

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(3級)問題より
【75】但馬各地には平家の落人伝説が数多く残されており、
香美町香住区の御崎では、現在も平家復興を願う儀式が行わ
れています。その儀式は次のうちどれでしょうか。
(a)松岡御柱まつり (b)百手の儀式
(c)三川権現大祭 (d)三谷万燈の火祭り
香美町香住区余部のずっと海に突き出た、人も通わぬ陸の
孤島「御崎」集落がこの儀式の舞台です。
余部鉄橋から約3kmほど曲がりくねった道を進みますと、御
崎の集落です。
香美町香住区余部の御崎集落は、壇ノ浦の戦いで敗れた平家
の武将が隠れ住んだ落人の里です。
壇ノ浦の戦いで敗れ、壱岐、対馬から隠岐の島を過ぎて、は
るばる香住の海岸へ流れつきます。平家の武将3人です。
門脇宰相平中納言教盛(かどわきさいしょうへいちゅうなご
んのりもり)、伊賀平 内左衛門家長、矢引六郎右衛門の三人
は、磯づたいに御崎まで逃げ延びてきました。
土着した彼らの子孫は、いつかは源氏を打ち負かして平家の
無念を晴らそうと、刀、弓矢の修業は怠りませんでした。
そのことを伝える行事が「百手(ももて)の儀式」なのです。
毎年1月28日に、氏神の平内神社に平家の蝶の紋の入った
赤いのぼりを持ち、「ひかえー、ひかえー、わきによれー」
と入ってきます。
門脇(かどわき)、伊賀(いが)、矢引(やびき)の武将に
ふんした3人の少年が、 御神木の的を源氏に見立て矢を射
るのです。
その数が101本、歩射という弓の神事です。
最後の一本は、とどめとして打ち、平家の無念を晴らすとと
もに、平家再興を夢見て受け継がれるのです。
「百手の儀式」は、門脇、伊賀、矢引の武将にふんした3人
の少年が、ご神木の的にめがけて弓を射る行事です。
「百手(ももて)」と書きますから、弓矢は100本と思って
しまいますが、御崎の「百手の儀式」は違います。
100本射ったあと、最後のとどめに101本目を射るのです。
答えは、(b)の百手の儀式なのです。
「百手の儀式」はとても有名なもので、毎年、この時期の新
聞には必ずこのニュース が載ります。
ちなみに、(a)の松岡御柱(おとう)まつりは、日高町松
岡で行われる4月の行事、雅成親王伝説の「ばば焼き」行事
です。
(c)の三川権現大祭は、香美町香住区三川で行われる5月の
行事役行者(えんのぎょうじゃ)が蔵王権現を祀ったといわ
れる、古霊場「三川山」の三川権現社での護摩供養の行事で
す。
(d)の三谷万燈の火祭りは、香美町香住区三谷で行われる7
月の行事、厄除けの儀式として始まった火祭りの行事です。
一時中断していましたが昭和50年代に復活、麦わらの束に
火をつけ勢いよく振り回し、火の粉を受け無病息災を祈願す
る行事です。
この三つの行事は、百手の儀式と違い「火」を使った儀式で
す。
『ぎょ~さんげ~に』
ケンちゃんが、こども園からの帰りに公民館の石段で転ん
だね。ほんのちょっとスリ傷なっとたね。
帰ってから母ちゃんに、傷口ふいてもらって傷テープ貼って
たね。ほとんどスリ傷もないし、血も出てないし、傷テープ
貼るの大げさだったね。
但馬弁ではこんな時、「ぎょ~さんげ~にテープ貼って~。
大丈夫大丈夫」って言うんだよ。
但馬弁では「おおげさに」は、「ぎょ~さんげ~に」って言
うの。
もともと、関西では「たくさん」のことを「ぎょ~さん」て
言うわな。
それに「げ~に」を付けて、「おおげさ」を強調してるんよ。
ケンちゃんね、男の子はちょっとしたことぐらいで「ぎょ~
さんげ~に」に言ったらあかんだ~で。