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但馬有力武将の祈願所

2019年04月15日 | 但馬の寺院
          丹後町間人・立岩のある風景
           

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(2級)問題より

【27】養父市八鹿町にあり、但馬守護の山名持豊(宗全)
をはじめ、垣屋・八木・太田垣氏など但馬の有力武将たちの祈
願所であったのは、次のうちどのお寺でしょうか。

(a)日光院   (b)浅間寺    (c)今滝寺    (d)福王寺


正解は、(a)日光院です。

養父市八鹿町石原にある高野山真言宗寺院・日光院は、もと
は妙見山の名草神社奥の院にありました。明治の神仏分離の
際に現在の地に移りました。
元々は、飛鳥時代6世紀の頃、山麓に日光慶重という道士が
草庵を建立して出来たと伝わります。本尊は妙見大菩薩です。

室町時代より、但馬守護の山名氏やその配下の垣屋、八木、
太田垣氏たち但馬の有力武将の祈祷所となりました。
中世には、寺領は播磨、因幡にも及んだといわれる寺院でした。

ちなみに、八鹿町浅間(あさま)の浅間寺(せんげんじ)は、
八木氏の庇護を受けたお寺、八鹿町今滝寺の今滝寺(こんりゅ
うじ)は、八木城主・八木氏の菩提寺、大屋町中の福王寺(ふ
くおうじ)は、特に武将とのつながりはありません。本尊の
「阿弥陀如来立像」がとても素晴らしいです。


『ここらへん』

 「この辺り」ってことを、但馬地方では「ここらへん」と言い
ます。あるいは「ここいらへん」とも言うことがあります。

「うちらの山家(やまが)はどんどん家がへっとるのに、ここら
へんは都会だわ、家が次々建っとるやないの。え~な~、にぎや
か~になって」なんて云う時に使います。

「この辺り」と言う時に、辺り(あたり)の辺を、そのまんまに
辺(へん)と発音して、「ここらへん」とか「そこらへん」とか、
あるいは、「ここいらへん」とか「そこいらへん」とか、
何か、ほんわかした言葉です。