故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

廷臣八十八卿列参事件

2013年03月12日 17時37分45秒 | 幕末史

今朝もいい天気、風もない。5時に目が覚め、ゆっくりと起きて準備が終り家を出たのが5時半。今日は初めての道が多かった。山北八幡神社から聖池を一周して土器町経由川西町の双子山まで行ってきた、約1時間50分の歩きだった。 また久しぶりにミキばーちゃんの運転手で「新鮮市場きむら」へ。九州うまいもんフェアといったものがあった。長崎カステラ・ざぼん漬・ラーメン(豚骨、博多、鹿児島、熊本、久留米、長崎ちゃんぽん等)等々、それと九州駅弁フェアなるものが、あれっ???『ふくめし』1,200円が、これは下関でなくて北九州駅弁と記載が。九州でも福をよぶのでフグをフクと言い、「ふくめし」なんだ、と改めて気づいた。帰宅後は先輩を誘ってサンマルクカフェへコーヒー250円で約2時間も頑張った(笑) 午後は畑で空豆の土寄せや予防とジャガイモの種植えを。少し遅かったかなぁ~ またチャリンコで丸亀市内や金蔵寺をグルグル走ったがカメラを持たなかったので写真は全くなし。次回に撮影します。

今日は何の日は廷臣八十八卿列参事件(テイシン 88キョウレツサンジケン)が起こった日だ。

安政5年(1858)3月12日の事である。この事件は日米修好通商条約締結にあたり、幕府は水戸藩らの攘夷論を抑えるために孝明天皇の勅許を得ることにし、老中・堀田正睦が参内することとなった。しかし締結に反対した岩倉具視や中山忠能ら88人の公家が座り込みを行った。また条約案撤回を求める意見書が提出された。

結果、孝明天皇は条約締結反対の立場を表し、条約の勅許を頑強に拒否した。

堀田正睦は老中辞職に追い込まれた。井伊直弼は88人の処罰に動き、公家側から多くの処罰者が出た。しかし、この事件で、朝廷が幕末において重要な役割を果たすきっかけとなった事は言うまでもない。

久しぶりに、相田みつをより「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を」を

 

そんなんで今日はこれで、じゃ~またネ



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