里の常連さん情報

横田の里の常連さんが綴る里のネタ特集

かぶれない絆創膏

2011年09月25日 | 気になるネタ

猛暑とはいえ、夏はアウトドアの季節。涼を求めて水辺に行く機会も多いのではなかろうか。けれど、水にぬれると皮膚が柔らかくなっているから、ケガもしやすい。そこで、旅行や外遊びに持参するのが、このネクスケア・ハイドロコロイド救急絆創膏(きゅうきゅうばんそうこう)なのだ。

 実勢価格で他メーカー品の倍以上とお高め。とはいえ、ほとんどの絆創膏にかぶれる敏感肌で、本品発売までは、日本赤十字医療センターの売店まで医療用を買いに行っていたから、背に腹は代えられない。

 ネクスケア・ハイドロコロイドのパッドは、ハイドロコロイド素材で傷口からの浸出液を吸収して白くふくらみ、治癒に適した環境を整えて患部を守る。また、パッドを覆う六角形のカバーフィルムは、独自の粘着剤と透湿性の向上でかぶれを防ぎ、極薄ではがれにくい。

指やひざに貼っても関節にしなやかに沿うから、絆創膏を貼っているときの動きが悪くなるわずらわしさも減った。はがすときの痛みも軽く感じるので、転んでケガしがちなお子さんがいる家庭にもおすすめだ。

 筆者の場合、ケガしたときは傷口にしみても流水でしつこく洗い、滅菌ガーゼで水気をとってから本品を貼る。すると、その後の傷痕トラブルがかなり軽減する。

ただ、従来の絆創膏と違って、肌に密着させる部分の紙をはがして貼った後、さらに外側を覆うフィルムをはがすワンステップが加わるので、使用上の注意をよく読んでから用いてほしい。また傷口に異常を感じたら、医師の受診を。


野球人生、これも楽し~

2011年09月25日 | 気になるネタ

1992年、阪神にドラフト1位指名された剛球左腕は、地元神戸市三宮の東門街で焼酎バーを経営している。落ち着いた店内は大人の雰囲気だ。一方で、引退後も野球への情熱は高まるばかりで、昼間は少年野球チームの監督も務めている。仕事とどちらが大事かと問われれば、迷わず少年野球と答えるそうだ。(聞き手・米沢秀明)

 【店名に込められた思い】

 店をオープンして9年。最初の4年は生田神社のそばでしたが、そのあと今の広い場所に引っ越しました。当時、焼酎がブームになり始め、しばらく続くと思ったのがきっかけでした。当初は焼酎のショットバーでしたが、最近はボトルキープのお客様が増えているので方向を変えました。

 店名の「ロケット」は大リーグの160キロ投手の称号ロケッターから取ったもの。僕はもともとプロで勝ち星を積み重ねて活躍することにあまりこだわりがなかった。とにかく、日本人で一番速い球を投げたい、これが現役時代の目標でした。

 やるからには何でも1番を目指すべきだというのが信念。銀メダルでほめられるのは嫌いなんです。ただ自分にはその最速のボールを投げるという目標をプロでは達成できませんでした。152キロが最高で、球場で自分で確認した表示では149キロまででした。

 ファームで投げ続け、球速は思ったほど上がっていかない。次第に後輩選手が先に上がっていくのにがんばれよと素直に言えてしまう自分がいました。焦って力むから最後は脇腹を骨折。地元で育ち、憧れのタイガースに入って、他の球団でプレーしたいとは思いませんでした。

 【儲けない主義】

 でも野球から離れることはできません。今は中学生の野球クラブの監督をしています。50人の選手がいて、その下の小学生のスクールにも50人います。始めて7年ぐらい。ぺっぴんさんの女子選手も4人いますよ。土日を含めて週4日の練習がありますので、こっちが生活のメーン。休みは日曜の夜だけですかね。

 最初の店は深夜まで行列になるほどでした。でも僕は商売で儲けようとは思っていません。何とかやっていければいい。まあ今の生活はギリギリですが、赤字でもないし、借金もない。

 だいたい自分は野球以外はあまり金を使わない。賭け事は嫌いだしタバコも吸わない。酒は家で飲むのが好きだし、もちろん店でも飲める。6歳の娘はお父さんイコール野球だと思っています。

 とにかく子供たちががんばっている姿をみると僕は泣きそうになるぐらい感動してしまう。高校時代に甲子園に出場したすばらしさも伝えたいし、プロでの失敗の経験も話したい。チームのコーチ陣には子供たちが迷わないように指導することを徹底しています。

 はっきりいって、野球に関しては現役時代より熱い。自分のことじゃない。人様の子供さんのことですから。僕は漫画を読むのも机に座って背筋を伸ばして読むタイプですからね。甲子園なんてどうせ出られん、ではなく絶対出なさいと言っています。甲子園目指したというだけで、一生酒が飲めるわけですから。

 プロ選手になるまで両親にも世話になりました。朝早く起きて食事をつくってもらったから、子供時代から野球を続けることができたのです。少年野球チームは僕が監督で、父、孝四郎(72)に代表になってもらっています。聞いたことはないけど喜んでくれているでしょう。チームにずっとついてくれていますから。母、節子(73)にも裕福すぎず、貧乏すぎずのバランスで育ててもらったことに感謝しています。

 今は何か奪われたものもなく、余分に与えられてもいない生活。充実していますが余りもない。がんばっているのにあまり儲からないと思うときもあれば、何もやってないのに生活できてこんなんで大丈夫かと思うときも。これは野球の神様のおかげでしょう。

 僕の夢はあくまでも、タイガースの選手になることでした。少年時代も今もそれは一緒。だから、日本中に笑われてもいいから、もう一度甲子園のマウンドに立ちたいです。

 実は縦縞のユニホームにまた袖を通すことになりました。タイガースジュニア(亀山努監督、6年生軟式野球)の投手コーチに呼んでもらったので。ユニホームの採寸は血が騒ぎます。つい気合が入って裾などに注文をやたらにつけてしまいました。これだけはただのOサイズで済ませるわけにはいかんのです。

 打撃投手のときは体重93キロまでいきましたが今は80キロ。体調は万全で、いくらでも走れますよ。

 ■あだち・ともじろう 1974年8月21日生まれ。兵庫県神戸市出身。村野工時代から本格派左腕投手として注目を浴び、91年夏、92年春にエースとして甲子園出場。92年ドラフト1位で阪神に入団した。94、96年米留学。ウエスタン・リーグで好成績を残したが故障などで苦しみ、98年外野手転向。99年投手に復帰したが同年引退。1軍出場なし。2000年から2年間阪神打撃投手を務めた。

現在は焼酎Bar「Rocket Ball」(神戸市中央区中山手通1の17の6北野フェニックス3F)を経営。少年野球「神戸美蹴館ロケッツ」(神戸市須磨区)監督も務める。『NPB12球団ジュニアトーナメント ENEOSCUP2011』(12月27-29日、札幌ドーム)の阪神タイガースジュニアの投手コーチにも選ばれた。