

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(2級)問題より
【27】養父市八鹿町にあり、但馬守護の山名持豊(宗全)
をはじめ、垣屋・八木・太田垣氏など但馬の有力武将たちの祈
願所であったのは、次のうちどのお寺でしょうか。
(a)日光院 (b)浅間寺 (c)今滝寺 (d)福王寺
正解は、(a)日光院です。
養父市八鹿町石原にある高野山真言宗寺院・日光院は、もと
は妙見山の名草神社奥の院にありました。明治の神仏分離の
際に現在の地に移りました。
元々は、飛鳥時代6世紀の頃、山麓に日光慶重という道士が
草庵を建立して出来たと伝わります。本尊は妙見大菩薩です。
室町時代より、但馬守護の山名氏やその配下の垣屋、八木、
太田垣氏たち但馬の有力武将の祈祷所となりました。
中世には、寺領は播磨、因幡にも及んだといわれる寺院でした。
ちなみに、八鹿町浅間(あさま)の浅間寺(せんげんじ)は、
八木氏の庇護を受けたお寺、八鹿町今滝寺の今滝寺(こんりゅ
うじ)は、八木城主・八木氏の菩提寺、大屋町中の福王寺(ふ
くおうじ)は、特に武将とのつながりはありません。本尊の
「阿弥陀如来立像」がとても素晴らしいです。
『ここらへん』
「この辺り」ってことを、但馬地方では「ここらへん」と言い
ます。あるいは「ここいらへん」とも言うことがあります。
「うちらの山家(やまが)はどんどん家がへっとるのに、ここら
へんは都会だわ、家が次々建っとるやないの。え~な~、にぎや
か~になって」なんて云う時に使います。
「この辺り」と言う時に、辺り(あたり)の辺を、そのまんまに
辺(へん)と発音して、「ここらへん」とか「そこらへん」とか、
あるいは、「ここいらへん」とか「そこいらへん」とか、
何か、ほんわかした言葉です。