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今日は憲法記念日

2017年05月03日 | 日記




 楽(たの)しみは   「の」のない祝日  そのひとつ  憲法記念日  国旗あげるとき



国民の祝日は16日もあります。
世界の中でも多いい方です。

元日、成人の日、建国記念の日、春分の日、昭和の日、憲法記念日、みどりの日、こどもの日、
海の日、山の日、敬老の日、秋分の日、体育の日、文化の日、勤労感謝の日、天皇誕生日の16日です。

何か気付きましたか?。
「の」のつく名前、祝日の名前を見て気付きます。

ほとんどの名前は「〇〇の日」と言います。
「の」が付いていないのは、「元旦」「憲法記念日」「天皇誕生日」の三つだけです。

別に、「の」が付く付かないに特別な理由はないでしょうが、
なぜか付かない三つは、とても大事な感じがします。

今日は憲法記念日、
「の」のつかない祝日なのです。

日本国憲法は昭和21年11月3日に公布されて、
22年5月3日に施行されました。

現在の憲法になってから満70年、
ま、古希(こき)を迎えた日本国憲法なのです。

出来るまで、施行されるまでの経緯(いきさつ)いろいろありまして、
70年も経って現状とそぐわないところも多々あって、憲法の見直しがいろいろ取り沙汰されています。

古希を迎えて、あちこちが(古希 古希 古希)コキコキコキと膝の痛みを訴えているようです。
そんな、古希を迎えた憲法の記念の日であります憲法記念日、国旗を立てて祝います。

4月の独楽吟

2017年04月30日 | 日記




 4月の独楽吟・・・・・喜びの41首



4/1  楽(たの)しみは   今も昔も  交通の  要(かなめ)とりあい  不思議知るとき

4/2  楽(たの)しみは   隣のMさん  後輩の  同窓だったと  話するとき

4/3  楽(たの)しみは   朝早よ起きて  水路見る  井堰の向こう  朝霧立つとき

4/3  楽(たの)しみは   5月売出し  夏来れば  エアコン祭り  善く躍るとき

4/4  楽(たの)しみは   春や清明(せいめい)  朝霧に  透ける朝日を  我浴びるとき

4/5  楽(たの)しみは   お金もなんも  任せると  若嫁さんに  引継ぎのとき

4/5  楽(たの)しみは   そうなのそうね  アトムさん  任せて2台  買うと聞くとき

4/5  楽(たの)しみは   取ってて取ってと  手間賃を  頼みにくいと  取れというとき

4/6  楽(たの)しみは   ふるさとの話  ネタ求め  弁天池を  見て歩くとき

4/6  楽(たの)しみは   若嫁さんも  振込を  四日(よっか)も早くし  ゲン担ぐとき

4/7  嬉(うれ)しさは   エアコン工事  する先に  沖野博士の  生家見るとき

4/7  嬉(うれ)しさは   作りも作った  88回も  タテヨコ言葉  書きつなぐとき

4/8  嬉(うれ)しさは   花春一つ  穏やかな  流れに落とし  水測るとき

4/8  嬉(うれ)しさは   国府ふれあい  観桜会(かんおうえ)  明日に合わせて  満開なるとき

4/9  嬉(うれ)しさは   丹波篠山  大書院  市長室から  桜見るとき

4/10  嬉(うれ)しさは   ふるさとの話  風雲児  その前編を  書き上げるとき

4/10  嬉(うれ)しさは   亡くなってからなの  ご主人の  形見の桜  咲くと聞くとき

4/11  嬉(うれ)しさは   油さしても  ダメなんよ  直ってじいちゃん  感激するとき

4/12  嬉(うれ)しさは   雑魚は磯辺で  コツコツと  歴史名残さず  家残すとき

4/13  嬉(うれ)しさは   さくら花咲く  校庭に  カメラ構える  夫婦見るとき

4/14  楽(たの)しみは   春爛漫の  街道を  桜ふぶきが  窓すぎるとき

4/14  楽(たの)しみは   白とピンクが  一枝に  咲いて満開  桜見るとき

4/15  楽(たの)しみは   いえ近くまで  来ましたと  挨拶交わし  桜見るとき

4/16  楽(たの)しみは   読んできちんと  綴じてるの  声を励みに  話書くとき

4/17  楽(たの)しみは   九(きゅう)に鹿(しか)って  なんなのよ  ばあちゃん次々  問い話すとき

4/18  楽(たの)しみは   春の夕陽に  照らされる  飛行機飛べと  カメラ出すとき

4/19  楽(たの)しみは   クイズを解いて  探してね  ミスや出来栄え  見てもらうとき

4/20  楽(たの)しみは   テッシュどうぞと  ただ一つ  渡しそれから  話聞くとき

4/21  嬉(うれ)しさは   人生70  過ぎし日は  短く今日は  ちと長きとき

4/22  嬉(うれ)しさは   ボクとじいちゃん  かあちゃんと  仲良く皆で  掃除するとき

4/23  嬉(うれ)しさは   ふるさと但馬  シャッターマン  記念のカメラ  押すと言うとき

4/23  嬉(うれ)しさは   ふるさと但馬  山(やま)ん中(なか)  カールおじさんの  チューリップ見るとき

4/24  嬉(うれ)しさは   こんな家族って  良(い)いなあと  息子が言うと  ばあちゃん話すとき

4/25  嬉(うれ)しさは   こんなチラシは  忙しく  書く暇ないと  言うと聞くとき

4/26  嬉(うれ)しさは   仲良しケント  ミオちゃんの  イラスト描(か)いて  DM出来るとき

4/26  嬉(うれ)しさは   電話通じぬ  ばあちゃんの  料金未納  聞き分かるとき

4/27  嬉(うれ)しさは   レンジ買い替え  ありがとう  花々きれい  庭褒めるとき

4/27  嬉(うれ)しさは   62年前の  蜘蛛の糸  いまだ分からず  歳を取るとき

4/28  楽(たの)しみは   樋門操作で  立つ朝に  遡上する鮎(アユ)  調べみるとき

4/29  楽(たの)しみは   昭和はるかに  過ぎ去り日  稀なる歴史  調べ知るとき

4/30  楽(たの)しみは   五月蝿(うるさ)いほどと  五月こそ  期待しながら  月〆るとき

昭和って歴史上最長の元号なのです

2017年04月29日 | 日記

日の丸はためく国民の祝日「昭和の日」


 楽(たの)しみは   昭和はるかに  過ぎ去り日  稀なる歴史  調べ知るとき



今日は、国民の祝日「昭和の日」です。
もちろん、元の昭和天皇の誕生日でした。

年齢が90歳のおじいさんが、昔こんなことを言ってたことを思い出します。
「わしは昭和元年生まれなんよ。わしらの同級生わな、同じ年齢なのに大正15年生まれの者に、昭和元年生まれのもんに、昭和2年生まれの者がおるんだで」と言っていました。

大正天皇は、大正15年12月25日に崩御されました。
崩御された即日に、大正から昭和へと元号が替わります。

昭和は、昭和元年12月25日から始まります。
(昭和から平成へは、一日ずらして昭和64年1月7日から平成元年1月8日でした。大正以前はだいたい即日改元でした)。

昭和元年は7日しかありません。1月1日は昭和2年となるわけです。
なので、同級生に大正15年生まれと、昭和元年、昭和2年生まれができたということでした。

昭和の元号のことを調べてみました。

日本で元号が初めて制定されたのは、西暦で640年代、
あの大化の改新で有名な、皇極天皇(女性)のころなのです。

元号の始まりは「大化」です。
大化から始まって平成までの約1370年間に、250の元号が使われています。

明治以降こそ天皇一代で一つの元号となっていますが、
明治のもう一つ前の「慶応」以前は違います。

どんどん何事かにつけて、元号は新しくされました。
皇極天皇は第35代ですから、第125代平成天皇までの91代の御代に250の元号があったわけ、天皇一代で平均2.7回の改元、一つの元号は5年くらいで替わりました。

昭和の凄いことは、まず第一にその期間の長さです。
昭和は、昭和元年12月25日から昭和64年1月7日の、62年と14日間の歴史上ダントツ一位の長さです。

ちなみに二番目に長い期間の元号は「明治」です。
明治は44年と187日で一世一元となりました。

三番目は「応永(おうえい)」と言います。
西暦1400年代の、後小松天皇の御代で34年9ヶ月です。

四番目に長いのは、もしも平成が来年末までとなり、平成31年1月1日から新元号になるならば、
平成元年1月8日から平成30年12月31日までの、平成は29年と358日となるのです。

二つ目に凄いことは、
昭和の初めと最後が、どちらも7日間の短い一年だったということです。

昭和元年12月25日から7日間で年が明けます。
昭和64年1月1日から1月7日までの7日間が昭和64年で、1月8日からは平成となります。

一つの元号の最初も最後も、たった7日間という短い一年は、
歴史上250の元号の中では「昭和」が唯一なのです。

ただし、一年が一番短い元号ってものがあります。
昭和元年や昭和64年の7日よりも、もっと短い一年の元号があります。

それは「宝亀(ほうき)」という元号の、宝亀12年1月1日なのです。
今から約1236年前の、光仁天皇の御代です。

よりによって、1月1日に何か良いことがありますようにと、宝亀12年1月1日に改元されます。
その日のうちに天応(てんおう)元年1月1日となってしまいました。

なので、
宝亀12年はたった1日間で一年お終いとなりました。

その次に短い一年が、
昭和元年と昭和64年の7日間の一年なのです。

そんな歴史に稀な、長き御代が続いた昭和の時代。
平成の字を掲げた小渕さんのニュースを思い浮かべます。

あれからもう30年近くが過ぎ去ろうとしています。

お寺の入り口で

2017年04月21日 | 日記




 嬉(うれ)しさは   人生70  過ぎし日は  短く今日は  ちと長きとき



お寺の入り口で


「 人生は長いとも 

   人生は
   
    短いとも言う

 
  一生は

   それなりに長く

    一瞬は 短い 」 と書いてありました。


でも、
私は過ぎ去った70余年は、あっという間の一瞬のようです。
 
そのくせ今日の一日は、
ちょっぴり長く感じられます。

一日が長いって、
子供の頃のことでしょうか。

年をとって一日が長く感じられるって、
心が、子供の頃に戻ったからなんでしょうか。

神戸鈴木商店だって、昔大地主さんだったお家だって

2017年04月12日 | 日記




 嬉(うれ)しさは   雑魚は磯辺で  コツコツと  歴史名残さず  家残すとき



地域振興局で用事を済ませ、隣の図書館にちょっと寄ります。
分厚い出石町史をペラペラめくって、出石軽便鉄道について読み込み調べます。

ふるさとの話5月号(前編)は、日高村の西気鉄道について書きました。
後編は西気鉄道のその後と、出石軽便鉄道について書こうと調べます。

地元の町史や市史を読んで、幕末から明治大正の頃の町の歴史を調べていますと、
現在に生きる者でも、よ~く分かる有名な人物や大きな地主さんや、町の有力者の人や家のことがよく出てきます。

100年ほど前の、町の歴史に登場する人物のお家や店は、
今では、ほとんど続くことなく絶えているように見えますね。

三方村の鉱石搬出のために、鉄路を引こうとした鈴木商店だって今はありません。
最盛期は三井物産、三菱商事を凌ぐ勢いのあった大商社だって、いつかは廃れてしまいます。

町の有力者だって、家だって、昔ぶいぶいのお店だって、
いつかは跡取り断絶、家も何にも消えていってしまいます。

元気で大きな人物ほど、ぶいぶいでバリバリの会社や商店ほど、
100年経つと、廃れてしまった話がよく目にとまります。

町史や市史を読んでいますと、
切ないほどに、昔の大人物や大地主のお家は絶えて廃れて、名だけ残って家残らずの話しです。

帰り道、Nさんちへ商品届けに走ります。
裏道から見えるお家も、立派な屋敷に大きな桜が満開ですね。

このお家も、隣の更地になったお家も今は留守です絶えてます。
町史に名を残すくらいに有名な家系も、絶えてしまえば寂しいですね。

それにつけても小さなお店、
小さな街のでんき屋さんは、雑魚は磯辺と地味ですね。

コツコツコツと磯辺で歴史を刻み、沖には絶対出ませんね。
沖に出ないだけあって、歴史には名残さず代々跡継ぎ残して家残す。

街のでんき屋、そんな感じに小さく小さく元気です。

3月の独楽吟

2017年03月31日 | 日記




 3月の独楽吟・・・・・喜びの44首



3/1  嬉(うれ)しさは   夫婦親子が  仲の良い  店は繁盛  すると聞くとき

3/2  嬉(うれ)しさは   応募続けて  11回目   お店のチラシ  眺め見るとき

3/3  楽(たの)しみは   納税申告  ひな祭り  弥生華やか  よく売れるとき

3/3  楽(たの)しみは   可愛い子だね  聞いたあと  ボク男の子  返事聞くとき

3/3  楽(たの)しみは   ふるさと訛り  コメントを  何度も読んで  ありがたきとき

3/4  楽(たの)しみは   丹後かにはん  甘酒を  飲んでカニさん  話聞くとき

3/5  楽(たの)しみは   イノシシ食べた  墓の花  啓蟄の春  手を合わすとき

3/6  楽(たの)しみは   為になる事  吹き出しの  読んで一息  クイズするとき

3/7  楽(たの)しみは   外の雪見て  ばあちゃんが  ええまんだったと  礼を言うとき

3/8  楽(たの)しみは   わあ~きれいだと  雪の朝  集合場所で  会釈するとき

3/9  楽(たの)しみは   山の残雪  縞もよう  里の白梅  花開くとき

3/9  楽(たの)しみは   見下ろす先の  こども園  呼び合う声に  孫の名あるとき

3/10  嬉(うれ)しさは   雨降る中を  市役所に  ストーブ納めて  喜ばれるとき

3/11  嬉(うれ)しさは   民生委員  会合で  地域の世話の  話しするとき

3/12  嬉(うれ)しさは   敬老会に  初参加  みんな元気に  歌唄うとき

3/13  嬉(うれ)しさは   ふるさとの話  読む家内  笑いこらえて  先行かぬとき

3/14  嬉(うれ)しさは   今日のじばさん  コンシェルジュ  スマートライフを  マスターするとき

3/14  嬉(うれ)しさは   ヒントで答え  ピカピカの  一年生で  すぐ分かるとき

3/15  嬉(うれ)しさは   ドシャ降りの中  特養で  ハイ映ったよと  相撲見るとき

3/16  嬉(うれ)しさは   (糸)い~と~まきまき  はとポッポ~  ミオちゃん身振り  して唄うとき

3/17  楽(たの)しみは   朝もや晴れる  田んぼみち  ふるさと春の  兆しあるとき

3/17  楽(たの)しみは   アトムのクイズ  来たらすぐ  ご飯も食べず  解くと聞くとき

3/18  楽(たの)しみは   迎え待つ駅  孫の顔  早く見たくて  改札立つとき

3/18  楽(たの)しみは   出石初午  見て回る  幼きころを  思い出すとき

3/19  楽(たの)しみは   雪が不思議と  ソラちゃんは  かあちゃん一緒に  写真撮るとき

3/20  楽(たの)しみは   ふるさと後に  東京へ  20年前を  思い出すとき

3/21  楽(たの)しみは   昼夜同じ  春分に  マリンワールド  下に見るとき

3/22  楽(たの)しみは   春の卒業  このころに  同級だったと  聞かされるとき

3/23  楽(たの)しみは   いよいよ明後日(あさって)  開通の  高速道路  知らせ点くとき

3/23  楽(たの)しみは   日高豊岡  組合の  45年ぶりに  合併するとき

3/24  嬉(うれ)しさは   いつもと違い  早目です  チラシカタログ  目を通すとき

3/25  嬉(うれ)しさは   読む人みんな  感心の  休日ネタの  チラシ見るとき

3/25  嬉(うれ)しさは   アトムの種を  ミオちゃんは  入れて手伝い  ヤッタと云うとき

3/26  嬉(うれ)しさは   古来呼び名を  堅香子(かたかご)の  花一輪を  庭で見るとき

3/27  嬉(うれ)しさは   久美浜抜けて  トンネルで  但丹(たんたん)またぎ  品運ぶとき

3/28  嬉(うれ)しさは   懐かしき哉  三六(さぶろく)や  同一賃金  言葉聞くとき

3/28  嬉(うれ)しさは   試し通行  高速を  日高竹田を  行き来するとき

3/29  嬉(うれ)しさは   見事な彫刻  薬師堂  有りがたきかな  手を合わすとき

3/29  嬉(うれ)しさは   4月になったら  コミュニティー  公民館に  品運ぶとき

3/29  嬉(うれ)しさは   倒れてますと  アンテナを  直して声を  善くかけるとき

3/30  嬉(うれ)しさは   ハイ冷蔵庫  大丈夫  センターピラーを  閉めてというとき

3/30  嬉(うれ)しさは   遠き東京  お客さま  品物買うと  電話あるとき

3/30  嬉(うれ)しさは   転勤シーズン  あちこちで  引っ越しトラック  前走るとき

3/31  楽(たの)しみは   品を届けに  診療所  長寿番付  壁に見るとき
  

2月の独楽吟

2017年02月28日 | 日記




 2月の独楽吟・・・・・喜びの30首



2/1  嬉(うれ)しさは   2月迎えて  早々と  エアコンその他  よく売れるとき

2/2  嬉(うれ)しさは   お礼渡した  すぐ後に  そのまたお礼  電話あるとき

2/3  楽(たの)しみは   節分豆まき  鬼は外  雪よ降るなと  豆をまくとき

2/4  楽(たの)しみは   思い出します  村の人  ちゃん付け呼んだ  記憶たどるとき

2/5  楽(たの)しみは   雪ふるそとの  きびしさに  昨日良きに  工事済むとき  

2/6  楽(たの)しみは   物知り人に  今日もまた  古(いにしえ)その日  話聞くとき

2/7  楽(たの)しみは   見慣れぬ鳥が  枝の雪  落として飛ぶの  山で見るとき

2/8  楽(たの)しみは   ミオちゃんぐずる  そのあとに  ケンちゃんなだめ  兄貴なるとき

2/9  楽(たの)しみは   税の申告  計算書  全部若嫁  スラリ書くとき

2/10  嬉(うれ)しさは   明日は建国  記念の日  そのままその日  祝日のとき

2/11  嬉(うれ)しさは   よう来んさったの  但馬弁  話をうまく  よく書けたとき  

2/12  嬉(うれ)しさは   雪のガタゴト  やっと過ぎ  消雪道路  天国のとき

2/13  嬉(うれ)しさは   ふるさとなまり  五つ入れ  3月パズル  早出来たとき

2/14  嬉(うれ)しさは   雪をかき分け  配達の  洗濯機代  すぐ貰うとき

2/15  嬉(うれ)しさは   うちもテレビは  なかったよと  貧乏話  花が咲くとき

2/16  嬉(うれ)しさは   アトムのチラシ  コンテスト  6位に入賞  知らせ見るとき

2/17  楽(たの)しみは   山寺の鐘  音(ね)を聞いて  片付けしばし  昼を知るとき

2/18  楽(たの)しみは   珍しき書(ふみ)  お貸しして  私の文(ふみ)も  褒められるとき

2/19  楽(たの)しみは   豪雪見よう  二人して  但馬の奥へ  物見行くとき

2/20  楽(たの)しみは   里のおうちに  エコキュート  ばあちゃん独り  つけて聞くとき

2/21  楽(たの)しみは   あとひと月で  開通の  高速道路  工事見るとき

2/22  楽(たの)しみは   雨の止み間に  四軒も  アンテナ修理  片付けるとき

2/23  楽(たの)しみは   朝起き出でて  青空を  久しぶり見て  気持よきとき

2/24  楽(たの)しみは   立春過ぎて  早二十日  明るき6時に  チャイムなるとき

2/25  嬉(うれ)しさは   頭ひねれど  つながらぬ  ワード探して  クイズ出来たとき

2/26  嬉(うれ)しさは   パソコン叩き  指の先  思いのほかに  よく書けるとき

2/27  嬉(うれ)しさは   ドアの向こうを  会釈して  チラシ楽しと  目で過ぎるとき

2/27  嬉(うれ)しさは   私(わた)ちもできる  お手伝い  ミオちゃんポイと  種入れるとき

2/27  嬉(うれ)しさは   修理の説明  フムフムと  生徒が先に  礼を言うとき

2/28  嬉(うれ)しさは   なんで二月は  28日か  調べて分かる  面白きとき

原稿

2017年02月26日 | 日記




 嬉(うれ)しさは   パソコン叩き  指の先  思いのほかに  よく書けるとき

テレビいつ家に来ましたか

2017年02月15日 | 日記




 嬉(うれ)しさは   うちもテレビは  なかったよと  貧乏話  花が咲くとき



Kさんちを訪ねます。

「まあまあ、上がって上がって」、
「ふ~ん、DVDデッキは部品供給終了で直らんかね。10年も経ってたら仕方ないね」と、
テレビ好きで、録画大好きなKさんは残念そうです。

Kさんちのリビングには、大型テレビとDVDデッキが2台もセットされています。
2階のテレビにも、デッキがセットされています。

好きなんです。
録画が好きなんです。

「録画した “笑点” を見ながら寝るんだわ。
ワハハワハハ笑いながら何度も見るんだよ」と楽しそうにおっしゃいます。

いろいろ世間話をしているうちに、
ひょんなことから『Kさんちには、家に子供のころいつからテレビが来ましたか。もちろん白黒テレビ』と聞きました。

「う~ん、うちはいつ頃だっただろうな。
昭和41年くらいじゃなかったかな。25のころにやっと家にテレビがやってきたかな」と話されます。

『案外遅いですね。私んちは高校卒業するまで、とうとう家にはテレビは買って置いてもらえんかったね。
家が貧乏だったからテレビなんぞなかったのです。神棚のような高いところにあるラジオが、精いっぱいだったのです』、

「アトムさんが子供の頃って、昭和39年に卒業して都会に出るまで家にはテレビなかったの」、
「うちは昭和41年だからもっと後になるわ。勉強に邪魔なんでテレビは置かん主義だったけれど、本当は貧乏だったからかな」、

「アトムさんは社会人になって初めてテレビを部屋で見るって、
今ではテレビをバンバン売る電気屋さんだのに不思議だね。他所にはあったテレビが家には買って置いてなかったなんて」とKさん話します。

『昭和39年の春、テレビのない家を巣立って国府駅から汽車に乗って大阪に出発した日、母がすまなさそうに言ったね」、
「〇男、これしか持たせてやれんけれど体に気を付け頑張れよ。ハイ千円札1枚とリンゴ三つ』と昔の話をいたします。

Kさんも負けてません。
「僕はね、3年ほど会社に勤めてその後大学に進んだの。5つ違いの弟と二人が大学に在学することになって、親父は学費大変だったろうな」なんて家も親も苦しかったお話しされますね。

今日は、
ひょんなことから、テレビが社会人になるまで家になかった、貧乏でテレビなんぞはなかったという貧乏話の花が咲きました。

1月の独楽吟

2017年01月31日 | 日記

平成29年元旦 出石神社に初詣


 1月の独楽吟・・・・・喜びの35首



1/1  嬉(うれ)しさは   72の年月  丁酉(ひのととり)  めでたし我の  歳になるとき

1/2  嬉(うれ)しさは   も二つ前の  丁酉(ひののとり)  調べて進歩  驚きのとき

1/3  嬉(うれ)しさは   大山(だいせん)見よう  ドライブが   見えぬかわりに  会話はずむとき

1/4  嬉(うれ)しさは   載ってた載ってた  載ってたと  喜びの声  今日も聞くとき

1/5  嬉(うれ)しさは   カラカラ・ポンと  運だめし~  この店楽(たの)し  声を聞くとき

1/6  楽(たの)しみは   あれからずっとね  アトムさん  これからもずっと  頼むと聞くとき

1/7  楽(たの)しみは   大きなテレビ  売れますね  冬にエアコン  「凄い~」聞くとき

1/8  楽(たの)しみは   アトムのセミナー  チラシ見て  お互いきっと  盛り上がるとき

1/9  楽(たの)しみは   成人の日に  晴れ着見て  家内と二人  珈琲飲むとき

1/10  楽(たの)しみは   アトムの皆に  会った夜に  干支の年月  余話話すとき

1/11  楽(たの)しみは   息子が帰って  話すこと  勉強会の  様子聞くとき

1/12  楽(たの)しみは   支部の統合  相談を  しながら景気  話しするとき

1/13  嬉(うれ)しさは   ケンちゃんミオちゃん  仲良しは  コタツ上下  一人なるとき

1/14  嬉(うれ)しさは   売上バランス  眺めてて  テレビ・エアコン  ありがたきとき

1/15  嬉(うれ)しさは   広告だった  地図チラシ  年を刻んで  配られるとき

1/16  嬉(うれ)しさは   寒かったのに  ありがとう  言(ゆ)うて代金  差し出されるとき

1/17  嬉(うれ)しさは   22年過ぎし  雪雫(ゆきしずく)  なみだ流して  鎮魂のとき

1/18  嬉(うれ)しさは   天之日矛(あめのひぼこ)の  宝から  ヒントのクイズ  よく出来たとき

1/19  嬉(うれ)しさは   出石神社に  初詣  その日の話  ネタに書くとき

1/20  楽(たの)しみは   首相のことば  読んでみて  よっぽど大人と  読み解けるとき

1/21  楽(たの)しみは   第一第一  アメリカと  言うならどこも  第一言うとき

1/22  楽(たの)しみは   天橋立  文殊堂  知恵を授けと  よく拝むとき

1/23  楽(たの)しみは   明日の検診  控えし夜  寄合帰り  お茶を飲むとき

1/24  楽(たの)しみは   何ともないと  30年も  聞いた今年で  親父越すとき

1/25  楽(たの)しみは   工事を見てて  ばあちゃんが  ネズミにゃ負ける  愚痴こぼすとき

1/26  楽(たの)しみは   雪どけ水が  濛々と  湯気立つ中を  先急ぐとき

1/26  楽(たの)しみは   リフォーム仕上げ  手を休め  繋ぐ命の  大事聞くとき

1/26  楽(たの)しみは   屋根から落ちた  大雪を  跨いで登り  品わたすとき

1/26  楽(たの)しみは   夕陽がおちる  雪原を  こうのとり号  走る行くとき

1/27  嬉(うれ)しさは   今日は旧暦  大晦日  明日は朔日  年明けるとき

1/28  嬉(うれ)しさは   独り暮らしの  安心を  やってといろいろ  任されるとき

1/29  嬉(うれ)しさは   かき餅求め  矢田川に  行ったつもりが  味噌(みそ)酢(す)買うとき

1/30  嬉(うれ)しさは   良(い)いわね良(い)いわ  跡取りが  年金よりも  良(よ)いと聞くとき

1/30  嬉(うれ)しさは   全然知らん  お人から  声かけられて  褒められるとき

1/31  嬉(うれ)しさは   次はケンちゃん  言いながら  育ったシイタケ  皆で採るとき

胃の内視鏡検査

2017年01月24日 | 日記




 楽(たの)しみは   何ともないと  30年も  聞いた今年で  親父越すとき



何度しても「ゲェ~ゲェ~~」です。
今日は豊岡病院で、胃の内視鏡検査を受けました。

検査を終え、モニターを見ながら先生の説明です。
「何ともないですよ~、全く問題なしです」の説明です。

さらに、
「去年は検体を取って東京に送ったでしょ。二回もカメラ飲んでもらったね。
だけど、ガンの超々初期症状でもなんでもなかったの。今年もばっちり大丈夫でしたよ」と安心の説明です。

私は、毎年のように1月になりますと、
胃カメラを飲んで検査を受けます。

胃は毎年です。大腸は2年に一度です。
このところ、ずっとこの検査は受けいるのです。

なぜかって?、

私の親父は「ちょっとご飯が食べにくくなったなあ」と、
初めて受けた検査で、ドンピシャリの胃ガンでした。

親父が71の時でした。
胃を取って一年半しか持ちませんでしたな。

今日と同じように、2月の大雪のムチャクチャ寒い日に亡くなりました。
私が34才の時でした。

親父をガンで失ってから、二つのことをやり続けます。
一つは献血です。

そのころは、
手術で輸血をしてもらうためには、親戚知人に献血をお願いしなければいけない時代でした。親戚に頼んで回りました。

35のころから、毎年たった一回ですが「区の割り当て献血出てもらえますか~」、
『ハイ、献血出させてもらいますよ』と献血を続けてまいりました。

55過ぎたころは400ml献血になりましたな。
それでも65くらいまでやりました。献血回数表彰ももらいました。

二つ目は胃の検診です。
親父のガンにビビったのです。35のころから肺ガン胃ガン検診は絶対励行です。

40過ぎたころからは、胃カメラを飲みます。
「何ともないですよ~」、「何ともないですよ~」と、20回も30回も聞かされても、ゲェ~ゲェ~~言いながらもやり続けます。

今年のカメラもやっぱり「ゲェ~ゲェ~~」でした。
どうしても慣れることが出来ません。それでも辛抱強くゲェ~ゲェ~~やり続けます。

私もとうとう親父の71の歳と同じになります。
今年はとうとう、親父がドンピシャになった同じ歳です。

あれから37年経ちました。
30回近くも「何ともないですよ」のお医者さんからの説明を聞いて過します。

37年前に、
『親父と同じ歳に、ガンに成るんちゃあうか」という心配、

そんな心配した歳月過ぎて、71の今年はとうとう親父を越します万歳します。