「かもだ岬温泉」
今は「かもだ岬温泉」と名乗っているが、私が53歳から55歳まで所長として勤めていた頃は「船瀬温泉」と名乗っていた。自宅からはクルマで30分ほどかかったが、椿公民館を過ぎてしばらく進むと、左手側に椿泊湾と対岸には椿泊町の家並みが続いているのが見えてくる。年中、田んぼと山に囲まれて育った私には新鮮な風景で見飽きることがなかった。
温泉の仕事は土日・祝日が勤務日であったことから、GW,お盆、年末年始と世の中が休んでいる時が多忙であったと記憶している。そうしたことを差し引いても、椿泊湾の海の風景や、夜10時過ぎに帰宅する時に見上げた冬の星座の圧倒的な美しさ、それから良きスタッフに恵まれて楽しく仕事したことの方が、私には人生の財産として今も残っている。
最近はかもだ岬温泉に出かけることもなくなったが、当時を懐かしんで写真のような湯呑茶碗を作ってみた。自宅でも、職場でも、お茶や珈琲を淹れて楽しむ毎日だ。
今は「かもだ岬温泉」と名乗っているが、私が53歳から55歳まで所長として勤めていた頃は「船瀬温泉」と名乗っていた。自宅からはクルマで30分ほどかかったが、椿公民館を過ぎてしばらく進むと、左手側に椿泊湾と対岸には椿泊町の家並みが続いているのが見えてくる。年中、田んぼと山に囲まれて育った私には新鮮な風景で見飽きることがなかった。
温泉の仕事は土日・祝日が勤務日であったことから、GW,お盆、年末年始と世の中が休んでいる時が多忙であったと記憶している。そうしたことを差し引いても、椿泊湾の海の風景や、夜10時過ぎに帰宅する時に見上げた冬の星座の圧倒的な美しさ、それから良きスタッフに恵まれて楽しく仕事したことの方が、私には人生の財産として今も残っている。
最近はかもだ岬温泉に出かけることもなくなったが、当時を懐かしんで写真のような湯呑茶碗を作ってみた。自宅でも、職場でも、お茶や珈琲を淹れて楽しむ毎日だ。
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