明日、3月25日は修了式である。
私の学校では、この日、職場を異動する教員の離任式も、同時に行うことになっている。体育館の壇上で、生徒に向けて数分間お別れの挨拶をするのだ。これまでに3回経験したが、いつも何を話すか悩む。
一番鮮明におぼえているのが、教員になって2年目、職場結婚のため異動したときの言葉である。当時、新規採用者は、8年まで同じ学校にいていいことになっていた。でも、私はたったの2年だったから、担任を持つこともなく、責任のある仕事を任されることもなく、学校を去るわけだ。話すことなど何も思いつかなかった。
だからといって、あまりに短いのも手抜きのようで気が引ける。「何か中身のあることを言わなきゃ」と前日まで考えた。
やがて、離任式が始まり、私は他の先生と一緒に壇に上っていった。全部で10人ほどだろうか。長い人だと、20年以上も同じ学校にいられた時代だから、誰もが淋しそうな顔をしている。
特に、担任半ばで異動する破目になった、数学の男性の先生は苦しそうだ。彼のクラスの女子生徒も、声を上げて大泣きしている。それでも、数学の先生は涙をこらえ、ふりしぼるような声で別れの言葉を口にした。
そして、いよいよ順番が回ってきたのだが……。
校長が私の名前と、在職期間、異動先の紹介をしたとたん、生徒の反応が変わった。先ほどまで、泣きべそをかいていた子も、「誰この人」といった表情でキョトンとしている。2年しかいなかったし、生徒に係わる仕事が少なかったこともあり、私は顔が売れていないらしい。教えていた生徒はともかく、それ以外の生徒にとっては、初めて見る人だったようで、「へー、こんな先生いたんだ、さようなら」という奇妙な表情を浮かべている。
どうにも拍子抜けする展開となったが、準備してきた話をするしかない。「振り返ってみると、誰でも、自分が少しずつ成長していることに気づくと思います」から始まり、入学当時は中学4年生という印象の生徒が、学校生活を通して、徐々に高校生らしくなってきたことがうれしい、さらに自分を伸ばしてほしいと話した。24歳の当時としては、背伸びせず、等身大で語ることができた気がする。
式が終わって職員室に戻ると、教頭から、「さっきの話は、なかなかよかったよ」と褒められた。予期せぬ言葉に、私は照れ笑いをした。
教員は、一般的に話が長いと言われるが、その通りである。定年退職するおじいちゃん先生など、止める人がいないものだから、10分も15分も話し続けてしまうことがある。
逆に、話すことがないとか、考えるのが面倒くさいという先生は、本当にひとこと、「みなさん、お元気で」で終わってしまう。足して2で割ることができないのが残念だ。
それでも、来るだけまだマシかもしれない。
今年の同僚からは、「壇上で挨拶するのがイヤだから、私は休暇を取ります」という信じがたい言葉を聞いた。
中には、感極まって涙を流す先生もいるので、きっとそのタイプなのだろうと無理やり思うことにした。
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
私の学校では、この日、職場を異動する教員の離任式も、同時に行うことになっている。体育館の壇上で、生徒に向けて数分間お別れの挨拶をするのだ。これまでに3回経験したが、いつも何を話すか悩む。
一番鮮明におぼえているのが、教員になって2年目、職場結婚のため異動したときの言葉である。当時、新規採用者は、8年まで同じ学校にいていいことになっていた。でも、私はたったの2年だったから、担任を持つこともなく、責任のある仕事を任されることもなく、学校を去るわけだ。話すことなど何も思いつかなかった。
だからといって、あまりに短いのも手抜きのようで気が引ける。「何か中身のあることを言わなきゃ」と前日まで考えた。
やがて、離任式が始まり、私は他の先生と一緒に壇に上っていった。全部で10人ほどだろうか。長い人だと、20年以上も同じ学校にいられた時代だから、誰もが淋しそうな顔をしている。
特に、担任半ばで異動する破目になった、数学の男性の先生は苦しそうだ。彼のクラスの女子生徒も、声を上げて大泣きしている。それでも、数学の先生は涙をこらえ、ふりしぼるような声で別れの言葉を口にした。
そして、いよいよ順番が回ってきたのだが……。
校長が私の名前と、在職期間、異動先の紹介をしたとたん、生徒の反応が変わった。先ほどまで、泣きべそをかいていた子も、「誰この人」といった表情でキョトンとしている。2年しかいなかったし、生徒に係わる仕事が少なかったこともあり、私は顔が売れていないらしい。教えていた生徒はともかく、それ以外の生徒にとっては、初めて見る人だったようで、「へー、こんな先生いたんだ、さようなら」という奇妙な表情を浮かべている。
どうにも拍子抜けする展開となったが、準備してきた話をするしかない。「振り返ってみると、誰でも、自分が少しずつ成長していることに気づくと思います」から始まり、入学当時は中学4年生という印象の生徒が、学校生活を通して、徐々に高校生らしくなってきたことがうれしい、さらに自分を伸ばしてほしいと話した。24歳の当時としては、背伸びせず、等身大で語ることができた気がする。
式が終わって職員室に戻ると、教頭から、「さっきの話は、なかなかよかったよ」と褒められた。予期せぬ言葉に、私は照れ笑いをした。
教員は、一般的に話が長いと言われるが、その通りである。定年退職するおじいちゃん先生など、止める人がいないものだから、10分も15分も話し続けてしまうことがある。
逆に、話すことがないとか、考えるのが面倒くさいという先生は、本当にひとこと、「みなさん、お元気で」で終わってしまう。足して2で割ることができないのが残念だ。
それでも、来るだけまだマシかもしれない。
今年の同僚からは、「壇上で挨拶するのがイヤだから、私は休暇を取ります」という信じがたい言葉を聞いた。
中には、感極まって涙を流す先生もいるので、きっとそのタイプなのだろうと無理やり思うことにした。
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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
人前で話す機会が多かったんですか。
じゃあ、あがったりドキドキしたりしないですね。
3月に卒業式がありました。
今年の答辞は、演劇部の男子生徒が読みます。
卒業後は、芸能プロダクションに入るという話でした。
まったく臆することなく、高校生離れした態度で、朗読するように読んでいたのには驚きました。
自己陶酔入っていたかも…。
涙を誘うことにはなりませんでしたね。
挨拶なさった内容が想像できるものでした
よかったですよ、と評されるのも当然でしょうね
子どもの頃から人前で話す機会が多かったのですが
いくつになっても、何を話そうか悩みますね
はい、難しいです。
ただ、聞く身になって考えれば、長いよりは短いほうがいいんでしょうね。
どうせ覚えていないんだし(笑)
でも、適当だと思われるのも悪いかと…。
2分くらいで終わらせるのがよいのかもしれませんね。
長いと呆れられちゃうし、短すぎるのもなんだかだし・・・。
うーん、本当に足して2で割る感じですね。
挨拶って、聞く人の反応にも左右されると思います。
ザワザワと騒がしい中では話す気もなくなりますが、水を打ったようにシーンとした中でも緊張するものです。
気楽に聞いているムードが一番でしょうか。
若いときにはできなかったことが、年をとってからできるという場合もありますね。
年の功??
おやじギャグはともかく、死語は通じないから残念ですね。
病弱な友人は、「私は子供の頃からクララのようだと言われ…」と自己紹介を始めることにしていたのですが、10年前くらいから通じなくなりました。
ハイジに出てくるクララのつもりでいたのに、「クララ?何ですかそれ。薬?」と言われるようになったらしいです。
年齢差を感じます。
異動はなしでした。
都立高は新採でなければ6年で異動なんですよ。
本来であれば、私も今年度限りのはずでした。
でも、職階が上がったことで、プラス5年のおまけがついたんです。
ただし、校長が代わってしまうため、来年は「出て行って」と言われる可能性大です(笑)
お嬢さんの高校合格おめでとうございます!!
ウチは今年受験です。
一緒に説明会に行かないと。
そう言えば、私も さくれさんと同じく、
新任・異動(出・入)・退職。
(私は事務職員)
調理員さん方も、ちゃんと並んで あいさつされてました。
今なら、おやじギャグに死語連発で、上がらずに話せそうなのに。
・・・いっそうウケない?
この時期は笑顔も涙もいっしょですね。
うちの娘も来月から都立高生。親孝行だね!
砂希センセは今年移動だったのでしょうか?
センセという仕事も、転勤という枷を背負っている職ですから、いろいろと大変ですね。
今度転勤で離れるときは、長話でブーイングを飛ばされないように。ね(笑)
なるほど、そういうわけでしたか。
早速見に行って来ました。
ようやく見つけることができ、ちょっぴりうれしいです(笑)
私は面倒くさがり屋なので、変更はまずないです。
ちょくちょく変えていたりします(笑)
そうそう、普通は4月なんですよ。
でも、どの学校も忙しくて、4月になると集まりが悪いんですって。
せっかく離任式を予定していたのに、誰ひとりとして来てくれなかったなどという笑えない珍事も聞きます。
そこで、合理的に3月に実施する流れになりました。
でも、担任を持っていたりすると、生徒指導に差し支えることもあるんですよ。
「どうせいなくなるんだろ」と指導拒否をする可能性があるので。
私は多分泣きませんね。
親や姉妹と別れるとしたら大泣きするでしょうが、ほんの何年かを一緒に過ごしただけでは冷静だと思います。
涙腺枯渇??
予定では、あと3回のはず…。
応援クリックありがとうございます。
前から疑問に思っていたことがあります。
九曜さんの応援をしたあと、ランキング表を確認するのですが、見つからないのはなぜでしょう??
タイトルが違っているのでしょうか。
「前途洋々」いい言葉です。
私の場合、「前途多難」だったかもしれません(笑)
担任ではありませんが、卒業のひとことをくれた先生がいました。
「仔細を気にせず流れる雲のごとく」とありました。
入道雲になってしまったかも…。
歌を歌う教員は見たことないけど、三三七拍子を要求した教員はいるね。
ついていけない。
2年しかいなかった学校では、教務部にいたの。
対教員の仕事ばかりで、対生徒の仕事はまったくなしだったよ。
時間割を作ったり、入試事務をしたりだった。
私に合っていたかも。
Yanoさんは生活指導が大変な学校じゃなかったでしょ。
私が赴任した学校は、どこも荒れていて苦労の連続だったよ。
1年間で50人以上もの生徒が退学する学校を知らないと、同じ土俵で話ができない。
どこが簡単なんだろう(笑)
しかも、ただ長いだけじゃなくて、話の順序がいい加減だよね。
思いつくままに話している感じ。
聞くほうも集中力がもちませんわ~。
夏場は、ビールがぬるくなっちゃうね。
私は異動なしよ。
あと5年いていいと言われているけれど、当の校長が異動になってしまったの。
新しい校長にどう評価されるかな。
来年、追い出されたりして~。
当時の神奈川では、4月に離任式があったんですよ。
1回目は、3年生をお繰りした後だったので、付き合いのない生徒の前で話さなくちゃいけなくて(汗)
でも、後日元同僚が
一番印象に残った先生の話、ということで
「たくさんの生徒たちがノートにさくれ先生のことを書いていたよ」と教えてくれました。
ま、一番最後に話したからでしょうけど(爆)
そうそう、2回目は職員室の戻ったら、先生方に褒められました。(わたしは子供か??)
いろいろ想い出深いですな~。何年前の話だ~(爆)
砂希さんは後何回くらい体験するでしょうね。
楽しみ楽しみ。
退職の時は号泣かな?(笑)
定年退職で、ちょうど自分たちと同じ年に一緒に学校を卒業したのでした。
その先生は、担任の生徒、一人一人に色紙で手書きで書いたものを贈ってくれました。
その色紙に書いてあった言葉は、「前途洋々」でした。
その言葉が、その先生との別れの言葉です。
漢字四文字ですが、心に重く響く言葉でした。
今でも、大事にその色紙は取ってあります。
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2年間の在任ぐらいでは、顔というか存在は知られないもんなんだねぇ。まぁ、生活指導だとか主任にされたら、嫌でもすぐ存在を印象づけられるかとは思うよ。生徒から煙たがられる存在ではあるけど…。
仮に、生徒の喫煙を発見したとして、でもその生徒がこれで退学になるかどうかの瀬戸際だったとしたら、砂希先生はどうするのか興味あるところ…。しかもその生徒は涙ながらに「見逃して下さい」と懇願…。
先生が言うように年配の人の挨拶は長い!結婚式や新年会など…長の付く方々の挨拶は長くていかん!!
特に乾杯の御発声の時などグラス片手にビールを持って立たされ…延々と話しが続く…で、最後はお決まりの「簡単ではございますが…」と締め括られる( ̄~ ̄)ξヤレヤレだ(笑)
ところで、先生自身の移動はなかったん?