故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

しだれ梅と山岡鉄舟

2013年03月09日 15時39分05秒 | 幕末史

今朝は5時起きの5時半から歩きだした。懐中電灯も6時ごろには必要なし。またまた丸亀城へ大手門から三の丸まで登り、搦め手門へ降りてから周りを一周。搦め手門より少し東にはこんな花が。桜の木によく似てるがなんの花だろう?桜の一種だろうけど。

 

もう春だなぁ~、そんな気持ちにさせる朝だった。途中で友人と会って話したりして帰宅は何時もより少し遅く7時40分位だった。汗で身体はびっしょりだから すぐに着替えをした。

昼からはまんのう町のしだれ梅を見に行ってきた。個人の家なのに駐車場まで用意して、無料開放してくれている。見事な庭に梅の花。

 

家の中の雛飾りにもガラス越しにしだれ梅が写っている。

 

たくさんの人が見学に来ていたが、家族も大変だろうなぁ~と。思った。 その後は友人宅に寄り、野菜の種を購入して帰宅だった。

今日は山岡鉄舟が、駿府で西郷隆盛と会見した日。慶應4年(1868)3月9日の事である。

 

官軍の駐留する駿府で西郷隆盛と面会。この時、官軍が警備する中を「朝敵・徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る!」と大声で堂々と通ったと言う。会見は静岡市伝馬町の松崎屋源兵衛宅で行われ、15代将軍徳川慶喜の処遇を始め、江戸城の明け渡し、徳川幕府の軍艦・武器の引き渡しなどが合意され、3月14日に江戸薩摩藩邸で勝海舟と西郷隆盛で行われた最終会談により決定されて、江戸城無血開城が実現した。その鉄舟の行動力を、西郷隆盛は「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と。

勝海舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」といわれている。

ってな事で今日はこの辺んで、じゃ~またネ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿