ん」→母親が先輩ママに意見するほど成長したというシーンの展開

はいはい、よくわかりますねえ、と言いたくなるが、
いわゆる「小さい子の親」が、アレをどう見たか、
最も心配になる「人物」であり、危険。

だいたいね、相手の子の合併症の有無も程度もろくに聞かずに、
手術不能の子の親に、
「今はみんな長生きしてるのよ」はないだろう?

でも、しょーがないの、
ドラマ展開のために必要な役だから。


*メーリングリスト/1*
小さいお子さんのご家庭、だいじょうぶですか?
あのドラマの中に出てくる「先輩ママ」の言動は、
かなり乱暴な箇所、いくつかありましたしね。
短時間のドラマ展開のために出てくる役なので、
仕方がないといえば、仕方がないのですが。


*メーリングリスト/2*
わたしがドラマの中の、
「先輩ママ」の言動が乱暴だと言ったことですが。

まず、主人公夫婦に対して、
子どもを外の集団に目を向かせることを
急がせ過ぎることです。
おずおずと外に出ている様子というのは、
たいがい、見てすぐにわかるはずです。
そこで、「ダウンちゃん」と大騒ぎしたり、
急にダウン症児・者の集団に強引に引っぱっていったり。

ドラマの展開として、必要な役回りだったのだと思いますが、
赤ちゃんのママに対して、
あれは乱暴過ぎます。
赤ちゃんのママに対してするべきことは、
まず「聞く」ことです。

まず「聞く」という態勢を持っている人の前で
「話す」ということを経験しているか、していないか。
これはとても大切なことだと思います。
これを経験していない人が、
自分の意志にかかわらず、
いきなり「外に引きずり出される」ことは、
人によっては、かなりの恐怖です。

父親役が、かなりきつい顔で、
ダウン症のダンス教室の光景を見ていましたが、
あれは現実にああいう状態になったところで
出てきた表情だとしたら、
「父親の持つ偏見と差別の視線」ではなく、
乱暴なアプローチによって起きる「被害」です。
見学というのは、あくまでも、
本人たちの自然な意志が必要だと思いますし、
その意志が育っていないならば、
その前の段階に、ていねいにつき合うことが
正しいアプローチだと思います。

ダウン症と告知されること、
これは、どんな医師にどんな風に言われるか、
人によって、経験の色に差があると思いますし、
子どもの生が始まるというときに、
とても重要な意味合いが出てくると思います。
そして、最初に出会うダウン症児の親も、
どんな親に会うかということが、
かなり重要な部分が出てくると思います。
最初に出会った方が乱暴だったために、
混乱におちいる人も、現実には存在します。
この場合は、
まず、ていねいに、この混乱を解いていかなければ
ならなくなります。

あのドラマの中で、あの「先輩ママ」は
相手の子の合併症の程度、状態も聞かず、
「長生きしている人は多い。社会に出ている人は多い」と話す。
しかも、実際に自分の子が活躍しているところを
見せながら。

ドラマですよ、
実際だったら、そんなこと、考えられませんよ。
手術が不可能だと言われている子の親に
「みんな長生きしている」と話す。
そして、そのことを、あのドラマの「母親は」
主治医に「わたしも希望を持てるのか」と話す。
「先輩ママ」の無神経な言動により、
幻想を持たされるのと同じですよね。
そして言い渡される。
「いいえ、あなたのお子さんの余命は
 どんなに長くても十年は超えない」

ドラマだから、あの程度で済みますが、
普通だったら、とんでもないことですよ、
あの先輩ママの無責任な言動により、
崖から突き落とされたような心境になることでしょう。

あのドラマの脚本の、あの役は
「先輩ママ」とは名ばかりで、
ドラマの展開のための、説明的なセリフばかり渡されている、
「見ている人に対してのコマーシャル的役割」ばかり
担わされていましたね。

それを、単純に
「大きな子の親」ととらえて見ていたら、
大変だよ、と思うのが、わたしの危惧です。


ま、「乱暴」というか、
この先輩ママのやること「早い」んですよね、全ての展開が。
限られた時間内に、かなりいろいろな内容を詰め込んでありましたから、
こういう役回りが出てくるのは仕方がないだろうと。
むしろ、こういう役回りがあったからこそ、
ダウン症のダンス教室の様子や、ノスモの光景、
「ダウン症はけして短命ではないのだ」という説明等、
啓蒙的な内容が、ドラマの中に仕込めたのであり、
その内容が、一般の方々の記憶の中に、
いい意味で残っていくのを期待したい気持ちがある。

ただ、ダウン症児の家族が見ていた場合、
「ダウン症の親歴」や、その人の状態で、
「ああ、コレはドラマだからね」と、簡単になる場合と、
そうでない可能性を生んでしまう場合がある。
この先輩ママについていけないことを
自分に向かってマイナスにとらえてしまう人がいたり、
大きな子の親を必要以上に怖がったり、
そういう可能性が生まれるのではないかという危惧が、
見ていてあったなあというのが、わたしの実感でした。
それが「視聴者の感動」の裏の現実かもしれません。

最後に、
数年前に、「親の会の会報」というものに出したことがあり、
自分のHPにも載せている文章と、
HPのために作った文章を、
参考に、こちらに出しておきます。

「街でダウン症の人を見かけたら」

「ダウン症の赤ちゃんが生まれたばかりのご両親に」

「たったひとつのたからもの」:ダウン症児・者の持つもの

2004年11月04日 | たったひとつのたからもの
gooのサービスのひとつである教えてgooに行ってきました。
「たったひとつのたからもの」と入れて検索して出たもので、
こんなものがありました。

非常に好感を持ったのは「mach-mach」さんというIDの方のものです。

ふうむ、んんん、ねえー、

と思うのは、「titikun」さんというIDの方のもの。
記述されている「専門家」「自信:あり」の部分。
だからね、
「自信のある」「専門家」という人との
おつきあいが、時々、難しいってとこがあるのですよ。
その象徴のような気が、ちょっと。

そして、わたしも回答を入れることにしました。
質問の本文中のこの部分、

タイトルの通りご覧になる方によっては失礼な内容の質問です。
以下をご覧になるかどうか判断して、感情的な回答はご容赦ください。

この部分を尊重し、あくまでも客観的な回答として入れようと思いました。
この質問を感情的にとらえるか否かということではなく、
この質問をされた方の素朴な疑問が、納得できるように。
そして、この質問からこの方が、
「その先」を考えるヒントを仕込むことを、
当事者主観からできるだけ離れたところで考えながら。
「mach-mach」さんというIDの方が出されたとてもいいところと、
あえて重複を避けつつ。

回答のために、登録をするところからスタート。
さて、わたしが入れたのはどれでしょう。







堂々と「自信あり」と入れ、
「良回答」で、20ポイントいただいて、
この質問の回答は締め切られました。

「たったひとつのたからもの」:知的障害者の社会参加

2004年11月02日 | たったひとつのたからもの
gooブログのサービスであるブログ検索
「たったひとつのたからもの」と入れた結果は、
11月2日夕刻現在、408件です。
コツコツと読みつつ、まだ読破できていません。

「たったひとつのたからもの」
そのドラマの中に仕込んであったのは、
ダウン症児の「子役」と、
ダウン症児・者の「ダンス教室での姿」と、
ダウン症者の働く姿として出てきた「ノスモ」ですね。
実在する店と、実在する「店長」とで、
ドラマの中に仕込まれた「ドキュメンタリー」ではあったのですが、
このシーンをどう見るか、
視聴者の判断にゆだねられている部分だと思います。

いろいろな方のブログでの感想を読んでいく中で
「子役」と「ダンス教室」にふれられているものは多いですが、
この「働く姿」に関して出てきていないのは、
(もしくは見つかっていないのは)、
とても残念に思います。
ドラマの中で出てきた、
とてもていねいな「いらっしゃいませ」という姿、
黙々と変わらずに働く姿が
感想の中に出てきて欲しかったかな、とは思います。

この光景は、ドラマの展開の「背景」として出てきていました。
知的障害の軽い重いということで、
彼らが社会に出たときに「何ができるか」という違いは、
個々であるのですが、
個々の個性に応じた社会参加の姿が
普通のドラマの背景シーンなどで使われるようになっていくことも
望みたいなとは思います。

働く姿といえば、
非常に残念なことがありまして。
何かの記事、タウン誌だったか、福祉関係の情報誌だったか、
忘れてしまったのですが、
自閉症の方がエスプレッソを淹れるコーヒー店があるそうで。
自閉症の方は、その障害からくる行動特性に、
「ある特定のことに強いこだわりを持つ」ということがあるのですが、
この方は
「毎回同じ味を淹れることにこだわりを持つ」ということで、
その味は、いつその店を訪れても、変わらずに絶品なのだそうです。

是非、行ってみたいものです。

「たったひとつのたからもの」:ドラマというものの効用

2004年11月01日 | たったひとつのたからもの
実話を元にしたドラマは、人々に何を残すのでしょう。
ドキュメンタリーは、人々に何を残すのでしょう。

昔、「小児病棟」という、
実話をもとにしたドラマがありました。
’80年の放送です。
[女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞 第1回優秀賞]
受賞作品のドラマ化で、桃井かおり主演、
視聴率が34.7%で長時間ドラマとして、
歴代ベスト4位(1970-2000)の記録を持っているドラマだそうです。
桃井かおりはこの作品で、
「ギャラクシー奨励賞」という賞も受賞しました。

わたしはこれを見ました。
衝撃を受けました。
原作本も読みました。

でも、子どもが生まれ、小児病院に入院し、
自分が「患児の親」として、病棟に入ったときに、
「あんなもんじゃない、
 あんなもんでは知ったうちには入らない」と思った。
今まで生きてきて、全く知らない世界があったのだと思った。

娘が長期の入院をしていたのは、
東京都立清瀬小児病院
この病院は、ドキュメンタリーの取材がよく入ります。
娘が退院したすぐ後に、
今は亡き逸見政孝の取材が入っていました。
ありがたいことに、主として取り上げられた手術は
娘と同じ手術で、
しかも担当医も執刀医も同じだった。
テレビカメラの取材で、その手術の詳細を映像で知ることができました。
テレビの取材が入ることで、
当事者さえも、より情報を得ることができるのだ、
とも思いました。

数年後、今度は木村拓哉の取材が入りました。
このときに、主として追いかけられたのは、
白血病の子でした。
闘病の中、子どもらしい様子や、いきいきとした様子が
脳裏に残っています。
番組では元気に終わりましたが、
その数年後、この子は亡くなりました。
視聴者は、このことを、知らない。
でも、この番組を見た人の中には、
この子が生き続けているかもしれないと思うと、
うれしい気持ちにもなります。

「感動」を商品にするものはいらない。
「涙」を娯楽にするものはいらない。

でも、丁寧に作られた番組ならば、
番組というひとつの題材を、
「知っている人」と「知らない人」の橋渡しとして
ほんの少しでも、使うことができるのかもしれない。

もう少し、もう少し、
高視聴率を記録した「たったひとつのたからもの」というドラマ、
これが人の中に残したものを
さぐっていたいと思っています。

*写真は、今日の娘の登校風景。
 むろん、隠し撮りです。
この後、一人のご婦人が 娘に一声かけ席をを詰めさせて、
娘の隣に座りました。
「普通に」扱っていただいている光景を
遠くで見ていた朝でした。

「たったひとつのたからもの」:障害児が一人で歩く光景

2004年10月30日 | たったひとつのたからもの
「たったひとつのたからもの」
高視聴率を記録したようですが。

ブログ内で山ほどあるこのドラマの感想、
なかなか読み切れません。
限られた時間の中で、コツコツ読んでいます。

TBをいただいたお揃いの思い出♪「たったひとつのたからもの」に飛び、
TB表記に並んでいたところに飛びました。
以下、thinking,singing「たったひとつのたからもの」を読んで思うのですが。

この方の感想には、
ドラマの中の主人公がひとりで信号のある交差点を渡るシーンに関しての記載がありました。
ああ、印象に残ったんだな、と思った。

あのドラマの中で、あのシーンがあったこと、これはとても貴重なことだと思った。
いろいろな経験を積ませながら、
少しずつ少しずつ、本人の「生活力」を上げていく上で、
慣れた道の一人歩きを完成させていくことは、
そのこと自体の獲得に加えて、
本人に自信を持たせていくという上で大きなこと。
それを「見せて」いるという意味で、大きいと思った。

娘が小学校に通う上で、
入学からしばらくは学校まで送迎をしていました。
それから、少しずつ、行き帰りの道で、「途中まで」のポイントを作り、
本人に気づかれずに陰から見守る時間を経て、
本人だけの行動に結びつけていました。
そうやって、頑張っている親は多い。
隠れる場所は、よそのお宅の玄関先の電信柱だったり、
駐車場の車の陰だったり、
見ようによっては、思いっきり「不審者」になります。
学校に連絡が行くこともあります。
「お宅の障害児学級の子どもが親無しで歩いていた、
 危険ではないのか」と。
もちろん、こうした行動は、常に担任と相談しつつ進めることでもあり、
学校側はきちんと説明をしてくれていたようです。

事故に遭う危険という問題もあります。
充分にその場の能力を確認した上で、親の手をはなし、陰から見守る。
間近でばかり見てられませんから、事故に遭う危険もあるでしょう。
それでも、例えば、こういう場合、
どちらに保護者への非難が集中するでしょうか。

「普通の子が友達とふざけながら道路を横断して事故に遭う」
「ダウン症の子が安全確認をしながら渡り、
 スピードを上げて走ってきた車の行動に瞬時に対応できず事故に遭う」


少しずつ少しずつ、慎重に進めながらも、
こうした事故に遭う可能性はいつでもあると思う。
その場合に、
「こういう子を一人で歩かせたから事故に遭うのだ」
と運転者側に言われる可能性を、いつもどこか覚悟しているのが現実です。

娘は今、電車を乗りかえ、養護学校の中学部に通っています。
家の近くに来るスクールバスを使うという選択もありましたが、
社会経験と、本人に自信をつけさせる目的で電車通学を選びました。
一人で歩き、定期券を使い、電車に乗って行動する。
たくさんの人たちの目にふれながら。

「たったひとつのたからもの」の放送の翌日、
駅の柱の陰で、電車に乗っていく娘を見守りながら、
(昨日、テレビであの番組を見た人は、
 こうやって大きくなっていくのだなあと思ってくれるのだろうか)
そんなことを思っていました。

*写真は、登校中の「隠し撮り」です。

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thinking,singing「たったひとつのたからもの」

「たったひとつのたからもの」:感想

2004年10月27日 | たったひとつのたからもの
「たったひとつのたからもの」放送ということで、
ブログというのは、ナマで個人の反応を見られるという
貴重な媒体だなあと実感しました。
なにしろアップが早いですから。

さて、gooブログの新サービス「トレンドランキング」
今回、大活用させていただきました。
時事ネタに近いとこで出てきてますから、この番組。
今日中に、もう少し増えるのかな。

ドラマの感想としては、
全体としては、好感、かな、と。
「どっぷり泣きたい」人には、やや物足りなかったかな、
と、思えるようなさらっとした作りになっていました。
いいですか?ここで泣かせますよ~~的な演出を
前面に出していなかったということに対しての好感です。
明治安田生命CMで使われた小田和正の曲も
使われ方が最小限で、これも好感。
(いや、曲はいいんですが、曲の使い方というところで)。
このドラマの大きなテーマである「短くてもイキイキと生きた命」
という意味では、
ダウン症の子どもの好演に勝るものナシ、という感じでした。
要所要所でダウン症児・者を使った演出に敬意です。

このドラマの中で、
先天性心疾患を持ったダウン症児の親としての自分が見て、
共通点のある経験ももちろんあるわけで、
出てくるシーンに、
ああ、あるある、も、もちろんあるんですが、

あ、それ、ないない
(手を振って、言う感じ)

ってのが、いくつか出てくる。
コレに対して、
「まあ、短時間で見せるためにはしょうがない、か、ねえ」
という妥協点を感じる。
「見せるためのものだから、理解を容易にするためには
 仕方がないか」と、そう思う。

代表的なのが、
両親が、ダウン症、そして心疾患の告知を受けて
衝撃を受けているシーンで、
ダウン症の赤ん坊がきゃっきゃと笑う。
「ほら、あの子、笑ってるわ」というシーン。

あ、それ、ないない

生後一ヶ月くらいで、きゃっきゃなんて笑ってたら、
誰も苦労しませんって。

あ、それ、ないない

子どもの状態にもよりますが、
たいがいのダウン症の赤ん坊は、
生後一ヶ月は「昏睡状態」に近い。
よく眠る、おとなしい、手がかからない赤ん坊、
泣き声もか細く、ミルクを飲むだけでも、
たいがいくたびれきって眠ってしまいます。
夜中に大きな声で泣く元気がある子はあまりいない。
しかも、重度の心疾患で、肺高血圧症の状態ならあり得ません。
だからこそ、苦労する。
手がかからずに、こんこんと眠り続ける赤ん坊、
母親の頭から消えない「ダウン症」という言葉。
手がかからないからこそ、頭はそれでいっぱいになる。
反応が乏しい赤ん坊を抱え、
だからこそ、特に生後半年くらいの間は、母親にとって、
精神的にとても厳しい時期になることが多いです。

衝撃を受ける両親、
「あ、この子、笑ってるわ」

あり得ない!
そんなに簡単にそんな反応が見られるんだったら、誰も苦労しない!

でも、「ドラマ」としては、わかりやすいんでしょう、この展開。
はい、目をつぶりましょう。

と、いう感じがしました。
似たようなところは随所にあった。
でも、主役の男の子を含め、
様々なシーンで好演を見せていたダウン症児・者の姿が
いきいきと映されること、
そのことはとても大きかったと思う。

ただし、
さて、身近な現実、というときに、
困った落とし物という部分を感じたところもいくつかありました。
例えば、最も大きなところでは
この両親の「否定期」が短いこと。
障害の受容に対してかかる時間は、全くの個人差があり、
早いからいい、遅いから悪い、と一概には言えない。
一般に、命の危険がある子の方が、命中心になり、
否定期が短くなる場合もある。
このドラマを見た人が、身近にいる、または出会うダウン症児の親、
特に「否定期が長め」の人に対して非難の目を向けないこと、
ドラマの頑張りを、安易に求めないことを祈ります。
なにしろこの作品は、
親が衝撃を受けるところ、障害の受容に向かう経過で、
かなりの経過、かなりの時間を吹っ飛ばして作ってありますから。
そして、最も小さなところで言えば、
このドラマで出てくる、先輩ママが使っている
ダウン症児に対しての「ダウンちゃん」という呼称。
コレはダウン症児の親の中でも、意見が分かれるものですが、
わたしはこの呼称、「嫌い派」です。
ただ、好んで使う派は多いので、
「嫌い派」は、黙ってそれに甘んじる傾向はありますが。
このドラマで、「先輩ママが使っていた」からといって、
安易に使って欲しい呼称とは思えない。

それでも、この話題作が、一般社会の小さなシーンに
生かされていくことを望みたいと思う。
ダウン症だけではなく、障害を持った子どもはどこにでも生まれる。
生後すぐに命が危ぶまれる子どもはどこにでも生まれる。
そのことを身近に感じる人が増えてくれたら、
とも思います。

最後に、このドラマの最大の感想は、
明治安田生命のCMで使われた
「父親が息子を抱きしめる」一枚の写真に勝てるものではない
ということでした。
あの写真は、全てを物語るのにふさわしい、すばらしい写真だと思います。
ただし、あの写真を発端にして広げることで、
いきいきとした「秋雪くん役」を演じた子どもが
人々の脳裏に焼き付いたことを喜ばしく思っています。


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1.関連記事
gooブログ スタッフブログ「トレンドランキング等機能追加のお知らせ」
自記事「たったひとつのたからもの」

2.前記事にトラックバックをいただいたところ
OUTER HEAVEN 「10月26日 特別視」
レッツ エンジョイ オサレライフ!「生まれてきた子供がもし・・・」

3.「gooブログ・トレンドランキング」や「ブログ検索」より
 「泣いた」以外の感想が記載されているところを基準に抽出。
・お揃いの思い出♪「たったひとつのたからもの」
・世の中は不思議なことだらけ「たったひとつのたからもの」
・+腐るか実るか石榴「たったひとつのたからもの」
・♪映画日記♪「たったひとつのたからもの」
・ichiの備忘録「ドラマ「たったひとつのたからもの」
・ 心に残る走馬灯「たったひとつのたからもの」
・ cizzz's daily life「たったひとつのたからもの」

*10/28 追加TB
・美トイレ推奨します「たったひとつのたからもの」
・ちんたら日記「『たったひとつのたからもの』を見た」
・あっきーはうす「たったひとつのたからもの」
・ねこまんま「 母は強しって言うけれど…」

皆様の記事を全て、とても興味深く読ませていただきました。
ありがとうございました。
簡単な自己紹介ですが、
「生後すぐに命の危険にさらされたことがあり、
 生後3ヶ月で手術経験を持つ、現13歳のダウン症児の母」です。
手術の内容は、心室中核欠損症、動脈管開存症、気管支狭窄処置、でした。


*追記*
検索でこのページから入られた方、どうぞこちらにもお進み下さい。


「たったひとつのたからもの」:ドラマを見る前に

2004年10月26日 | たったひとつのたからもの
今晩、「たったひとつのたからもの」を見ようと思います。

わたしは本来、演出意図が匂う「半ドキュメンタリー」は
あまり好きではありません。
そして、「感動」を最初から意図して狙ったドラマも
あまり好きではありません。

障害者もので「ダウン症」を扱ったものは、
たいがい、最初から「愛」と「感動」を仕込んであります。
「感動のスイッチ」が用意されているというような感じです。
そのことも、あまり好きではありません。

ダウン症であるうちの娘は、
この、周囲の「感動のスイッチ」を知っています。
運動会の徒競走は、
自分だけ別の注目を受け、自分だけに再度テープが用意され、
自分だけ特別の拍手を受けることに慣れっこになっていました。
小学校の高学年の頃から、やっと、
「自分の力で走る」ことを主目的にし始めました。
普通の子なら、当たり前の主目的です。

演出意図の匂う「半ドキュメンタリー」や、こうしたドラマには
「愛」と「感動」の起承転結が仕込まれているようで、
見た人は、「結」で終わってしまうような気がすることも
あまり好きではない理由です。
「障害児」や「障害」を取り巻く周囲にとって、
「結」で終わりということはありません。
こうした「結」に酔いしれる人、
「五体不満足」等を熱心に読む人、
そういう人が、
そういう人の実際に身近にいる障害児・者の理解者でいるとは
限りません。

「感動」で、障害児・者に対して「頑張り」というものが、
暗に押し付けられていくようなことも、あまり好きではありません。
がんばらない障害者や、ナマケモノの障害者がいたっていいと
思います。
人間には「がんばらない自由」があって、
そして「がんばる自由」があるはずです。

ドラマで取り上げられている「ひとつの命」を否定する気は
さらさらありません。
子役として出演する子どもたちにも、応援を送りたいと思います。
全て、それとは別の次元でのことです。

以上の理由で、いつもはこうした番組に関しては
「知らん顔」を決め込むのですが、
今回は、ビデオ撮ります。
昨日、10歳の息子と話しました。

「あなたが生まれる前に、あなたの両親が経験したこと、
 このドラマを見れば、
 ただ、両親に聞かせられるよりも、わかりやすいかもしれない。
 明日見る? それとももう少し大きくなってからにする?」

「明日見る」と、彼は答えました。

4年前に、6歳で亡くなった、息子の友達。
この子も心疾患を持っていました。
このドラマを見ると、
その子のことも、きっとよくわかるだろうと言いました。
息子はわたしの話を聞きながら、
目を赤くして、すっと涙をこぼしました。
彼が生まれて初めて出た「告別式」から4年、
息子にとっても、「死」という意味がよくわかってきたようです。
生後すぐに、死の瀬戸際に落とされたことのある姉、
姉の胸にある、大きな手術痕、
このことをまた、
きちんと理解できる年齢になってきたのかもしれません。


*追記
ダウン症児が出てくるドラマでは、
以前NHKで放送されていた、
「コーキーとともに」(原題「Life Goes On」)
が秀逸でした。
再放送しないかな、と思います。
アレは何度も放映して欲しいと思います。
内容は「ダウン症の子どもがいる家庭のホームドラマ」です。